美術館・博物館訪問

冬Q第02講 関口芭蕉庵と永青文庫の芭蕉展

「こんにちは、隠井です。

 先週は、文化の日である十一月三日にオリエンテーションだけを行ったのですが、翌日から、文化祭の準備のため、大学が休校になってしまったので、今週からが本格的なゼミの開始となります。

 さて、ゼミの前半にあたる十一月の段階では、君たちが選んだ題材に関する事柄をまとめた上で、もし可能ならば、その題材と関連のある地を実際に訪れて、興味を抱いた関心事について、思ったこと、考えたことを語り散らしていってください。

 いいですか、ゼミの前半は、あくまでも、論考の第一段階に過ぎません。この段階では、題材のいったい〈何〉が論考の主題となる〈鉱脈〉になるかは未だ分かりません。仮に、発表者が既に何らかのプランを持っていたとしても、その発表時点においては、発表者が予想だにしていなかったコメントが聞き手からやって来て、それが発表者の思考を刺激し、当初、抱いていたプランよりも発展性があったりする、そういった事態だって起こり得るのです。

 とまれ、論理的で説得力のある論考に展開してゆくのは、第二段階の四千字の発表や、最終的な八千字の論文の段階で構わないのです。つまるところ、この最初の段階においては、自身の思考にあまりブレーキを掛けずに、まとまりがなくても構わないので、〈ブレイン・ストーミング〉的に、思い浮かんだことをガンガン書いていってくださいね。

 そして、聞き手の方は、発表の後に、僕が発表者に対して雑感を述べたり、質疑応答をしている間にコメントを書いてください。

 たしかに、瞬発的にリアクションをして、短時間でコメントしなければならないので、慣れないうちは難しいかもしれませんが、鋭い指摘をしなくちゃ、などとは思わずに、先ずは、発表のどの箇所が面白かったのか、何故そう感じたのかをを具体的に書いてください。念のために言っておきますが、面白かった、つまらなかった、とゆうのは、単なる〈印象〉に過ぎず、箸にも棒にも掛かりません。具体的な指摘、ここがコメントの肝ですからね。

 さて、前説が長くなってしまいましたが、そろそろ、一人目の発表者、準備できたかな?

 それではお願いします」


「みなさん、こんにちは、日本語・日本文学コース・二年の可愛天(かわい・そら)です。わたしは、江戸時代の紀行文学を専門に勉強したい、と考えています。そこで、今回の発表では、近世紀行文学の代表作である、『おくのほそ道』を著した松尾芭蕉を取り上げます。

 芭蕉は、たとえ日本文学が専門ではなく、彼について詳しいことは分からないとしても、その名を知らない人はいない程の人物だとは思いますが、一応、確認すると、松尾芭蕉とは、一六四四年に生まれ、一六九四年に没した、江戸時代前半の俳諧師です。

 彼が生まれたのは、現在の三重県伊賀市の柘植(つげ)です。実は、この柘植というのは、わたしの実家がある場所なのです。柘植では、小学生の頃から普通に俳句をつくったり、小学校では〈校内芭蕉祭〉という行事もあったりするので、わたしにとって、芭蕉〈さん〉は、幼い頃から非常に身近な存在で、たとえてみると、親戚のおじいちゃんみたいな存在なのです」


「「「「「「「「「ハハハ」」」」

 教室とスピーカーから小さな笑いが漏れた。


「さて、わたしの母の弟は、地元で郷土史のアマチュア研究家をしているのですが、その伯父さんに連れられて、わたしは、京都・嵐山の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)、岐阜の大垣などを訪れたことがあります。ちなみに、大垣は、おくのほそ道の最終地であるため、ここには〈大垣市奥の細道むすびの地記念館〉があります。

 このように、三重県出身のわたしは、近畿地方を中心に、芭蕉関連の地を訪れたことはあったのですが、大学入学後、感染症の影響もあって、未だ東京都内の芭蕉関連の地を訪れてはいませんでした。去年は、地元の柘植からリモートで講義を受けていましたし。

 そこで今回は、ゼミ論を書くにあたって、都内にある芭蕉関連の地、文京区の関口と江東区の深川を訪れることにしました。


 深川には、〈江東区芭蕉記念館博物館〉があり、その近くの川沿いには、川を眺める芭蕉さんの銅像があったり、おくのほそ道の出発地である〈採荼(さいと)庵跡〉には、旅装束の像があったり、また、江東区の観光課が、深川における芭蕉関連地の〈まちあるきマップ〉をネットで提供していて、芭蕉が観光の目玉になっています。また、〈深川〉は、それ自体、東京に詳しくはない人間にとっても、耳にしたことがある地名のように思われます。

 もちろん、最終的なゼミ論では深川の方も扱う予定なのですが、今回の第一回目の発表では、あまりなじみのない、文京区の関口の方を取り上げることにします。

 文京区関口というのは、地理的に言うと、神田川の中で、文京区と新宿区と豊島区がごちゃ混ぜになった境界のあたり、ざっくり言うと、神田川の早稲田界隈の付近で、リーガロイヤルホテルから椿山荘の間だと考えてください」


