第06講 土用の七夕の日

「感覚的に言うと、七月いっぱいで、大学の前期講義は終りなのですが、大学当局からの〈強い要請〉のせいで、八月の最初にエクストラ講義を実施せざるを得なくなりました」

「先生、『エクストラ』って?」

「まあ、言い換えれば『補講』ですね。

 ってな次第で、八月の最初の金曜に補講を入れます」

「「「えっ~~~~~~~~~」」」

 

 こんな話をしたのが七月の二十日、〈土用入り〉の日のことであった。

 それから二週間が経過した八月五日のことである。


「今学期は、〈暦〉の話をする機会が多かった分けですが、暦の観点からみると、昨日、〈八月四日〉って、実に興味深い日なのですよ」

「先生、いったい、どういった点が面白いのですか?」

「まず、昨日は、いわゆる〈土用の丑の日〉だったんですよね」

「あれ、土用の丑の日って、七月二十三日の土曜日だったんじゃ?」

「おっ、よく、日付と曜日まで覚えているね」

「えっと、うちの父が、『今年の〈土用〉の丑の日は〈土曜〉なんだよ。ウッシッシ』って親父ギャグを言っていたので、なんか記憶に残っているのです」


「えっ! 〈ドヨウのウシの日〉って、そもそも、土曜じゃないんすか?」

「それは、〈ドヨウ〉違いだって」


 そこで隠井は、〈土用〉について説明を始めた。


「〈旧暦〉では、一年を春夏秋冬の四つの季節に分け、さらに、その四つの季節を六つに分けたものが〈二十四節気(にじゅうしせっき)〉で、これは、農作業の目安にするために中国で作られた暦です。

 具体的には、〈春〉は、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、〈夏〉は、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、〈秋〉は、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、そして、〈冬〉が、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒という二十四の〈節気〉に分かれています。

 そして、例えば、一月節気(節)、一月中気(中)(気)といったように、〈節〉と〈気〉が交互に来るようになっています。

 こうした中国で作られた二十四節気に対して、日本における季節の変わり目の補助的な目安とするために、日本おいて作られたのが〈雑節(ざっせつ)〉よ呼ばれる暦です。例えば、〈節分〉や〈彼岸〉、〈八十八夜〉や〈入梅〉などが雑節に当たり、いわゆる〈土用(どよう)〉も、そうした雑節の一つなのです」


「先生、それじゃ、〈土用〉とは、具体的に、どんな季節の変わり目なのですか?」

「春夏秋冬、それぞれの最初の節気が、旧暦の一月節の立春、四月節の立夏、七月節の立秋、十月節の立冬なんだけれど、立春・立夏・立秋・立冬の前日までの約十八日間が、いわゆる〈土用〉なのです」

「って事は、春夏秋冬それぞれに、土用があるってことになりますよね。でも、春の土用の丑の日とか、冬の土用の丑の日とかって、あんまり耳にしないですよね?」

「まさに、その通りです。

 たしかに、季節ごとに土用があって、ちなみに、二〇二二年に関して言うと、冬の土用は、入りが一月十七日、明けが二月三日、春は、入りが四月十七日、明けが五月四日、秋の土用は、入りが十月二十日、明けが十一月六日、そして、夏の土用の入りは七月二十日、明けが八月六日なのですが、現代では、単に〈土用〉といえば、通常、夏の土用のことを指すのです」


「先生、それじゃ、そもそも、土用の〈丑の日〉ってのは?」

「旧暦では、日に関しても、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支で数えていたので、日付も十二日周期で一巡りする分けです。ということは、約十八日間の土用、夏の土用の間に、丑の日が一日ある年もあれば、二日巡ってくる年もある分けで、今年、二〇二二年に関して言うと、七月二十三日と八月四日の二日が、夏の土用の〈丑〉の日に当たっている次第なのです。

