冬Q第03講 江戸時代の人気〈絵師〉ホクサイ

「さて、それでは、二人目の発表者、お願いします。どうぞ」

 小柄な女子学生が教壇に上がってきた。


「こんにちわ。あたしは、二年の椎名夏海(しいな・なつみ)です。えっとぉ……、専攻は美術史コースで、日本美術、浮世絵を専門にしたいです。

 この前、芭蕉さんで発表した天(てん)ちゃ……、じゃなっくって、可愛天(そら)さんとは、一年生の時の二外がおんなじで、去年は全部リモートだったんですけどぉ、そこの隠井先生が企画してくれた、フラ語のクラスのオンラインお茶会で仲良くなって、そんで、このゼミを取りました」


「はい、そうでしたね。覚えていますよ」

 去年の語学クラスの〈天海〉の二人ね。たしか、二人のうちのどっちかがが、ヨットに興味があるって、自己紹介の時に言っていたから、密かに〈ダブル・セイル〉って僕が呼んでいたコンビだったね、と隠井は、今年の冬クォーターのゼミ生で、去年の教え子であったペアにことを思い出していた。

「さて、じゃ、椎名さん、続けてください」


「はい。この前の土曜は、あたしのサークルが学祭に参加したので、次の日曜に、あたしたちは三人で、美術館に行ってきました。

 最初は、天ちゃんのお目当てである、江東区の〈芭蕉博物館〉に行ったのですが、その後で、あたしが行きたい、墨田区の〈北斎美術館〉に行きました。江東区と墨田区は、区は違っているんですけどぉ、三十分かからずに歩けちゃうんで、一気に二つ行けて、けっこうアドでした。

 えっとぉ……、でわ、前置きはこれくらいにして、発表を始めます。


 さっき言ったように、あたしは、浮世絵を専門にしようって考えているんですけどぉ、江戸時代末期の四大浮世絵師、美人画の歌麿、役者絵の写楽、『冨嶽三十六景』の北斎、『東海道五十三次』の広重のうち、いったい誰を専門にするかは、未だ考え中なんですぅ。そんで、今回、ゼミ論を書くことになって、天ちゃんと、ももちょと話をしていた時に、天ちゃんから、隅田川の方に北斎美術館があるってことを教えてもらったので、今回は、北斎のことを調べることにしました。


 えっとぉ……、北斎は九十歳まで生きたんですけどぉ、その一生の中で、なんと九十回も引っ越しをしたそうです。しかもぉ、それだけの回数、家を変えているっていうのに、墨田区の中ばっかりを移動したそうです。展示会場の入り口には、墨田区の中で北斎が住んでいた所、絵に描いた所、関係のあった所がピックアップされていたので、いずれ、そういった北斎の〈聖地巡礼〉もしてみたいって思いました。

 そんで、展示会場を入ってすぐの所には、北斎の家のレプリカがありました。でも、九十個のどの家かは分かんないのですが、その家の中には、寝そべったおじいさんがいて、紙を畳の上に置いて絵を描いていました。あたしは、えっ、誰なの? ってびっくりして、声をあげちゃいそうになったのですが、なんとそれは、実は人形だったのです。すごくないですかぁ? その人形、リアル過ぎました。


 えっとぉ……、北斎って言えば、富士山をテーマにした『冨嶽三十六景』で有名なのですが、その北斎美術館の常設展では、北斎の年齢ごとに、展示テーマが七つに分けられていました。

 実わ、日曜に、北斎美術館を実際に訪れる前に、あたしは、ゼミ論は『冨嶽三十六景』みたいな風景画を中心にしようって考えていたのですが、実際に美術館を訪れて興味をもったのは、北斎が描いた挿絵と漫画のコーナーでした。


