虚構を再現ス

冬Q第08講 劇場でのVR体験:十二月一日は映画の日

「月も変わって、師走に入ってしまいましたね。早いもので、冬クォーターの集中ゼミも折り返し地点です。

 それでは、十二月一人目の発表者お願いします」


「演劇・映像コースで映画を専門にしている、三年の田島詩子(たじま・うたこ)です。

 わたしの発表を聴いてくださっている皆さんの中には、映画館に頻繁に足を運ぶ方もいるかと思います。

 でも、中には、劇場版の作品は、公開終了後に、円盤化された作品をレンタルしたり、何処かの配信サイトで観ることができるのだから、わざわざ千うん百円も払って、劇場にまで行く必要なんてないよって思っている人もいるかもしれません。

 たしかに、映画を観る場合、当日券は、一般は一九〇〇円、学生は一五〇〇円で、月に何本も観られるサブスクの定額料金に比べると、圧倒的にお高いので、コスパを理由に、劇場を否定するという理屈も分かります。

 ただ、映画館の中には、曜日ごとに割引システムを採用している劇場もありますし、それ以外でも、毎月一日の〈ファーストデイ〉は、一般も学生も、一律一二〇〇円で映画を観ることができます。

 ちなみに、この毎月一日の〈ファーストデイ〉を『映画の日』と呼んでいる人もいるようですが、厳密に言うと、一日は、単なる割引日で、本当の〈映画の日〉は、まさに今日〈十二月一日〉だけです。年に一回のこの日は、なんと一〇〇〇円で観劇できて、感激もできちゃうのです」


「ぷっ」

 思わず、隠井は吹き出してしまった。

「さすが、先生、分り手です」

 田島は、自分の言葉遊びに隠井が反応を示したことに満足気であった。

 

「それでは、何故に、十二月一日が映画の日になっているかと言うと、その原因は十九世紀末にまで遡ります。

 新しい世紀の到来まで、あと四年と一ヶ月と数日となった、一八九六年、明治二十九年の十一月二十五日から十二月一日の間、かの発明王エジソンが創った〈キネトスコープ〉の初上映が、神戸の〈神戸倶楽部〉において一般公開されたのです。

 そして、キネトスコープの日本初上陸から六十年を経た、一九五六年、昭和三十一年に、日本における映画産業発祥を記念して、〈日本映画連合会〉、今の〈日本映画製作者連盟〉によって、十二月一日が〈映画の日〉とされたのです」


「あれ、開始日じゃないんだ」

 一人の学生から思わず呟きが漏れた。

「その通りです。神戸の公開開始日は、十一月二十五日だったのですが、どうやら、二十五というのはキリが悪いので、十二月一日に設定されたようです。ちなみに、現在のように、劇場での映画館の入場料の割引サービスが行われるようになったのは、わたしたちの父母の青少年時代、一九八〇年代からであるようです」

「うぅぅぅ~~~ん、自分の学生の頃は、どうだったかな、月一で割引デーがあったような気もするけれど」

 隠井は、記憶を漁ってみた。

「わたしも、調べてみたところ、東京では、今のように、十二月一日とそれ以外の月の一日が割引になったのは二〇〇三年四月以降で、それ以前は、十二月以外の月は、第一水曜日が割引デーだったようです。で、十二月一日の〈映画の日〉以外の割引デーに関しては、都道府県の映画団体の支部が独自に割引デーを設けているようです」

(一日が割引デーって、案外、最近の話だったんだ)

 隠井は、そう思った。

 

「さて、それでは、話を〈映画の日〉の由来になった神戸の上映会に戻すことにします。

 この時は、エジソンの〈キネトスコープ〉の上映会だったのですが、ここで注意したいのは、キネトスコープは、今、わたしたちが観ているように、スクリーンに投影された映像を皆で観る、というものではなく、一人一人が機器を覗き込んで映像を観るタイプのものだった、ということです。

 ここで、ハっと思ったのは、これって今で言えば、VRのゲーム機みたいなものだなって。

 わたしの家では、父がゲーム好きなので、高校生の頃には既に、家に家庭用のVRのゲーム機がありました。キネトスコープだったら、機器を覗き込む、VRゲーム機だったら、ゴーグルのような機器を装着することによって、つまり、その場にいながらにしての虚構現実の体験、あたかも、ゲームの世界に入りこんだかのような感覚を味わう行為、まさに、映画というのは当時の〈VR〉だったように思えてしまいます」


