第3レポ 鞍馬山と五条橋の遮那王

 隠井は、第三回目の夏のレポートの締め切り日を、敬老の日を含んだ、十七、十八、十九日の連休の後に設定していたのだが、その三連休の前に早くも提出されたレポートがあった。


          *

 

 日本史コースの二川奈緒です。


 今、国営放送でやっている大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、私も毎週楽しみにしています。

 この時代の話になるのですが、私は、以前から、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝の異母弟である源義経(一一五九〜一一八九)に興味を抱いていました。

 そこで、今回の京都小旅行では、京都において義経と関連のある地を巡ってみる事にしたのです。


 京都における義経として、真っ先に思い付くのは鞍馬山です。

 今、鞍馬山に行く場合には、叡山電車で行くことになります。始発の出町柳駅から鞍馬駅まで約三十分くらいかかります。

 鞍馬駅を降りると、「霊験あらたかな」と言うのでしょうか? 駅の周りは清廉な雰囲気で包まれています。

 そして、駅構内には、義経の絵巻物が飾られていて、駅に着くや、義経の歴史を再確認する事ができます。

 そしてさらに、駅前には、大きな天狗の顔の像があるのですが、それもそのはず、鞍馬山は、天狗伝説発祥の地だからです。


 つまるところ、鞍馬と言えば、取りも直さず、義経と天狗なのです


 源義経、幼名・牛若丸(うしわかまる)は、七歳の時に鞍馬寺に預けられ、寺では、稚児として、〈遮那王(しゃなおう)〉という名で過ごす事になりました。ちなみに、稚児(ちご)とは、剃髪しない少年修行僧のことです。


 そして十一歳の時、遮那王は、鞍馬山で大天狗と出会い、兵法の秘伝を授かり、さらに、毎夜、武芸の修練に励む事になるのです。


 私は、ロープーウェイは使わず、遮那王が鞍馬山でどんな修行をしたかを夢想しながら、鞍馬寺まで歩いてゆく事にしました。

 正直、きつかったです。

 寺に来たというよりも、山登りをした感じで、夏の暑さも手伝って体力をかなり持ってゆかれました。

 とまれ、鞍馬での〈ハイキング〉の際に気付いたのですが、鞍馬山において特徴的だったのは、山のそこかしこに拡がっている〈木の根道〉です。

 鞍馬山の土の質は硬いので、木の根が地中に入ることができないそうです。その結果、根が地上に盛り出たような感じになったのが〈木の根道〉で、実際に歩いてみると、かなり凸凹していて非常に歩きにくかったのですが、翻って考えてみると、この木の根道が、遮那王の脚力を鍛え、壇ノ浦での〈八艘飛び〉を可能にしたらしいのです。


 お山の上に在る鞍馬寺までの道筋は、長く険しいものだったのですが、その道中には、遮那王が鞍馬を出る時に、名残惜しんで背比べをしたという〈背比べ石〉や、修行の際に喉を潤したという〈息継ぎの水〉、さらには、〈義経公供養塔〉などもあり、山の様々な箇所で、遮那王を感じることができました。


 鞍馬山で、稚児時代の遮那王に思いを馳せた私は、鞍馬駅から出町柳駅に戻り、それから、京阪本線に乗って、清水五条駅に向かいました。


 『義経記』によれば、一一七六年六月、数え年で十八歳の義経は、五條天神社で弁慶に出会ったとされています。

 その頃の弁慶は、夜毎、太刀狩りをしていて千本目の相手が義経だったのですが、最初の戦いの際には決着がつきませんでした。

 その翌夜、二人は清水の舞台で戦うことになり、結果、義経に敗北を喫した弁慶は、義経の家来になったそうです。


 しかし、私はここで、はたっと考えてしまいました。

 私が初めて牛若丸の存在を知ったのは、「京の五条の橋の上」というフレーズの歌で、義経と弁慶は五条橋で出会ったものと思い込んでいたからです。

 ちなみに、この五条橋での邂逅の伝説は、明治から大正にかけての作家、巖谷小波(いわやさざなみ)の『牛若丸』が基となっているそうです。

 

 とまれ、私にとっての義経と弁慶の闘いの場は橋なので、私は、五条橋に行ってみる事にしました。

 しかし向かった先は、現代において京都の鴨川に架かっている五条大橋ではありません。

 というのも、平安時代に五条通りだったのは、かつては鳥辺野への道であった、今では〈松原通り〉と呼ばれている道だからです。

 つまり、昔の五条通りと、現在の五条通りは別の通りであり、ということは、平安時代の五条橋は、松原通りと鴨川が交差する所に架かっている橋のはずです。


 かくして、私は見付けたのです、今の五条大橋の上流に架かっている〈松原橋〉を。


 たしかに、今の京都の五条大橋には、牛若丸・弁慶像が存在していて、いかにも、こここそが二人の邂逅の地という誤解をしそうなのですが、人通りの少ない松原橋こそが、平安時代に五条橋があった地なのです。


 松原橋の写真を撮った後、この後の義経と弁慶の行く末に思いを馳せ、橋の前に佇みながら、私は、ちょっと泣いてしまいました。 

 

          *


 それにしても、二川さんは、ここまで、五山の送り火、小野篁の地獄の出入り口、遮那王についてレポートを書いてきたけれど、自己の体験をかくの如く文章化する事によって、お盆の時期の京都小旅行を、余すことなく自分の内に取り込んでいるようだな。

 このような印象を隠井は抱いたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る