「あっ、あの辺ね。把握」

 という小さな声が教室から漏れ出た。


「まずは、柘植から江戸に出てきた芭蕉の足跡をざっと追ってみます。

 延宝三年、西暦で言うと一六七五年、芭蕉は江戸にやってきました。彼の名は宗房(むねふさ)なのですが、江戸時代に来たばかりの頃は、未だ〈芭蕉〉とは名乗ってはおらず、その俳号は〈宗房(そうぼう)〉でした。

 その江戸にやって来たばかりの宗房がどこに住んでいたかは諸説あり、正確なところは分からないようなのですが、どうやら日本橋に住んでいたようです。

 そして、柘植の〈宗房〉は、やがて〈桃青(とうせい)〉という俳号を使うようになりました。

 それから、〈桃青〉は、延宝五年、一六七七年に、水戸藩邸の防水用に、神田川を分水する工事に携わるために関口の地にやってきました。ちなみに、桃青は、治水工事の労働者や技術者、現場監督ではなく、人足の帳簿付けといった事務仕事をしていたようです。

 桃青が関口で神田川の治水工事に携わったのは三年間なのですが、日本橋から関口まで通ったわけではなく、関口付近にあった工事現場か水車小屋に住んでいたそうです。

 文京区のホームページによると、後年、この関口の芭蕉の在住地に、芭蕉の信奉者が建てたのが〈龍隠庵(りゅうげあん)〉で、これが、現在の〈関口芭蕉庵〉の元になっているようです。

 さて、神田川の治水工事に関わって、関口に住んでいた頃に、桃青は、延宝六年、一六七八年に〈宗匠〉となりました。〈宗匠〉とは、簡単に言うと、俳諧の師匠、いわば、職業的な俳諧師です。しかし、宗匠になったとはいえども、一六八〇年までは、関口で治水工事の事務員もしていたので、現代的にたとえてみると、商業誌でデビューは果たしたけれど、会社勤めは続けている〈兼業作家〉みたいなものですね。

 さて、芭蕉庵それ自体は、昭和十二年に火災で焼失してしまったそうで、今の建物自体は戦後の建築なので、江戸時代のものではないのは確かなのですが、それでも、自然石や木々をそのまま利用した芭蕉庵の庭には、木や石でできた〈句碑〉や、芭蕉自筆の短冊を埋めて墓とした〈五月雨(さみだれ)塚〉という芭蕉の墓があって、趣深いものになっています。


 実は、関口芭蕉庵のすぐそばにある〈永青文庫〉という博物館で、十月の初めから十二月初めの二カ月に渡って、「柿衞文庫名品にみる 芭蕉―不易と流行と―」 というタイトルの企画展をやっていて、そのポスターをみかけた時、今回の発表のために、この博物館を訪れようというアイデアが浮かんだわけなのです。

 その展覧会では、兵庫県の伊丹の柿衛(かきもり)文庫所蔵の芭蕉関連の品々が展示されていました。

 そして、数ある展示物の中でも、わたしが面白いと感じたのは、『旅路の画巻』でした。これは、芭蕉さんが、〈おくのほそ道〉の旅の中から、印象深かった場面を取り上げて描いた十枚の図絵です。

 わたしは、これまで、俳諧師である芭蕉さんが絵も描いていた、ということには着目していなかったので、今回、たまたま〈芭蕉展〉のポスターをみかけて、永青文庫を訪れることができたのは、ほんとうにラッキーでした。

 なんだか、芭蕉庵と芭蕉展の訪問記を話していたら、二千字を超えてしまったので、今回の、わたしの第一回目の発表は、ここで終えることにします。


 ご清聴ありがとうございました」


 可愛の発表の後、隠井は発表内容に関してコメントや質疑応答をしていた。

 

「みんな、そろそろ。コメントは書き終えたかな。コメントは学籍番号や氏名のような個人情報を消した上で、発表者に渡します。発表者は、それらを次の発表のヒントとして役立ててくれれば、と思います」


 そして後日、可愛天が、隠井から受け取ったコメントの中には次のようなものがあった。


「小学校で俳句の会なんて、自分とこではやってなかったですね。ツゲならではの行事ですね」

「芭蕉さんが親戚のおじいちゃんって、なんかツボった」

「芭蕉っって、伊賀出身なんだ。もしかして伊賀忍者だったりして、日本全国回ったのも実は、公儀の隠密のスパイ活動だったりして」

「自分、その関口芭蕉庵近くの和敬塾に下宿して、永青文庫でもバイトしています。で、毎日、芭蕉案の前を通って通学しているのに、存在ガン無視でした。今度、行ってみます」


 論考のヒントにはならなかったが、コメントを読むのは楽しかった可愛であった。


〈参考資料〉

〈WEB〉

「深川芭蕉コース」,『江東おでかけ情報局』,二〇二一年十一月六日閲覧.

「関口芭蕉庵」,『文京区観光案内』,二〇二一年十一月五日閲覧.

「展覧会情報」,「秋季展 柿衞文庫名品にみる 芭蕉 ―不易と流行と―」,『永青文庫』,二〇二一年十一月五日閲覧.

〈訪問地〉

『永青文庫美術館』,東京都文京区目白台1-1-1,訪問日:二〇二一年十一月六日.

『関口芭蕉庵』,東京都文京区関口2-11-3,訪問日:二〇二一年十一月七日.

『江東区芭蕉記念館博物館』,東京都江東区常盤1-6-3,訪問日:二〇二一年十一月七日.

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