京都の夏
第1レポ これって雷神さまの悪戯?:京都五山送り火
日本史コース三年の二川奈緒(ふたがわ・なお)です。
お盆の時期に京都を訪れていた私は、雨の京都を後にして、〈青春18きっぷ〉を利用して東京に戻っているのですが、今まさに、その東海道線の中で、このレポートを書いています。
私の今回の京都旅行の目的は、毎年、京都でお盆の時期に行われている、下鴨神社の〈納涼古本市〉と、八月十六日の〈五山の送り火〉です。
私が〈送り火〉に興味を抱くようになったのは高校時代なのですが、実際に京都に来て、送り火を直に観るのは、今回が初めてでした。
実は昨年は、ネットで〈五山の送り火〉の生中継を観ていたのですが、去年の送り火は、感染症の問題もあって、現地での見物は禁止であったらしく、さらに言うと、それぞれの山で焚かれた火も、ニュースや動画で目にした、数年前の送り火の姿とは全く違ったものでした。
どのように違っていたか、と言うと、二〇二一年、去年の送り火は、チョロチョロっと火が焚かれているだけで、まったく〈字〉にはなっていないように思われました。
私は、ネットで生中継を見ていたのですが、送り火が始まったのに全く気付かずに、配信のページを間違えてしまったのか、と思って、何度もリロードしてしまいました。
そういった分けで、〈リアル・タイム〉、つまり、ライヴで送り火を肉眼で直接視認する、というだけではなく、ちゃんと文字になる、そんな送り火を観たい、という気持ちが、お盆の時期に、私を京都に向かわせたのでした。
〈五山送り火〉は、毎年、八月十六日に行われてきた京都の伝統行事で、原則として、二〇時から始まります。
以前は開始時刻はバラバラだったらしいのですが、観光的な意味合いもあって、〈一九六三年〉から、二〇時に開始時刻が固定されたそうです。
ちなみに、以下が、それぞれの山の点火時刻です。
点火時刻、 字、 山
20:00、大文字、 如意ヶ嶽
20:05、松ケ崎妙法、 西山および東山
20:10、船形万燈籠、 船山
20:15、左大文字、 大文字山
20:20、鳥居方松明、 曼荼羅山
これらは、約十年前の二〇一四年からのものだそうです つまり、松ケ崎妙法と船形万灯籠の点火時刻が五分早まって今のものになったそうです。
かくして、今現在、五分ごとに反時計回りに灯されてゆくそうです。
ちなみに、かつては、大文字こそが最後に点火されていたそうです。
さて、五山送り火が、いわゆる一つの京都の夏の風物詩であるのは確かなのですが、そもそも〈送り火〉とは、一体、何なのでしょうか?
これは、〈送り火〉という名称それ自体が端的に表わしているのですが、お盆の時期に、あの世からこの世にやって来た先祖の霊、京都では〈お聖霊(しょらい)さん〉と呼ぶのですが、このおしょらいさんを、あの世に〈送り〉届けるための行事が送り火なのです。
お盆の時期に山に描いた字の跡に火を灯す、という行事の起源は、江戸時代、あるいは、平安時代にまで遡れるらしいのですが、はっきりした始まりは分からないそうです。しかし少なくとも、江戸時代に行われていたのは確かなようです。
ここで、はたっと私は思いました。
五山送り火は、そもそも〈旧暦〉の行事なので、江戸時代には、旧暦の七月十六日の夜に行われていたはずです。
つまり、月の満ち欠けに基づく太陰暦の七月、すなわち、一年の半分である月の、空の月それ自体が半分になる上弦の月の日に、あの夜とこの世の門が開いて、そこを通って現世にやって来た先祖の霊を、門が閉じてしまう満月の日に、送り出すのが〈送り火〉なのです。
ということは、です。
今の八月十六日のお盆は、旧暦の七月を一ヶ月ズラしたものなので、年月の〈月〉に関しては、七月七日の七夕とは違って、明治以前の本来の伝統行事に準じたものなのです。
そもそも、日本人にとってのお盆は旧暦の七月なのですが、それは、今の暦の八月です。しかし、これを、七夕みたいに、今のカレンダーの七月にズラすような事は、お盆ではされなかったようです。
つまり、北海道や仙台の七夕のように、お盆もまた、旧暦の七月に当たる今の八月に置かれている分けなのです。
しかし、〈日〉に関しては、新暦と同じままです。
月を〈旧暦〉に合わせ、日は〈新暦〉のままの暦を〈中暦〉と呼ぶのですが、今のお盆は、いわゆる、中暦の行事になっているのです。
天に浮かぶ〈月〉と〈おしょらいさん〉の現世への往来に関連があるのならば、本当の意味で、先祖を送り出すのは、旧暦七月の満月の日であってしかるべきで、新暦の八月の十六日ではないはずです。
ちなみに、二〇二二年の八月の満月は、八月十一日だったので、今年に関しては、〈おしょらいさん〉は既に、あの世に帰ってしまっている事になります。
このように、日本のお盆は、本来、月の満ち欠けと関連深い行事なので、欧米のイースターのように毎年日付を変えるべきなのです。