 あたし、シャメっておいたんですけどぉ、七つのコーナーの中に「4 読本挿絵の時代 人気イラストレーターとして」、「文化元年(1804)〜文化八年(1811)ってコーナーがあって、そのコーナーには、北斎が描いたイラストがあって、なんと、北斎は、戯作、今で言うところのエンタメ小説の挿絵を描いていたみたいなんです。説明文によると、江戸時代には、文に幾つか挿絵を入れた本を〈読本〉って呼んでいたらしいんですけど、今で言ったら、完全にラノベですよね。

 で、その美術館に展示されていた〈読本〉は、『飛騨匠物語』って作品で、主人公は、弟子と一緒に仙人から匠の技を授かって、二人で作った機関(からくり)の力を使って、仙人界を追放された男女を助けるっていうファンタジーみたいなストーリーだそうです。内容も完全にラノベです。

 そんで、コーナーの「6」が、「錦絵の時代、『冨嶽三十六景』の制作」で、「天保元年(1830)〜天保四年(1833)時代」に北斎が描いた〈錦絵〉の中には、播州皿屋敷を題材にしたお岩さんの絵もあって、その絵では、首から下が蛇になったお岩さんが井戸からニュッと出てきていて、実に幻想的でした。これ、今で言ったら、ラノベなんかに挿絵を提供しているイラストレーターがいかにも描きそうなので、あたし、すっごく気になりました。実わ、あたし、ラノベが大好きなので、読本や錦絵の時代の北斎の、イラストレーターみたいな活動に、俄然興味を持っちゃったのです。


 そしてあたしにとって最も面白かったのが、「4の読本」と「6の錦絵」の時代の間の「5 絵手本の時代 『北斎漫画』の誕生」,「文化九年(1812)〜文政十二年(1829)」でした。

 これは、増えた弟子や北斎の絵を学びたい人に向けて作られた、いわゆるひとつの、絵のマニュアル本で、色んなタイプの絵のお手本が描かれているのです。そんで、その中でも特に面白かったのは、人の動作の絵が沢山描かれていたものでした。

 これは、一枚の紙に、色んな動作の人がいて、一枚の紙だとちょっと分かりにくかったのですが、この北斎美術館に備え付けられているタッチパネルを使ってみたところ、その紙の上の一つ一つの絵が次々に画面に出てきて、それらをずっと観ていると、ちょっとカクカクしていたのですが、まるでアニメみたいになりました。

 だから、北斎って、ただの富士山を描いた風景画家ってわけじゃなくって、イラストレーターやアニメーターのご先祖さま、今でいうところの人気〈絵師〉だったんだと、あたしは思いついちゃいました。


 えっとぉ……、まとめます。

 実わ、このゼミのオリエンテーションで、先生から、実際に現地に行って調査をしろって言われた時には、ちょっとめんどいなって思っていたんですけどぉ、でも、今回、北斎美術館に足を運んだからこそ、今、面白く感じているテーマに出会うことができたって思っています。

 最初は、北斎の風景みたいなテーマで、このゼミ論を書くつもりだったのですが、今回、北斎美術館を訪れて、イラストレーター、アニメーター、つまり、〈絵師〉ホクサイってテーマで深堀りしてゆこうかなって思い始めています。

 このようなキッカケをくださって、隠井先生、ありがとうございます。


 それでは、以上で、今回の発表を終えます。

 ごせいちょう、ありがとうございました」


 翌日の金曜日、椎名夏海が受け取ったってリアクション・ペーパーには次のようなコメントが寄せられていた。


「北斎の九十年の絵師としての生涯って、彼の絵による表現の可能性の追求だった気がする」

「葛飾北斎が、ラノベのイラストレーターとかアニメーターって、その発想はなかったわ。〈絵師〉HockSai って感じかな」

「『北斎漫画』って、一秒間に二十四枚とはいかないまでも、完全にアニメと同じ論理」

「カクカク動画って、まるで、TikTokだよね」


 ティック・トックって、ウケるぅ〜、コメントを読みながら夏海はそう思ったのだった。

 

〈訪問地〉

『すみだ北斎美術館』,常設展,東京都墨田区亀沢2-7-2,訪問日:二〇二一年十一月七日.

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