第03講 ヴァイウ前線、異常アリ

 六月二十四日・金曜日のことであった。

 朝一の講義準備をしていた隠井の耳に、学生たちが交わす、こんな会話が聞こえてきた。


「もう三十度を超えているし、ほとんど真夏じゃね」

「一昨日、昨日は曇っていたけれど、今日は、めっさ晴れているし、もしかして梅雨って終わった?」

「そういえば、『梅雨明けした』ってツイート、昨日、TLでみかけた気がするわ」


 たしかに、今年の六月は雨が少ない印象だが、六月に〈梅雨明け〉って話はないだろう。

 そう思った隠井は、一限目の集まりがよくなかった、ということもあり、講義のイントロとして、〈梅雨〉を叩き台に話をする事にしたのであった。


「みなさん、おはようございます。

 今朝は、なんか人が少ないみたいなので、しばらく、話をする事にします。

 今日はピーカンな青空ですが、未だ六月の真っ最中です。

 たしかに、ここ最近、高温の日が続いてはいますが、雨が降っていないからといって、〈梅雨〉が明けた分けではありませんよ。

 未だ六月でしょ。いくらなんでも早過ぎるって。


 そもそも、関東甲信越地方における〈平年〉の梅雨入りは〈六月七日〉頃で、梅雨明けは〈七月十九日〉頃、つまり、梅雨とは、約一ヶ月半もの長丁場の曇天と雨の季節なのです。

 まあ、教員である僕にとっては、〈中間理解度確認〉の終わりが梅雨入りで、梅雨が明けると〈期末理解度確認〉って感じなのですけどね。


 今年、二〇二二年に関しては、関東甲信越地方の梅雨入りは〈六月六日〉の雨の月曜日に宣言されました。これは、平年よりも一日早く、そして、昨年よりも八日早い梅雨入りだそうです」


「先生、自分、六月の雨季が〈梅雨〉ってのは、日本の恒例行事みたいなものなので、それは分かっているんすけど、なんで、梅雨の時期に雨の日が続くのか、梅雨の仕組みが理解できていないんすよね。いったい〈梅雨〉ってなんなんすかね?」

「梅雨に雨が降り続くメカニズムが知りたいって事かな?」

「そうっす!」


 かくして、隠井は、梅雨の時期に雨の日が続く、そのメカニズムを説明し始めたのであった。 

「ざっくりとした話になるけれど、日本の空の上には、いくつかの、大気の塊が存在しているんだよね。例えば、北側のオホーツク海方面には、冷気の塊があって、それが〈オホーツク冷気団〉、一方、南側の太平洋方面、小笠原の辺りにある暖かく湿った大気の塊、この暖かい高気圧が〈小笠原暖気団〉って呼ばれているんだよ。

 で、この〈オホーツク冷気団〉からは冷たい北よりの風が、〈小笠原暖気団〉からは、当然、南よりの暖かく湿った風が吹き出しているんだけれど、この真逆の二方向からの、冷たい北風と暖かい南風がぶつかり合うと、そこに、上昇気流が起こって雲が発生し、結果、雨が沢山降るって分けなんだよ」

「先生、冷風と暖風がぶつかると、雲ができて雨が降るってのは分かったのですが、どうして、それが、一ヶ月半も続くんすかね」

「あぁ、それはね、冷たい風と暖かい風のぶつかりは一度っきりの〈点〉の事象ではなく、気団のぶつかりは、九州から東北までの長い〈線〉で為されていて、それらの冷気団と暖気団の揉み合いは、おしくらまんじゅうみたいに長く続く〈停滞前線〉なんだけれど、それが、六月から七月の約一ヶ月半の間、日本上空で押し合いへし合いをし続けて、これが〈梅雨前線〉って呼ばれているんだ」


「先生、その『なんとか団』の衝突とか、勢力争いって、なんか、中学の不良グループや、暴走族のシマの奪い合いみたいっすね。『〇〇リベンジャーズ』的な」

「ぷっ! それ言い得て妙だな。ウケたわ」

「先生、要するに、〈ヴァイウ前線〉って、ゾクのナワバリの境界線で、そこでは、一対一のタイマンではなく、血みどろならぬ、〈雨みどろ〉の集団の戦い繰り広げられているって感じっすかね」