欧米では、毎年、復活祭の日が変わるので、現代において、祝祭日や行事が移動するのは、世界レヴェルでは不可能事ではないはずなのですが、しかし、一ヶ月という幅で変化するような移動祝祭は、ゴールデン・ウィークや年末年始のように、〈お盆休み〉として、長期休みが固定されている日本人の生活サイクルには合わないのかもしれません。
しかし確かに、集団にとっての長期休みを、毎年変えるのは難しいかもしれませんが、個人的には、上弦の月の日に先祖を迎え、満月の日に先祖を送り出す、そのような個人的なお盆をしてみるのも、〈いとをかし〉なのではないか、と私は思っている次第なのです。
そういった分けで、八月の六日から十一日まで実家に帰省して、そこで、旧暦のお盆の時期に、個人的に先祖を迎え、かつ、送り出した私は、中暦のお盆の時期に当たる八月の十四日から十七日まで、三泊四日で京都にやって来たのです。
*
私は、下鴨神社の古本市の最終日に参加した後で、買った本を、出町柳駅近くの宿に置いた後で、身軽になって、出町柳駅付近に戻って、そこで送り火見物をするために、鴨川の川縁に場所取りをしました。
八時の送り火の開始前まで、未だ三時間ほどあったのですが、川沿いには、私のような気が早い見物客が、なるべく良い位置で観る為に陣取りを始めていました。
私は今年が初めての送り火参加なので、ネット中継の定点カメラみたいなのですが、如意ヶ嶽の〈大〉の文字を、先ずはじっくり見てやろう、と思って見物場所を出町柳にしたのです。
しかし、日が沈み、空が暗くなり始めると、それとタイミングを同じくして、濃い灰色の雲が空を覆い始め、そして、ピカっと稲妻が光って、雷鳴が轟き出しました。
この時、時計は七時を少し回ったあたり、私は、あと一時間、天気が保ってくれる事を祈っていたのですが、その願いも虚しく、ぽつりぽつりと雨滴が落ち始めたかと思うと、瞬く間に、バケツをひっくり返したような、土砂降りの雨になってしまいました。
そして、私を含め、多くの見物客は、雨を避けて橋の下へと移動し、雨が弱まるのを待つ事になりました。
雨が小雨になるのを待って、川沿いで送り火を見物するにせよ、出町柳駅まで移動するにせよ、もう少し雨足が弱まるのを橋の下で待つしかなくなりました。
すると、です。
警備の方から、橋の下にいた私たちに対して、大雨のせいで、鴨川の水位が上がって、増水の危険があるため、速やかに退去するように、との警告が為されたのです。
これが七時四十分頃、橋の下には半時間ほど居たことになるのですが、橋の下から駅まで人の流れができたので、私はその流れに乗って、未だ弱まっていない雨の中、とりあえず出町柳駅まで移動し、屋根がある所で、しばし様子を見る事にしました。
駅に着いた私は、五山送り火を観るために京都に来ていたのに、全身がずぶ濡れになってしまっていたため、もう帰ってお風呂に入りたい、と心が折れかけてしまいました。
それから十五分ほど経った頃でしょうか、八時少し前、本来なら、送り火が始まる時刻までもうすぐです。
この時、雨は小雨になり、なんと、殆ど止んでしまったのです。
私の周りにいた誰かから「神ってる」と呟く声が漏れ出ていました。
私も、神懸かったような天候の変化に驚き、帰りたい、という気持ちは、いつの間にか完全に消え失せ、少しでも、送り火を見物しよう、と雨が上がった空の下、滑らないように足下を注意しながら、駅から鴨川沿いに移動したのでした。
送り火は、八時開始のはずだったのですが、やはり、というか、突然の雨のせいで、即座に火を点ける事は出来なかったようです。
もしかして今年は、この雨のせいで中止になるか、あるいは、去年みたいに、蝋燭みたいな〈小〉文字で終わってしまうのか、なかなか火が点かないお山を眺め、視線の角度を変えるために、身体をずらしながら、私は、そんな事を考えていました。
そして、ようやく、です。
八時十五分頃でしょうか、如意ヶ嶽に、小さな赤い火が見えた、かと思うと、どれが文字か分かんないって、そんなレヴェルの小さな灯火などではなく、誰の目から見ても、はっきりと〈大〉と分かる、真っ赤な文字が山に浮き出たのです。
文字はしばらく燃え続けた後で、徐々に薄くなってゆき、残り火が微かに見える、あるいは、ほとんど消えている状況になったのは九時頃でした。
実は、鴨川の川沿いからでは、定点カメラと同じように、如意ヶ嶽の〈大〉の文字しか見えませんでした。
昔のニュースでは、出町柳の駅周囲から見物する様子が報道されていたので、私も、ここから五山の送り火見物をする事にしたのですが、〈大〉の字が最も美しく見えるこの位置からでは、残念ながら、他の四つの文字を観ることはできませんでした。
今年は、私にとって最初の送り火、まずは〈大〉から始めて、来年以降、他の四つも、この肉眼で視認したい、と私は思いました。
それにしても、です。
開始一時間前の突然の雷雨、増水した鴨川からの緊急避難、開始時刻直前の雨上がり、私にとっての最初の京都五山の送り火は、かくして、忘れ得ぬ記憶として脳に刻まれる事になったのでした。
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