令和四年度(2022年度)夏〈の〉自由研究

第0講 時は無慈悲な鈍化の大王

 時は、八月十一日の〈山の日〉を過ぎ、大学の夏期休業期間に入ってから早くも二週間が経過せんとしていた。

 いわゆる、大学の夏休みは、およそ二ヶ月間、小中高の夏休みのおよそ二倍なのだが、しかし、大学生として、いざ夏期休暇を過ごしてみると、感覚的には決して長くはない期間である。

 短い、とはいえども、主観的に短い夏休み期間とは、何もせずに自堕落に過ごしてしまうと、学期中に四ヶ月かけて培っていった情報や知識が、記憶の表層から綺麗さっぱり消え去ってしまうには十分な時間なのだ。


 だからこそ、小中高の多くは、生徒達にとっては天敵たる〈夏休みの宿題〉を課しているのであろう。

 一学期の内容を完全に忘れられたら、二学期の授業が滞ってしまうからだ。

 したがって、夏休みの初め、七月中に、友達と協力してさっさと宿題を終わらせてしまうのも、八月三十一日に、家族の手を借りて宿題をギリギリに終わらせるのも、どちらも、一学期中の情報・知識の維持という、夏休みの宿題の本質的な意義においては、宿題の効果は薄いものになってしまう。

 

 もちろん、生徒の中には、学校から強制的に宿題を出されなくとも、規則的に学習を継続させるような者もいるかもしれない。だがしかし、そのような学習意欲の高い者は、ぶっちゃけ、全体のエッジ・数パーセントだけであろう。

 大学に入学して、自ら進んで学ぶべき存在たる〈学生〉になったとはいえども、つい数ヶ月前まで、親や教師に強要されてようやく、しぶしぶ机に向かっていた者たちが、大学生になった途端に自発性が覚醒し、空気を吸うように机に向かうようになる、と考える方が、むしろ夢想的だ。

 さらに言うと、生徒時代のように、夏休みの宿題という強制事がない分、何もしないままに休みを終えてしまう大学生も決して少なくはないだろう。


 そういった次第で、隠井は、自分の講義の受講生に、夏休み用にレポートを課す事にしたのである。


 題目は「夏〈の〉自由研究」


 きちんと定着していない知識が、間を空け過ぎると、思い出せなくなってしまうように、思考能力もまた同様に、考える機会が減じるとすぐに、感覚は鈍くなってしまうものなのだ。


 つまるところ、人は、書くことによって、物を見、感じ、考える存在だからである。

 だからこそ、定期的に書かなければ思考も鈍ってしまう。

 そういった分けで、隠井は、受講生に定期的なレポートを課す事にした次第なのだ。


 夏レポートは、課題なので、秋学期の成績評価の参考にはするものの、提出は強制にはせずに、受講生に思考する機会を与える、というスタンスをとる事にした。

 そしてさらに、テーマも上記のように自由度が高いものにした。

 その目的は、定期的な執筆によって、思考能力を鈍化させない事なので、素直に言うと、何をテーマにしても構わなかったのである。


 さてさて、初回の〆切は、お盆明けに設定したのだが、いったいどんなレポートが隠井の元に届くのか、実に楽しみである。

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