〈梅雨〉から〈盛夏〉のあれこれ
第02講 アジサイの花
此処彼処で色鮮やかな花々を目にする季節になった。
薄紅色の桜が卒業や入学を告げるように、この青・紫・赤の花は、大学の前期講義の半ばが過ぎた事を知らせてれる。
学名「ハイドランジア」、和名「アジサイ」の名で親しまれている、この手毬状の花の見頃は、五月から七月であり、それゆえに、アジサイの花を見かけるようになると、梅雨入り、隠井にとっては、中間試験の時期の到来を意味しているのだ。
そんなとある日、隠井は、担当している講義において〈中間理解度確認〉を行った。
ちなみに、昨今の大学では、通常の十五回の講義内において、いわゆる〈試験〉を行わないように当局から言い渡されているため、「試験」や「テスト」という文言が使えず、その結果の苦肉の策が、「理解度確認」という呼び方なのである。とは言えども、その実情が〈中間試験〉であることに変わりはないのだが。
最後まで教室に残っていた受講生が、答案用紙を教壇にまで持ってきた時、その学生は、窓の外に視線を送りながらこう呟いた。
「紫陽花の花の色って、どうして、あんな風に色が分かれているんですかね? 同じ木から花開いているのに、違う色の場合もあるし、不思議ですよね。色の違いって、遺伝とかと関係があるのかな?」
「ああ、それはね……」
残っている学生が一人だけということもあって、隠井は、アジサイについて語り出したのであった。
「アジサイの色を決定付けているのは、遺伝じゃないんだよ」
「じゃあ、何が原因なのですか?」
「〈アントシアニン〉だよ」
「案としあ人? 何ですか、それ?」
「ア・ン・ト・シ・ア・ニ・ン」
「ア・ン・ト・シ・ア・ニ・ン、アン・ト・シア・ニン、アン・トシア・ニン、アントシア・ニン、アントシアニン、よし、覚えました」
目の前の学生は、五度ほど、唱えるように小声で言い続け、脳に単語を刻み込んだようであった。
「〈アントシアニン〉ってのは、ざっくり言うと、植物が持っている天然色素の一つなんだよ」
「へえ」
「問題の〈アントシアニン〉が、アジサイに含まれている分け。で、通常、アントシアニンの色素は〈赤色〉なんだよ」
「たしかに、赤いアジサイって見かけますね。あれっ!? じゃあ、なんで、紫陽花は、青や紫があるんだろう?」
「実はさ、このアントシアニンは、〈アルミニウム〉と反応すると〈青〉に変化するって性質を持っているんだよ。
つまりさ。土壌に溶けたアルミニウムを含んだ水、その水の吸収度合いに応じて、アジサイの花の色は変化してゆくんだ」
「先生、つまり、アルミニウムを吸収しなかったアジサイは〈赤〉、アルミニウムを沢山吸収した場合は〈青〉、そして、アルミニウムの吸収がそこそこだと、赤と青の中間の〈紫〉、こういう理解で合っていますか?」
「だいたい、そんな話。
ついでに言っておくと、アルミニウムが土壌に溶け出す場合って、その酸性度によって変化してさ、酸性度が高い程よく溶けるんだよね。で、反対に土壌が、中性やアルカリ性だと、アルミニウムはあまり溶けていないんだよ。
だから、アルミニウムをよく含んでいるって事は、その酸性度が高いって事で、つまり、アルミニウムがよく溶けている〈酸性〉の水を吸収したアジサイは〈青〉、アルミニウムがあまり溶けていない〈アルカリ性〉の水を吸収したアジサイは〈赤〉、酸性でもアルカリ性でもなく、〈中性〉だと〈紫〉って言い換えてもよいかもね」
「先生、そう考えると、漢字の〈紫〉に、太陽の〈陽〉に〈花〉って書く〈紫陽花〉って漢字は、土壌が中性の場合の紫陽花を言い表わしているって事になりますよね?」
「あっ! その話か。実はね、アジサイを漢字で〈紫陽花〉で表すのは誤りなんだよ」
「えっ! どおゆう事ですか?」
