第五コマ 西洋における同(類)綴り異音の人名

「須藤泉(すどう・いずみ)と申します。

 わたしは、この「フィクションの中のリアリティ」というグループに分けられたのですが、具体的に言うと、発表テーマは〈ヨーロッパの人名〉です。


 わたしの選択外国語、いわゆる〈二外〉はフランス語なのですが、その際に、書いてあっても、〈H〉という文字は発音しない事を学びました。

 例えば、〈Hermes〉、これは、ギリシア神話におけるオリュンポス十二神の一柱で、商売や盗賊の神である〈ヘルメス〉の英語読みです。

 これに対して、フランス語では〈Hermès〉と、〈e〉の上に記号が付くのですが、このように英語とほぼ同じスペルなのに、読み方は〈エルメス〉になります。これは、フランス語では〈H〉を発音しないので、語頭の読みが〈ヘ〉ではなく、〈エ〉になっている理屈に従っているからなのです。

 日本人の場合、エルメスといえば、オリュンポス十二神の一柱というよりもむしろ、バックなどの革製品を中心としたブランドとして認識しているかもしれません。

 とまれ、英語のヘルメスも、仏語のエルメスも、スペルはほぼ同じで、かつ同じ神様を指しているのに、読み方が異なっているのです。


 こういった事を知って以来、わたしは、ヨーロッパにおける人名の違いに興味を抱き、例えば、英語、フランス語、ドイツ語などにおいて、同じスペルであるにも関わらず、読み方が異なる人名について知りたい、と思い、この題材を選んだ次第なのです。

 

 しかし、全ての人名を扱う、となると、対象範囲があまりにも広くなり過ぎるので、今回の発表では、国王や皇帝の名前に絞る事にいたします」


 そう言って、須藤は、プレゼン・アプリの一枚目のスライドを表示した。

 

  Henry Henri


「ここに挙げたスペルは、実は代表的な綴りで、他にも幾つかの事例があります。興味を抱いた方は、『新・アルファベットから引く外国人名よみ方字典』という人名辞典を参照してみてください。他のスペルも確認できます。

 さて、実は、この人名は、英語では〈ヘンリー〉と発音します。これは、イギリス史に頻繁に出てくる代表的な国王の名前です。 

 これが、フランス語だと、読みは〈アンリ〉となります。フランス史においても、ブルボン王朝以前の、ヴァロワ王朝時代にアンリ~世という国王が何人も確認できます。

 とまれかくまれ、フランスにおける〈アンリ〉とは、イギリスにおける〈ヘンリー〉の仏語読みだった事が分かります。

 これも『新訂 同姓異読み人名辞典 西洋人編』によって確認する事ができます。

 それでは、異なる事例も見てみましょう」


 次のスライドには、こう書かれていた。


  George Grorges


「この人名のスペルも、資料によっては、語尾に〈s〉が有ったり無かったりするようなのですが、英語においては〈ジョージ〉、歴史的には、十八世紀の〈ハノーヴァー朝〉においては、ジョージという名の国王が一世から四世まで続いています。

 フランスにおいては、このスペルを使う国王は存在しないのですが、〈ジョルジュ〉と読み、ポルトガル語だと〈ジオルジ〉となります。


 これがドイツ語だと、〈s〉無しの場合は、〈ゲオルグ〉あるいは〈ゲオルゲ〉、〈s〉有りの場合は〈ゲオルゲス〉となるようです。

 このように、資料によって、語尾に若干の違いがあるらしいのですが、着目したいのは、語の頭の〈Geo〉の読み方で、イギリス、フランス、ポルトガルは〈ジャ行〉、これに対して、ドイツは〈ガ行〉と音が異なっているのが興味深い点であるように思われます。

 それでは、あと一つだけ事例を見る事にしましょう」


 そう言って須藤は、次のスライドを表示した。


  Charles Carle Karl


「語の頭が〈Ch〉の場合、英語では〈チャールズ〉になります。これは、現在のイギリスの国王が〈チャールズ三世〉である事からも分かるように、イギリス王家において使われる人名の一つです。

 これに対して、全く同じスペルのフランス国王が、九世紀のカロリング朝から十九世紀前半の復古ブルボン王朝に至るまで、約千年の間に九名存在し、フランス語では〈シャルル〉と読みます。

 つまり、チャールズのフランス語読みがシャルルなのです。


 そして、世界史を少し齧った方はご存じでしょうが、フランスでシャルルマーニュと呼ばれている歴史上の大英雄で、初代神聖ローマ皇帝には、〈カール大帝〉という呼び名もあって、ドイツ語では、〈Karl der Große〉と綴ります。

 つまり、スペルは違ってしまっているのですが、チャールズやシャルルは、ドイツではカールに相当する分けなのです。

 

 このように、同じ人名でも国によって呼び方が異なる分けなのです。

 とゆう事は、例えば、中世ヨーロッパ〈風〉の異世界ファンタジーを描くのならば、同じ国に、ヘンリーと、ジョルジュと、カールがいるのは、ちょっと変な状況で、そこは、例えば、英国風に、ヘンリー、ジョージ、チャールズといったように、たとえ、異世界ものでも、出身が同じならば、名前を、英国風か仏語風か独逸語風のどれかに統一した方がよいように思われます。


 異世界なんだから何でもありじゃん、という意見もあるかもしれませんが、逆に、異世界ものにおいてこそ、適当な人名によって、読者や視聴者に違和感を覚えさせないような配慮をすべきではないでしょうか。


 ここで最後に、ヨーロッパ風のネーミングをする上で参考となる文献をあげて、今回の発表を終える事にします」


 そう言って、須藤は、教室前方に、参考文献を映し出した。


〈参考文献〉

〈書籍〉

 梅田修、『ヨーロッパ人名語源事典』、東京:大修館書店、二〇〇〇年。

 日外アソシエーツ、『新・アルファベットから引く外国人名よみ方字典』、東京:日外アソシエーツ、二〇一三年。

 日外アソシエーツ、『新・カタカナから引く外国人名綴り方字典』、東京:日外アソシエーツ、二〇一四年。

 日外アソシエーツ、『新訂 同姓異読み人名辞典 西洋人編』、東京:日外アソシエーツ、二〇二二年。

 

 興味を抱いた他の受講生のために、一分間のメモ時間を設けた後で、須藤は発表をこう締め括った。


「今後のわたしの課題は、対象とする人名に関して、〈語源〉なども調べ、今回の発表の指摘に歴史的な視点を加え、深みを増す事です。

 それでは、これにて、わたしの発表を終える事にいたします。

 ご清聴、ありがとうございました」

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