第04講 新暦七月七日、上弦の月門:七夕その1
関東甲信越地方が、観測史上二度目の六月の梅雨明けを迎えたのは〈六月二十七日・月曜日〉で、それから十日が経過した〈七月七日〉のことである。
「先生、〈七月十九日〉が梅雨明けってことは、〈海の日〉の前後が、いつもの梅雨明けっすよね?
それじゃ、普通の年の七月七日、七夕の時期って、どう考えても、曇りか雨がデフォルトっすよね?
ってことは、七夕が晴れるのってアリエナクないっすか?」
「まあ、梅雨でも晴れる可能性はゼロじゃないから、晴れの七夕は『あり得る』とは思うけどね」
こうしたやり取りが呼び水になったのか、教室の各所では、七夕についての様々な意見が飛び交い始めていた。
「織姫と彦星って一年に一回しか会えないのに、さらに、七月七日が晴れなきゃ、会えないなんて、デートの条件、厳しすぎぃぃぃ〜〜〜」
「でも、異例の早さで梅雨明けしたんだから、今年の七夕は、晴れる可能性が高いんじゃね?」
「でもさ、今週は、梅雨明け宣言したのに雨が多くて、今朝も曇りだったじゃん」
「ところで、今日の夜の天気ってどうなってんだろう? 晴れんのかな?」
「でもさ、でもさ、たとえ雨が降っても、そもそもの話、空の上は、いつも晴れてるよね、実際」
「それなら、天の上の話だから、地上の天気って関係ないってことになる?」
「先生、自分、七夕の起源って中国の風習で、平安貴族が、その中国の風習を真似したって、何かで読んだ記憶があるんすよ」
「それで?」
「ってことは、そもそもの話、七夕って、中国や日本の〈星祭〉じゃないっすか。
で、この前の話の続きになるんすけど、〈梅雨〉の語源が中国の梅が熟す季節で、この長雨が東アジア特有の気象ってことは、六月の初めから七月半までって、晴れる確率って低いっすよね。
自分、思うんすけど、この曇りと雨の多い〈梅雨〉の時期に、オリヒメとヒコボシの出会いの時期を設定するなんて、伝説とはいえども、出会いの難易度が高すぎて、物語の設定がバグっているような気がするんすよね」
「……。『設定』って、表現!
あっ、でも、そもそもの話で言うと、今の暦、つまり西暦における七月七日って、厳密な意味では七夕じゃないんだよね」
「「「「「「「「「えっ!」」」」」」」」」
教室にいた受講生の大半が、同じタイミングで驚きの声をあげた。
「一体、どうゆうことですか?」
「日本がさ、〈西暦〉いわゆる〈新暦〉を採用したのは、明治維新の後で、これを〈明治改暦〉って呼ぶんだけれど、それって明治六年なんだよね。
その新暦が今なお使われているんだけれど、新暦が、西欧で使われていた〈太陽暦(グレゴリオ暦)〉なんだよ」
「暦がチェンジした、細かい年までは知らなかったっすけど、今の暦が太陽暦ってことは知っているっす」
「そっか。
で、当然、明治五年まで使われていた旧い暦が、〈旧暦〉なわけで、東アジアや日本で使われていたのが〈太陰暦〉なわけ」
教室の何処かから学生の声があがった。
「そっか。〈七夕〉は、平安時代にまで遡ることができる行事だから、太陰暦の七月七日に行われていたんだ、きっと!」
「つまり、そおゆう事さ。
で、新暦の太陽暦と旧暦の太陰暦とでは、当然、暦計算の論理が違うんだよ」
「そういえば、そうっすねっ!」
「ざっくり言うと、明治六年以降の今の暦と、明治五年まで……、紛らわしいので、もう江戸でいっか、江戸時代までの旧い暦との違いってのは、月が一ヶ月ずれていて、旧暦の七月が、今、八月に当たる分け。
だから、本来の七夕って、今の暦の八月って分けさ」
「それじゃ、新暦になった時点で、七夕も、一ヶ月ずらして八月七日にすればよかったんじゃないっすか!? それならば、梅雨の時期を避けられたのに」
「改暦の際に、旧暦に行っていた行事を〈新暦の同月同日〉に行うか、いわゆる、〈月後れ〉、つまり〈新暦の一ヶ月後の同日〉に行うかって議論はあったらしいよ」
「やっぱり」
「でも、日付優先主義なのか、それは分かんないんだけれど、結局、元々の旧暦に基づいた行事はそう多くはないみたいだよ」
「先生、よろしいでしょうか? わたし、北海道出身なんですけれど、七夕って〈八月七日〉だったのです」
「あたし、東北出身だけど、仙台も八月だよ」
「ですよね。だから、上京して、今日、〈七月七日〉が七夕ってことに違和感を覚えていたのです。
これまで全く意識したことがなかったのですが、仙台や北海道では〈月後れ〉、その、旧暦に基づく七夕を行っていたってことなのでしょうか?」
「その通りだよ」
