カッコつけて、「だ・じゃ・や分布図」に当てはまらない方言を作ってしまおうと考えた男がいたんですよ。
なぁ〜にぃ〜? やっちまったな!
私です。
事の発端は一年前に遡る。
当時、私は
方言学の本を見ると大体「方言分布図」なるものが載っている。日本地図が特定の語彙や文法によって大まかに分類されたものだ。タイトルの「だ・じゃ・や分布図」なんかは必ずと言っていいほど出てくる。(だ=東日本、や、じゃ=西日本のような)
他にも例えば「カエル」は「ビッキ(九州・東北)」、「アンゴ(千葉県南部)」、「モッケ(秋田県・青森県の一部)」など。民俗学者の柳田國男が書いた「
この説自体の妥当性はひとまず置いておいて、私はこの手の地図を見ること自体が好きだった。
例えば、「新方言」に関する方言地図は結構面白い。
自動車免許を取る場所といえば標準語的には「教習所」なのだが、私の地元は「
さらに、「絆創膏」を表す言葉も「バンドエイド」に始まり「サビオ(北海道)」、「カットバン(全国各地)」、「リバテープ(奈良・九州の一部、沖縄)」など色々ある。
文法に関しても、標準語では「誤り」とされてしまうようなものが方言では使われていることが多くて興味深い。
例えば私の地元の方言(遠州弁)では「来れば」のことを「これば」と発音するのだが、それについて調べるためにWikipediaを読んでいたところ、他にも、
・来(き)る
・思(おも)る
など、方言には標準語の感覚的には一見ヘンテコな活用をするものが色々あるということが分かった。
やがて、そういう文献を色々読み漁っているうちに、私の中にある一つの確信が生まれた。
方言が間違っているのではなく、私の方がおかしいんじゃないか、と。
つまり、規範化しようという意識を強く持っているからこそ、方言が「おかしい」と感じてしまうのであって、言語というのは多種多様であるのが自然な状態なのではないか。
そんなことで悩み続け、あるいは中二病をこじらせた結果、新たな方言を自分で勝手に作り出してしまおう、という結論になった。なんでや。
そんなわけで、手始めに「だ」を「ざ」に変えてみた。私の知る限り、「だ」を「ざ」と発音する方言は実在しないからだ(多分。静岡県でも一部地域だと「そうだら〜」を「そうずら〜」と発音するので多少それっぽさはあるが)。
奈津崎弁では「家ダ」は「家ザ」になる。どこの方言だかわからなくてなんともミョーな感じだ。おそらく、実際の日本語の方言で「だ」が「ざ」にならないのは日本語の音韻変化の歴史が関わっているのだろう。この辺に深入りするとそれだけで論文が書けそうな感じがしてしまうのでストップ。
とにかく、全てはここから始まった。
これは、セルフ蝸牛考をおっ始めた一人の
追記:全国方言辞典(小学館)によると、「そうずら」の語源は古語の「とすらむ」らしい。「だろう」だと思っていた。
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