第参講 一〇三〇〇二〇〇:十月のタイム・ループ ~サマータイムナンダ~
「十月の最終週には、毎年どうしても話しておきたい事があるので、今日の講義も寄り道させてください」
「別に構わないっすよ」
最前列の受講生から、そんな声があがったので、一度、首を縦に振ってから、隠井は話を始めたのであった。
「みなさんが、例えばもし、三月の最終日曜日、あるいは、十月の最終日曜日にヨーロッパにいた場合、注意すべき事があります」
「先生、それって、いったい何なんっすか?」
「結論から先に述べてしまうと、欧州では、三月末には、標準時間から夏時間への移行が、十月末には、夏時間から標準時間、いわゆる冬時間への移行が為されるのです」
「具体的には、どんな変化なのですか?」
「まず、十月の最終日曜日、つまり、明後日に実施される、夏時間から冬時間への移行のケースから確認いたしましょう。
十月の場合には、理論上、日曜日の午前三時になった時点で、時計を一時間巻き戻して二時にします。
結果、二時台を二回繰り返すことになり、この日だけ、一日が二十五時間になるのです」
「で、この場合は何が問題なんすか?」
「例えば、待ち合わせが、冬時間の午後〈三時〉だったとします」
「それで?」
「もしも、夏時間から冬時間への移行を知らなかったり、完全に忘れていた場合、その人が三時だと思っているにもかかわらず、実は、未だ〈二時〉だったという事態が起こり得、その結果、その人は、一時間もの時間を無駄にする事になります。
とはいえども、この場合には、たしかに一時間待ちぼうけしても、自分が時間を無駄にするだけなので、、十月の移行の方は、笑い話で済んでしまいます。でもです」
「でも?」
「そう、三月の最終日曜日に起こる、冬時間から夏時間への移行の場合には、より注意を要します。それでは説明いたしましょう」
「おなしゃすっ!」
「夏時間への移行の場合、三月の最終日曜日の午前二時になったら、時計を一時間とばして、午前三時にします。
つまり、三月の最終日曜日は、一日が一時間短く、二十三時間になるのです」
「この場合、何が問題なんすか?」
「例えば、交通機関の出発時刻が、夏時間の午後〈二時〉だったとします」
「で?」
「もしも、夏時間への移行を知らなかった場合、その人が〈二時〉と思い込んでいても、実際には〈三時〉になっていて、結果、一時間もの大遅刻をしてしまう事になります。
これが飛行機の出発時刻だった場合、大惨事です。日本に帰れなくなってしまいます」
「そ、それは、マジでやばいっすね」
「サマータイムがない日本に住んでいる僕の感覚では、十月末の移行は、あまり問題はなくって、むしろ、夏時間の導入の方を知らないと、〈遅れ〉が生じてしまうので、三月末の最終日曜日は、特に注意が必要なのです。
これ、絶対に覚えておいてくださいね」
「「「はいっ!」」」
「でも、時刻の間違いの結果の遅刻ってのは、きっと、サマータイムがない国の人間だけが犯してしまう過ちではないように思えます。
だからなのかもしれません。
欧州の〈夏時間〉の廃止に関しては、以前から議論が為されていて、実は、二〇一九年には、欧州議会において『二〇二一年を最後に欧州全体としての夏時間を廃止する』という法案が可決されたのです」
「先生、そもそも、サマータイムって何でやっているんすかね?」
「欧州の夏って、特に北は本当に陽が落ちる時刻が遅いのですよ」
「で?」
「つまり、時刻を一時間後ろ倒しにする事によって、少しでも長く、天に太陽がある昼間を享受しようというものなのです」
「先生、それって、日がある時に活動し、夜になったら活動を止めるっていう時代にこそ有効な〈時間意識〉ですよね」
「そうだね」
「そう考えると、現代の眠らない町では、その有効性を失ってはいないですか?」
