第陸講 約七〇〇〇と約二五〇〇:世界の言語

「十月頭から始まった、〈秋クォーター〉のこの講義も、十一月の最終金曜日である今日の講義で最後を迎えてしまいました」

「まじっすかっ!」


「本当です。

 さてっと。

 実をいうと、この秋は、〈言語〉を叩き台にして色々と語ってゆく予定だったのですが、数字や日付にちなんだ話題を語ってゆくうちに、予定の講義内容からは完全に逸れてしまった次第なのです」

「もはや何が話題になっていたのか、完全に忘れてしまいましたよ」

「ははは、スマソです

 そこで今日は、内容を強引に初回の話に引き戻すことにします」


 約二箇月も間があいてしまったので、隠井は、最初の講義内容の要点から話を始めた。


「初回の講義では、世界にどのぐらいの数の国が存在するのかを確認しました。

 二〇二二年現在、国連への加入、あるいは、日本の承認国という何れかの条件を充たしている国は、世界に〈一九七〉あります」


 ここで、隠井は数拍間を置いた。


「かくの如く世界の国の数を約二〇〇とした上で改めて考えたいのは、世界に存在する〈言語〉の数です。

 それをクイズにしてみました。勘で応じてください」


 そう言って、隠井は選択肢を提示したのだった。


 1 約〇三〇

 2 約〇五〇

 3 約二〇〇

 4 約二〇〇〇

 5 約七〇〇〇


 数秒後には、アンケート結果が表示された。


 1 約〇三〇:30%

 2 約〇五〇:40%

 3 約二〇〇:05%

 4 約二〇〇〇:10%

 5 約七〇〇〇:15%


「三番が少な目だったね。

 おそらくは、国の数と言語の数は同数ではないであろう、という発想なのでしょう」


 アンケート結果を見ながら、隠井は、拳に顎を当ててしばし考え込んだ。


「二番の約五〇はは国の数の四分の一、そして、一番の約三〇はは国の数の約六分の一って計算になる分けですが、これらの回答が集中したのは、英語やスペイン語など、幾つも国で使われている言葉もあるから、答えは国の数より少くなるという考えなのでしょう」

「その通りっす」

 受講生の一人から、そんな反応が返ってきた。


「先に結論を言ってしまうと、現在、世界には約七〇〇〇の言語があるのです」

「えっ! 国の数の約三十五倍じゃないっすかっ! それ、意味わかんないっすよ」

「例えば、ある空間が〈国〉という一つの単位になっていたとしても、〈国〉が、異なる言語を使用する複数の部族によって構成されている場合もある分けです」

「北海道のアイヌみたいなものかな?」

「まさしく、そういった話で、例えば、ネパールは一二〇以上、オーストラリアは二七〇以上、パプア・ニューギニアにいたっては、八四〇以上もの言語があるそうです」


「先生、〈約〉とか、〈以上〉とか、なんか、数がアバウトっすね」

「それは、仕方がない話なのです。

 今現在、世界の中で把握されている言語は全てではなく、もしかしたら、新たな言語が発見される可能性だってゼロじゃないのです」

「だから、〈約〉とか〈以上〉って曖昧な言い方をするしかないのですか?」

「まさしくその通りなのですが、実を言うと、曖昧な表現を使わざるを得ないのは、新発見への期待というよりもむしろ、絶滅の危惧が原因なのかもしれません」


「どういう事ですか?」

「実は、現存する言語の中には、使用者が極めて少なく、そのため、〈消滅〉の危険に瀕している言語が相当数あるのです」


「先生、一体どのくらいの言語が〈ヤバイ〉んすか?」

「手持ちのデータはちょっと古いのですが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)によると、二〇〇九年の二月の時点で、世界に現存する言語のなかで、なんと約二五〇〇もの言語が消滅の危機に瀕しているそうなのです」


「えっ! そんなにに沢山すかっ!」

「そうなのです。

 そして、消滅の危機の度合いはレヴェル分けされていて、もっとも低いのが〈脆弱〉、次が〈危険〉、その次が〈重大な危険〉、そして〈極めて深刻〉で、最後の〈極めて深刻〉が最も消滅の危険性が高いのです。

 その〈極めて深刻〉という言語は、リストでは太い赤字で記載されています。これが、絶滅危惧、いわゆる〈レッド・データ〉ってやつです」


「先生、日本にも、消滅の危機に瀕している言語ってあるんですか?」

「あります。

 日本では、アイヌ語、 奄美(あまみ)語、八丈(はちじょう)語、 国頭(くにがみ)語、宮古(みやこ)語、 沖縄(おきなわん)語、八重山(やえやま)語、与那国(よなぐに)語、これら八つの言語が消滅危機言語とされ、その中でも特に、アイヌ語は太い赤字のレッド・データになっているのです」


「アイヌ語って、まじでヤバイんすね」

「そうですね。

 そしてさらに、これは、一九五〇年以降のデータになるのですが、リストの中には、太い黒字で記載されている言語もあって、その太い黒字は〈消滅〉してしまった言語を表わしているのです。

 しかも、太い赤字から太い黒字に移行する危険に瀕している言語が、現在進行形で相当数あるので、だから、世界の現存言語の数について〈約〉といった、曖昧な表現を使うしかなかった分けなのです」


 隠井は、ここで水分を口に含み、さらに息を整えた。


「世界の現存言語とか、消滅危機言語とか、〈言語〉という事象は、数多の興味深いテーマを含んでいる題材なのですが、この〈秋Q〉では、わたくしの大脱線のせいで、あまり深くは言語の話に入ってゆかないまま、今年度の講義を終える事になってしまいました。

 自分のプランでは、来年度は、言語という題材について、もっと深堀しりてゆきたい、と考えているので、、もし、このテーマに興味・関心を抱いた受講生は、来年度のわたくしの講義を受講していただけだら幸甚です。


 とまれかくまれ、今日お話しした事は、言語に関する単なる情報にすぎないのですが、それでも、世界の現存言語数は約七〇〇〇、その中の約三五パーセントの約二五〇〇もの言語が消滅の危機に瀕していて、そういた消滅危機言語は日本にも八つあって、特にアイヌ語はレッド・データになっている、こうした事だけは押さえておいて、これらを基本的な教養として、君たちの思考の叩き台にしていただけたら、と考えております。


 今日は秋学期・前半の最後の講義で、実に名残惜しく、話は尽きないのですが、講義終了の時刻も迫ってきたので、今学期、さらに言うと今年度、二〇二二年の文化論の講義は、ここでオシマイにしたく存じます。

 機会があったら、また来年にお会いいたしましょう。

 それでは、みなさん、〈オ・ルヴォーる(再会を)〉」

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