 ちなみに、最初の丑の日を〈一の丑〉、二度目の丑の日を〈二の丑〉と呼びます。

 だから、今年、土用の丑の日が二度あるのも、ことさらおかしな話ではないのです。しかし何故か、最初の土用の丑の日である一の丑に比べると、二の丑の方は、さしてフューチャーされないんですよね」


「先生、自分、思うんすけど、今年は、最初の丑の日が土曜日だったので、土用と土曜の〈ダブル・ドヨウ〉のインパクトが、特に印象、強めだったのでは?」

「ハハハ、たしかに、そうかもな」


「で、SNSや、その他のメディアにおける取り上げ方が、我々の大多数における一般的な認識の裏付けになっているのかもしれないけれど、〈二の丑〉と似たような、等閑視って事態が、旧暦の〈七夕〉にも認められるように思えるんですよね」

「先生、どうゆう事ですか?」

「本来の七夕、旧暦の七月七日って、七月の上弦の月に当たるんだよね。

 これが、明治の初めに改暦された際に、日付の方に合わされて、新暦の七月七日が〈七夕〉って事にされて、今じゃ、みんな、新暦の七月七日に願い事をするけれど、本来、この日は、月齢の上では七夕ではないわけ。こう言ってよければ、地上の人間の都合によって変更されちゃったものに過ぎないんだよ」

「ちなみに、北海道や東北では八月七日が七夕でしたよね」

「そっ。でも、北海道の七夕は、たしかに一ヶ月遅れで、月は旧暦に合わせているけれど、日付はそのままの、いわゆる〈中暦〉を採用しているわけで、これも月齢の点では七夕ではないんだよ。

 本来の七夕において重要なのは、一年の半分の〈月〉の半月の日、つまり〈上弦の月〉っていう点なんだよ」

「そうなんすね」


「もはや、現代において、新暦における七月七日を七夕だと認識するのは致し方ないことだと思うけれど、それでもやはり、旧暦七月の上弦の月の日が本質的な意味での七夕だということも、もう少し、世の中に浸透して欲しい。本質を分かった上での変化の受容であって欲しいって思うのですよ」

「今年の本質的な七夕っていつでしたっけ?」

「そ・れ・は」

「それは?」

「八月四日ですよ」

「「「昨日じゃん!」」」

「でも、昨日は天気があまりよくなくって、日暮れすぐ後に見れるはずだった七夕の上弦の月は肉眼で視認でませんでした。残念です」


「とまれ、昨日、八月四日ってのは、〈二の丑〉であると同時に、旧暦の本来の七夕なのでした。


 現代人である我々は、新暦のカレンダーに基づいて日々の生活を送っているのは確かなのですが、我々の日々の生活の各所には、旧暦由来の行事が幾つも認められます。

 例えば、土用の丑の日がその一つでしょう。そして、それらを、我々は自然に受け入れているのですが、背景になっている旧暦に対する知識が、我々には欠落してしまっているように思えます。

 でも、でもです。

 例えば、ほんの少しだけ、旧暦に対する知識さえあれば、七夕とは、実はどんなものなのか? 土用の丑の日って何なのか? どうして二度ある年があるのか? などなど、少し物事に意識的になるだけで、その心掛けが、本質的な〈理解〉に繋がってゆくように思われます。


 旧暦に対する事柄は、ほんの一例なのですが、知っている・知らないという単なる情報ではなく、物事を考察する上で理解不可欠な知識を、みなさんにはどんどん蓄えていっていただきたい、と考えています。


 さて、これをもってして、前期講義を終了いたします。


 たくさん本を読んで、たくさん映画を見て、たくさん美術館・博物館にいって、それらをソースに、たくさん思考して、みなさんが、学生として有意義な夏休みを送れることを期待しています。


 それでは、また次の機会に」


〈参考資料〉

「二十四節気」、『日本の暦』、二〇二二年八月五日閲覧。

「雑節」、『NHK放送文化研究所』、二〇二二年八月五日閲覧。

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