「でも、それって都会中心主義の話で、地方には、太陽の昇り沈みこそが時間の基準って所もあるんじゃないかな? そう考えると、サマータイムが必要な国や地方も未だにあると思うよ」
「なるほどっす。ヨーロッパって広いし、冬には夜が長い国もあれば、逆に、夏が長い国もあるし、トップダウン式に、法的に廃止を決めても、夏時間を止めるのって簡単じゃないように、自分には思えちゃいますね」
「まさに、その意見って的を得ていて、実はこの法案って、あくまでも、欧州全体として、いっせいのせで『同時に実施する夏時間を廃止する』っていう意味に過ぎないのですよ」
「どうゆう事ですか?」
「つまり、欧州全体で同時実施の〈夏時間〉は二〇二一年で廃止で、二〇二二年以降は、欧州各国がそれぞれの判断で、夏時間を継続するかどうか決めろって話なのです」
「って事は、例えばの話、スペインとイタリアは夏時間を採用し、フランスやドイツは夏時間を採用しないっていうのもアリなのですかっ!?」
「アリですね」
「先生、それでは、今日の講義の中で話題になった、夏時間から冬時間への移行って、明後日の日曜日の深夜に行われない国もヨーロッパにはあるのですか?」
「いえいえ、実は、今年は、全ての国で相変わらず夏時間から冬時間への移行は行われるのですよ」
「「「えっ! えっ! えぇぇぇ~~~」」」
「先生、どうしてっすか? 法的に決まった事なのにっ!」
「全ての国が、その変化を拒否したって事ですか?」
「いや、そうではなくて、二〇二〇年の初めに感染症のパンデミックが勃発して、EUも各国政府も、夏時間の廃止をいかにするか、それどころの話ではなくなってしまい、結局、夏時間廃止論は後回しにされ、これに関する議論は進まず、二〇二一年中に廃止か継続かの結論を下せなかったため、二〇二二年の夏時間への廃止は実施できなくなってしまったのです。
で、結局、二〇二二年の三月末は、これまで通りに、欧州統一の〈夏時間〉への移行は実施され、必然、この十月末にも、標準時刻への戻しが行われる分けなのです」
「結局、夏時間の廃止ってどうなるんすかね?」
「欧州議会の法案が可決されていて、国ごとの廃止か継続の選択が先延ばしになっているだけの話なので、数年後には実施される、と思いますよ。
ただパンデミックだけではなく、ウクライナ紛争の件もあるので、もうしばらく、実施には時間がかかりそうなのですが」
「なるほど」
「やがて、近い将来に、一斉夏時間の廃止が欧州で為された後は、夏時間を採用する国もあれば、そうでない国もある可能性が高いので、例えば、欧州周遊旅行をする場合には、国ごとの時刻の違い、特に、列車や飛行機などの交通機関の発着時刻に関しては、これまで以上に、注意しておくべきでしょうね。三月の移行実施日には特にね」
「スマフォで、巡る国全ての時計を設定しておかなきゃいけないかもですね」
「夏時間と冬時間の件って、毎年この時期になると講義の中で話題にするのですが、三月の末に帰国予定だったのに、夏時間への移行の事を完全に忘れていて、飛行機に乗り遅れた教え子が実際にいるので、みなさんは注意してくださいね」
「「「「はいっ」」」
「さて、話をまとめましょう。
三月の夏時間への移行は、時計の針を二時から三時へと跳ばすので、あえていうと、〈三月のタイム・リープ〉です。
一方の、十月の夏時間からの移行の方は、時計の針を、三時から二時に戻して、二時台を二回繰り返すので、こう言ってよければ、〈十月のタイム・ループ〉です。
まあ、今日、話を聞いていても、明日にはどっちがどっちか分からなくなる受講生もいるでしょうが、少なくとも、欧州では、三月の最終日曜日と十月の最終日曜日の二時から三時の間に、サマータイム関連の〈時間的事象〉が起こり得るって事だけは覚えて帰ってくださいね」
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