「まあ、そういった、〈抗争〉に喩えるって発想は、今まで思いつかなかったわ。だけど、まさしく、そんな感じなんだよね。

 で、その気団抗争は、毎年、南側の暖気団の方が優勢になって、そのナワバリのラインは徐々に北上していって、例年、七月の半ば頃に北海道に達する前に、抗争は終結して、〈ヴァイウ前線〉は消失し、曇天と雨の梅雨の時期は終わりを告げるって話なんだよ」

「なるほどっす。かくして、オガサワラ団の全国制覇が為るんすね」

「あっ! そっか、だから、北海道には梅雨がないんすね」

「まあ、稀に、梅雨前線の消失の時期が伸びて、梅雨の末期に梅雨前線が北海道にまで達する時があって、その梅雨の末期の北海道の梅雨は〈蝦夷梅雨〉って呼ばれているんだよね」

 

「ところで、そもそもの話なのですが、〈つゆ〉って〈露雨〉って漢字を当てても構わないように思えるのですが、どうして〈梅〉に〈雨〉って書いて〈梅雨〉なんでしょうかね?」

「その由来には諸説あるらしいんだけれど、六月から七月にかけての長雨って、日本だけじゃなくって東アジアで起こる季節現象らしいんだけれど、ちょうど、その時期に中国では梅の実が熟すので、梅の時期に振る雨だから〈梅雨〉って漢字が使われていて、それが、日本で当て字として使われたって説があるらしいよ」

「〈当て字〉とか、これもなんか、〈ゾク〉っぽいですね」


 そんな〈梅雨〉に関するイントロをしている間に、列車の遅延のせいで遅刻していた学生もぼちぼち出揃ってきたので、隠井は、梅雨関連の話をここで切り上げたのであった。


               ✳︎


 そんな話をした、六月二十四日・金曜日の夕方のことである。

 日本気象協会が発表した「2022年梅雨明け予想」が、さまざまな天気関連サイトにて提示された。


 これらの記事によると、九州、中国、近畿、東海、関東甲信越地方においては、〈太平洋高気圧〉の「北への張り出しが強まり」、日本列島を〈高気圧〉が覆うことになる。

 その結果、「七月十九日頃」が平年の梅雨明けなのだが、二〇二二年に関しては、「異例の早さ」、すなわち、「六月下旬」に梅雨が明けるとの予想がなされた。

 実際に、この予想が実現した場合、九州北部、四国、中国、近畿、北陸、東北南部においては、六月の梅雨明けは初、東海と関東甲信越に関しては、観測史上二度目になるらしい。

 ちなみに、平年よりも三週間ほど早い梅雨明けの後、気温が高めの暑い期間がより長く続く可能性があり、「危険な暑さ」への警戒が為されていた。また、梅雨の時期が短かったということは、平年よりも降水量が少なかった事を意味する分けで、いわゆる〈水不足〉への注意も指摘されていた。


 この日の午前中の講義で、「六月の梅雨明けなんて、早過ぎるでしょ」って話を学生にしたばかりだったのに、まさか、その舌の根も乾かない、同日の夕方に、観測史上初と呼んでもよい、異例の梅雨明け予想が出されるなんて……。

 週が明けた来週の講義に、この事を語らないわけにはいかないな、と思った隠井であった。


 それから三日後の六月二十八日・月曜日の夕方、金曜日の予想通りに、関東甲信越地方では、観測史上二度目の関東甲信越地方における六月の梅雨明け宣言が為されたのであった。


 かくも早く梅雨が終わるなんて……。

 二〇二二年のヴァイウ前線は〈異常アリ〉だ。


〈参考資料〉

〈WEB〉

「2022年梅雨明け予想 異例に早い6月下旬か 猛暑による熱中症と水不足に警戒を」(2022年6月24日16:23付)『tenki.jp』、二〇二二年六月二四日閲覧。

「関東甲信、最も早い梅雨明け 東海と九州南部2位、期間最短―週内は熱中症警戒」、『JIJI.COM』、二〇二二年六月二七日閲覧。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る