 ここで田島は一息ついた。


「ちなみに、日本には、十二月一日の、エジソンのキネトスコープに由来する〈映画の日〉以外に、もう一つ、映画関連の記念日が存在します。

 それは、十二月二十八日の〈シネマトグラフの日〉です。

 これは、一八九五年十二月二十八日に、フランスのパリで、リュミエール兄弟が発明した、世界最初の映画機器〈シネマトグラフ〉による映像作品十本が、有料で一般公開された日なのです。

 ちなみに、リュミエール兄弟の機械〈シネマトグラフ〉は、覗き込むタイプのエジソンのキネトスコープを改良したもので、これが、今のわたしたちが慣れ親しんでいる映画のタイプです。いずれにせよ、〈シネマトグラフ〉によってスクリーンに映像が投影されたことによって、一度に多くの人が観劇できるようになったわけです。

 わたしは、映画史の講義で、リュミエール兄弟の映像を観たことがあるのですが、最も印象深かったのは、『ラ・シオタ駅への列車の到着』という五十秒間のサイレントフィルムでした。

 その内容は、フランスの海沿いの町〈ラ・シオタ〉の駅に、蒸気機関車が到着した様子を撮影したものです。

 ちなみに、動画配信サイトにも、映像があるので、興味がある方は観てみてください。

 さてさて、この作品には、本当かどうかは分からないのですが、一つの伝説があって、『ラ・シオタ駅への列車の到着』をみた観客たちは、スクリーン上で、自分たちに向かって近づいてくる実物大の列車に驚愕して、阿鼻叫喚をあげながら、上映されていた部屋の後の方に逃げて行ったそうです。

 これに関しては、事の真偽は分からないのですが、初めて映画を観た人間が取り得る反応としては、かなり納得のゆくものだと思います。

 ここでも、ハっと思ったのは、自分たちが今存在しているこの〈現実空間〉に、本来、存在し得ないはずの虚構的存在、この場合は、蒸気機関車の出現って、今でいうところの〈3D〉に近いものだったのではないか、と。

 わたしの父が映画好きということもあって、よく一緒に劇場に足を運ぶのですが、その父が話してくれたのは、子供の頃に『ジョーズ』って映画があって、赤と青のフィルム式の眼鏡をかけて、〈飛び出る映画〉を観たそうです。その時、まさに、サメが自分の方に向かってくるような感じだったそうで、これは、まさに『ラ・シオタ駅』の汽車と似たような状況だったように思われます。


 まとめます。

 映画の物語内容だけを楽しむのならば、たしかに、家でTVやPCで視聴しても問題はないように思えます。

 でも、わたしが劇場に足を運ぶのを好むのは、暗く照明を落とした劇場だと、スクリーンだけに集中できて、より物語世界への没入感が増大する、というのが第一で、第二は、家庭には置けない大型のスクリーンで視聴できるという点です。これは、大きい画面で観た方が迫力がある、ということももちろんなのですが、実物大の作中人物がスクリーンの中で動き回っていると、あたかも、自分もその作品世界の中の一人になって、作中人物たちの行動を覗き観しているような感覚をより深く味わえるからなのです。

 これって、まさしく、〈ヴァーチャル・リアリティー〉ですよね。

 つまり、そもそも、映画というものの性質が、キネトスコープやシネマトスコープの時代から〈VR〉的であったということは、特別の機器を利用したり、3D・4D仕様の映画ではなくとも、映画館で映画を観るということ自体、スクリーンで繰り広げられる物語世界の中に、モブキャラの一人としてかもしれませんが、入り込む行為なのではないでしょうか。


 今日は十二月一日なので、このゼミの後、わたしは、〈映画の日〉の劇場に行く予定です。

 一〇〇〇円で観劇できるので、もし、時間的な余裕がある方、劇場に足を運ぶのはいかがでしょうか?


 それでは発表を終えることにします」


〈コメント〉

「実は、自分も、この後、映画に行く予定です」

「映画って、もしかしたら、観点によっては、〈VR〉っていうよりも〈AR〉的って考えることも可能かも」


 講義の後、隠井は、ざっとコメントに目を通した。そこには、上記のようなコメントが寄せられていたのだが、ゼミの後に、実は、隠井も映画をハシゴする予定だったので、後日、あらためてゆっくりとコメントを読むことにしたのだった。


〈参考資料〉

「映画の日」,『一般社団法人映画産業団体連合会』,二〇二一年十二月一日閲覧.

「ラ・シオタ駅への列車の到着」,Masterpiece Record,Youtube,二〇二一年十二月一日視聴.

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