5 それでも逃げる事なんてできる訳がないから

「え……そんな」


 分かってるよ、止めたところでどうにもならない事。

 だけど。だけどこんなのはあんまりだって、そう思う。


 だってそうだ。

 私なんかを助けようと思ったりなんてしなければ、最初のあの部屋で脱出できた。

 こんな所に飛ばされたりなんてしなかった。

 こんな所で命懸けの戦いなんてしなくても良かったんだ。


「……ッ」


 息を飲む。

 震えが止まらない。

 私を助けてくれた人が私を助けて危ない目に遭う。

 いや、危ない目になんて言葉は濁せない。

 ……死んじゃう。

 ……私のせいでルイン君が死んじゃう。

 そんなのいいわけがない。どうにかしないといけないんだ。


 でも私に何ができる?

 私が何もできないからルイン君があんな事になってるんだよ。

 ……一体、私はどうすれば――


 そんな風に全く考えが纏まらなくなっていた、その時だった。


「……ッ」


 魔術道具から発せられていた光が赤くなった。

 時間だ。もうこれで念じれば外に出られる。


 ルイン君を此処に残して、私一人で脱出できる。

 私一人で脱出できてしまう。


 そして、何か変わったのは光だけでは無かった。


「……ッ!?」


 大きな音と共に……ルイン君の体がドアを突き破ってきた。

 そしてそのまま床を勢いよくバウンドして、壁に叩き付けるられる。


「る、ルイン君!」


 ものの十数秒で酷い有り様だった。

 思わず目を覆いたくなる。軽く吐き気だってした。

 それだけ血塗れで……そこに意識が残っているのが不思議で仕方がない程に酷い怪我だった。


 そして。ルイン君が突き破ってきた扉の先にそれはいる。


 黒い……なんだろう。オーガっていうのかな、ああいうの。

 とにかくそんな黒いオーガが。身長3メートルは軽く超えてる様な明らかにヤバそうな奴が、私達の方に向かって歩きだしていた。


「……んだよ。もう準備できてんじゃねえか」


「る、ルイン君! 大丈夫!?」


 声を絞り出したルイン君にそう問いかけると、ルイン君は言う。


「馬鹿野郎……なにぐずぐずしてんだ。さっさと逃げろよ」


「で、でも……」


「でもじゃねえ! 早くしろ馬鹿! 来るぞ!」


「……」


「おい! 聞いてんのか楓!」


「……ッ!」


 聞いてる。分かってるよ。早く逃げないといけない事位。

 私が此処に留まっていてもできる事なんてなにもない。

 私には逃げる以外の選択肢なんてきっと残されていなくって、そのたった一つの選択肢をちゃんと取る事が出来る様に、ルイン君が必死になって時間を稼いでくれたんだって事位。