「今、日本で見かける〈アジサイ〉は、江戸時代末期にシーボルトやケンペルが欧州に持ち出して、品種改良された物が里帰りした花なんだけれど、アジサイは、元は日本固有の花なんだよ」
「えっ! そうなんですね。でも、それが漢字が間違いって話とどう関係が?」
「アジサイに〈紫陽花〉って漢字が当てられている事の由来は、唐の時代の白楽天の漢詩の中に『紫陽花』って記述があって、それを、平安時代の日本の歌人が〈アジサイ〉に相当するって勘違いし、日本のアジサイに〈紫陽花〉って漢字を当ててしまったのが誤りの始まりらしんだ。
つまりさ。中国、少なくとも唐の時代には、日本原産の花であるアジサイが中国に存在していなかった分けだから、白楽天の『紫陽花』は、日本のアジサイではあり得ない、だから、〈アジサイ〉を漢字で〈紫陽花〉って書くのは誤りって話なんだよね」
「それは知りませんでした。アジサイって紫が特徴的な花だし、これまで何の疑いもなく、〈紫陽花〉って漢字を使ってきました」
「僕もそうだったんだけれど、この事を知って以来、カタカナかひらがなで表わすように心掛けているんだ」
隠井は、ちらっと時計に目をやった。
「そろそろ、講義終了の時刻みたいなので、アジサイ関連の話を、最後に一つだけ」
「先生、どんな話なのですか?」
「アジサイって、今でこそ、梅雨や初夏の風物詩として日本人に愛でられているけれど、シーボルトが海外に持ち出す以前、つまり、江戸時代までは忌み嫌われていたらしいんだよ」
「どうしてですか?」
「アジサイってさ、さっきも話したように、アントシアニンとアルミニウムの反応によって、青、紫、赤、さらには、それらの度合いに応じて、もっと微細に色彩を多様に変えてゆくよね」
「その色の移り変わりこそが、味わい深い所ですよね? 〈アジ〉サイゆえに。じゃ、なんで疎まれていたんだろう?」
「それはさ、逆に、そうした色の移り変わりが〈節操のなさ〉って考えられていたかららしいんだ」
「まじっすか! 今日一の驚きの事実です」
ここまで語った所で、時限の終わりを告げるチャイムが鳴り、アジサイに関する個人講義も終了する事となった。
答案用紙を持った隠井は大学を後にし、それから、地下鉄の駅までの道すがら、信号待ちの横断歩道の前で、道端の色彩豊かなアジサイに視線を向けながら、携帯音楽プレイヤーを素早く操作し、「雨の歌」とタイトルをつけた〈プレイリスト〉をタッチした。
ランダム再生の一曲目に流れて来たのは、アニソン・シンガー、ASCA(アスカ)が歌う「ハイドレンジア」であった。
この曲には、「ポツリ」「雨」「傘」といった梅雨を想起させるワードが散りばめられ、さらに、「ハイドレンジア」というタイトルが直接的に表わしているように、アジサイの花を題材としており、その歌詞の中では、アジサイが「藍の花」「哀の花」「愛の花」と同音異義語で表現されている。アジサイの色のように移り変わるこの漢字の変化という言葉遊びが、実に味わい深い。
傘を打ち付ける雨の音を左耳で聞き、この趣深い〈アジサイの曲〉を右耳で聴きながら、足を滑らさないようにゆっくりと歩を進めながら、隠井はこう思った。
〈紫陽花〉という漢字を当てるのが誤りであるのならば、アジサイは、味わい深い色彩豊かな花なのだから、〈味彩〉と書くのはどうであろうか、と。
〈参考資料〉
〈書籍〉
「あじさい」、柳宗民 『日本の花』、東京:筑摩書房、『ちくま新書』584、二〇〇六年、一〇〇~一〇三頁。
「アジサイの“ひみつ”」、田中修『植物のひみつ』、東京:中央公論新社、『中公新書』2491、二〇一八年、一〇九~一三二頁。
〈CD〉
ASCA「ハイドレンジア」、『Howling』、メーカー:SACRA MUSIC、EAN:4547366472745、VVCL-1765、二〇二〇年十一月四日発売。
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