このやりとりを聞いていた別の学生がこんな感想を漏らした。
「北海道は〈蝦夷梅雨〉を除いて、原則、梅雨はないのだから、むしろ、北海道が新暦の七月七日、本州から九州が旧暦の七月七日、つまるところ、今の八月七日に七夕をやれば、曇りや雨を避けられるし、それで話は丸く収まらないっすか?」
「斬新な意見だな、それ」
教室では、自分の出身地ではどうだったかなど話が飛び交っていた。それが収まるのを待ってから隠井は話を再開した。
「でもさ、実は、厳密な意味では、北海道や仙台の七夕も、必ずしも、旧暦の七夕にぴたり当たっている分けではないんだよ」
「「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」」」
「先生、どおゆうことですか?」
「たしかに、北海道や仙台の七夕は、元の旧暦に合わせているんだけれど、それはあくまでも〈月〉ってだけの話で、〈日〉は同じで、〈月〉、マンスだけ一ヶ月後れにして、今の暦の八月七日に七夕が行われちゃっているんだよね。その新暦を、一ヶ月遅れにした暦を〈中暦〉って呼ぶんだよ」
「先生、八月七日の一月後れの、〈中暦〉の七夕の何処におかしな話があるんですか?」
「旧暦ってのはさ、月の満ち欠けに基づいているわけで、旧暦では、満月が十五日で、〈上弦の月〉、ムーンが七日だったんだよね」
「どうゆうことっすか?」
「つまり、〈中暦〉の七日七日、今の八月七日が、必ずしも〈上弦〉に当たるわけじゃないって話だよ。
ちょっと待って、たしか、国立天文台が、旧暦の七夕に当たる日を提示していたな」
隠井は、国立天文台のサイトにアクセスし、二〇一五年から二〇三〇年までの八月の上弦の日、旧暦の七夕の日を提示した。
二〇一五年八月二〇日
二〇一六年八月九日
二〇一七年八月二八日
二〇一八年八月一七日
二〇一九年八月七日
二〇二〇年八月二五日
二〇二一年八月一四日
二〇二二年八月四日
二〇二三年八月二十二日
二〇二四年 八月一〇日
二〇二五年 八月二九日
二〇二六年 八月一九日
二〇二七年 八月 八日
二〇二八年 八月二六日
二〇二九年 八月一六日
二〇三〇年 八月 五日
「このデータを見てみると、今年は新暦の八月四日が旧暦の七月七日みたいだけれど、〈中暦〉の七日が〈旧暦〉の上弦の月の日とぴたり一致したのは二〇一九年だけみたいだね」
「先生、そもそも、どうして、旧暦の〈七月〉なんすかね?」
「〈七月〉ってのは、一年のちょうど半分で、さらに、七月に右側半分だけが輝いている〈上弦〉の月が在る夜ってのは、まさに、真の意味での一年の半分なんだよ。
七夕ってのは、〈旧暦〉のお盆とも関連があって、七夕の上弦の月の夜には、あの世とこの世が半分になって、その結果、あの世とこの世の門が開くんだ。だから、この世に御先祖さまが帰って来るって話なんだよ。
それから、月は徐々に満ちてゆくんだけれど、十五日の満月の日には、この夜とあの夜の門が閉じられてしまうから、旧暦の七月十五日、お盆の最後の満月の夜には、その門が閉じちゃうので、先祖を、あの世に送り出すってわけなのさ」
「あっ! 送り盆、〈大文字〉ですね」
「そう。
これは、僕の考えって話になっちゃうんだけれど、織姫と彦星が会えるのは一年の真ん中で、ある世界と別の世界の門が開くってことと、何らかの関連があるのではないかって話」
「例えば、ワープ・ゲートみたいな感じなのでしょうか?」
「それ、面白い考えだな。メモメモ」
隠井はちらっと時計に目をやった。
「さて、そろそろ時間みたいだから話の閉めに入ろうか。
月の満ち欠けを基準にした〈旧暦〉、西欧の暦を採用した〈新暦〉、新暦の暦を一ヶ月ずらし、月は旧暦に合わせ、日は新暦のままの〈中暦〉、まあ色々あるわけで、現代に生きている僕たちが、西暦に基づいて、二〇二二年七月を七夕って考えるのは致し方ないとしても、僕の意見では、七夕において重要なのは日付じゃなくて〈上弦の月〉ってことなんだよ。じゃなきゃ、その『ワープ・ゲート』も開かんしな。だから、せめて、新暦の上弦の月の日を七夕に設定するべきって思うんだ」
「先生、新暦の七月の上弦っていつなんすか?」
「ちょっと待って、調べてみるわ。……。あっ!」
新暦二〇二二年七月の上弦は、なんと、七月七日、今日この日であったのだ。
〈参考資料〉
〈WEB〉
「伝統的七夕について教えて」、『国立天文台』、二〇二二年七月七日閲覧。
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