 私がここでもたもたしていたら、ルイン君の頑張りは無駄になっちゃうんだ。


 自分一人なら今この瞬間にも脱出できているのに、それなのに必死になってくれているルイン君の頑張りを無駄にしちゃうんだ。


 ……そんな事は分かっている。


「お、おい楓」


「……ッ」


 分かっていても立ち上がっていた。

 分かっていても、木刀を握り絞めていた。

 分かっていても、木刀をルイン君を背に構えた。


「ちょっと待て、おい! 楓!」


「……ッ!」


 分かっていても……体がそういう風にしか動かなかった。


 自分でも正直何をやっているのか良く分からなかった。

 自分でも分かっている筈なんだ。

 私にできる事なんて何もないって事は。

 逃げる事が正解なんだって事は。


 それでも動いた。

 ……もしかしたらどこかで夢でも見ているのかもしれない。


 誰かのピンチに颯爽と駆けつける様な、そんな状況じゃないけど……それでも誰かの為に剣を振るう様なヒーローに憧れて。

 この世界で実際にそんなヒーローに助けられて、憧れなおして。

 自己投影って奴に浸っているのかもしれない。


 だけどそんな考えはすぐに掻き消す。


 それが違う事はすぐに分かったから。

 ……分かってる。


 私は誰かの為に身をていして戦う様なヒーローになんてなれないって事は。

 しょうもないモブみたいな事しかできないって事は。

 器じゃないって事は。

 そんな事は今まで16年生きてきて自覚している筈で。

 この世界で改めて自覚しなおした筈で。

 こんな状況で、そんな非現実的な妄想に浸ってなんていられない。


 だからきっと、そんなんじゃなくて。


 じゃあ一体私は何をやっているのか。

 分かんない。訳わかんない。


 だけどそれでも一つだけ分かる事があるとすれば。


「く、来るなら……来い!」


 今にも死にそうな、自分を助けてくれた人を見捨てて逃げるなんてできなかった。

 そんな事は……そんな事だけは絶対にしたくなかった。

 

「ひ……ッ!」


 オーガが一歩前に進むだけで震えた声が出た、


 手足も震えていた。奥歯も鳴る。

 血の気だって引いているのが分かった。

 怖くて怖くて怖くて仕方がない。

 泣きそうになる。というかちょっと泣いてる。


 ……それでも。

 ……それでもッ!


 恐怖に打ち勝て。


「負けてたまるかあああああああああああッ!」


 無我夢中だった。

 必死だった。

 とにかく自分を鼓舞するように叫んで、正直自分でも何を言っているのかよく分かっていなかった。

 そして、そうやって訳が分からなくなっていたその時だった。


「まあ、主の様な奴ならいいか」


 突然背後から、女の人の声が聞こえた。

 そしてその直後だ。


「か、楓! 後ろ!」


「え、なに……ひゃっ!?」


 突然、誰かに抱きつかれたのが分かって。

 え、なに!? まさかルイン君!?

 そうやって混乱しながら首を動かし、抱きついてきた誰かに視線を向ける。


 そこには綺麗な女の人の顔が見えた。

 先程の声の主と言わんばかりの女の人が。


「え、なに!? え!?」


「説明は後じゃ。少し……主の体を借りるぞ」


「借りる!? え、ちょっと待って説明を――」


 次の瞬間だった。


「……ッ!?」


 体の中に何かが入り込んでくる感覚があった。

 そして……まるで金縛りにでもあっている様に体の自由が聞かなくなる。


『わ、え、え!?』


 あと喋ってる筈なのに声出てないよ! なにこれ!?


「……オイオイ!一体何が起きてんだ……?」


 背後からはルイン君の困惑した声が聞こえる。


『私も分かんないよ!』


 駄目だ声出てない!


「おい小僧。応急処置でもなんでもいい。動ける様にしておけ。儂はそう長くは戦えぬぞ」


 しゃ、喋ったああああああああああああああッ!

 私が漫画でしか聞かないような口調で喋ったああああああああああッ!


「楓……じゃねえな……なるほど、そういう事か」


 なんか納得してるけど分かったんなら説明プリーズ! どっちでも良いから説明ください!

 だけど声も出ずに混乱する私を置いてきぼりにして、事態は進んでいく。

 だってそうだ。そもそも時間が無かったんだ。


『うわああああああああああッ! 来てる来てるッ!?』


 オーガは私に目標を見定め、一気に走り出して来た。

 完全に殺しに来てるよ!


『うわわわわッ』


「狼狽えるな。今誰が主の体を操っていると思っている」


『いや誰だよ!』


 分かるわけないじゃん!


「……まあそれもそうか」


 そう言って納得したようにそう言った私の体は動き出す。

 あの大きなオーガを迎え撃つんじゃなくて、自分から倒しに行く様に。

 様にというか間違いなく、その為に。


 そしてその動きはまるで私ではないみたいで……私離れというか人間離れしていて。


『うわッ!』


「では軽く自己紹介しておくかの」


 オーガの棍棒を、ひらりとかわして飛び上がる。

 3メートル近い高さのオーガの眼前まで。

 そしてそのまま木刀で勢いよく薙ぎ払った。


「グオオオオオオオオオッ!?」


 そんな呻き声を上げて、オーガが床に倒れる。

 そして悠々として着々した私の体を操る誰かは、木刀を肩にかけて多分私に向けて言う。


「我が名はミツキ。主が拾った木刀の付喪神とでも言っておこうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る