冬Q第04講 サクラタウンの浮世絵劇場
週が変わって、冬クォーターも第三週目に突入していた。
「さて、今日は誰からかな?」
隠井が尋ねると、とある男子学生がまっすぐ腕を挙げ、そのまま、自分のタブレットを持って教壇に進み出てきた。
「機材のセッティングを手伝う必要ある?」
「大丈夫です。先週、あいている教室でゲネをしたので」
その男子学生は事前準備万全の状態で、発表に臨んでくれるようだ。実は、隠井が世話を焼かなければならないのは、発表よりも、こういったセッティングなのである。
「それじゃ、僕が出席確認をしている間に、発表の準備をしておいてください。もし困ったことが生じたら、遠慮せずに声を掛けてくださいね」
「そろそろ、大丈夫かな?」
出席の後に、隠井が声を掛けると、発表者の男子学生は黙ったまま頷き返してきた。
「それじゃ、よろしく」
「表象メディア論系・二年の佐藤冬人(ふゆひと)です。実は、先週発表した美術史コースの方とテーマが被ってしまったのですが、自分も〈浮世絵〉をテーマにするつもりで、十一月七日の日曜日に、埼玉県の所沢市にある〈角川武蔵野ミュージアム〉に行ってきました」
「そこ、知らないな」
音声をミュートにし忘れていたオンライン参加の受講生の声がスピーカーから漏れ出てきた。
「今、『知らない』ってリアクションが来たのですが、それももっともな話で、この〈角川ミュージアム〉は昨年できたばかりの施設なのです」
そう言った佐藤が、プレゼンテーション・ソフトに貼っておいたリンク先をクリックすると、画面は〈角川武蔵野ミュージアム〉のホームページに移り変わった。
「このミュージアムは、〈ところざわサクラタウン〉内にある施設で、最寄りの駅はJRの東所沢、駅から徒歩十分くらいで到着することができます。この〈サクラタウン〉は、〈KADOKAWA〉が運営している〈文化〉の複合施設で、ここがグランドオープンしたのが、ちょうど一年前の金曜日、二〇二〇年十一月六日のことでした。実は、その翌日の、十一月七日・土曜日に、サクラタウンのグランドオープンの催しとして行われた、アニメとその物語の舞台とアニソンをテーマにしたイヴェントに、自分は兄と一緒に参加したのです。
このようにオープン記念として、アニメ関連のイヴェントが行われたことから推測できるように、所沢の、この新たな〈文化タウン〉は、いわゆる〈クールジャパン〉、日本におけるポップカルチャーの発信拠点なのです。
事実、サクラタウンにあるホテルやレストランでは、アニメをコンセプトにした企画が行われたり、このタウンにある〈武蔵野坐令和神社〉は、〈アニメ聖地88〉の〈一番札所〉になっていたり、去年の十一月末に『ハルヒ』の新刊が出た時には、それに合わせて、サクラタウンの地面には、『ハルヒ』の「笹の葉ラプソディ』の中に出てきた〈地上絵〉が、なんと再現されたのですっ! その企画の時にも、自分は兄と一緒にサクラタウンに行ってきて、その地上絵の写真を撮って、さらに、レストランでは、『ハルヒ』のコラボ・フードを食べてきました。その料理っていうのが、まさに驚きの一品で……」
「ちょ、ちょっと待ったあああぁぁぁ~~~」
隠井は、興奮して早口になり、話が別の方に逸れていった佐藤冬人に、いったんストップをかけた。
「冬人くん、君の気持はよおおおぉぉぉ~~~くわかった。『涼宮ハルヒ』のそのエピソードの話、わたしも、すっごく気にはなるのですが、サクラタウンと『ハルヒ』の話は、ゼミ発表とは別の機会にってことにしてください。この後、まだ別の発表者もいるし、それぞれの持ち時間の問題もあるので。まあ、一回落ち着いて、話の方向を、今日の発表テーマである〈浮世絵〉の方に軌道修正しましょう」
「はい。すみません。一年前のことを思い出したら、あの時の情景が蘇ってきて、ちょっとテンションがあがっちゃってました」
佐藤は、少し残念そうであったが、胸に静かに手を当てると、大きく三度深呼吸をした。
「さて、改めまして、〈ところざわサクラタウン〉は、このようにポップカルチャー関連の複合施設になっていて、その中にあるのが〈角川武蔵野ミュージアム〉です。このミュージアムの一階には、〈マンガ・ラノベ図書館〉、五階には〈本棚劇場〉が入っています。この本棚劇場というのは、高さ約十メートルもの、三段の本棚に囲まれた空間です。もしかしたら、昨年末の紅白歌合戦で見た人もいるかもしれません。〈YOASOBI〉が紅白で歌唱したのがこの〈本棚劇場〉だったのです。
このように、サクラタウンは、ポップカルチャーを中心とした、さまざまな文化の発信基地となっているのですが、今回、僕がこのタウンを再訪した目的は、角川ミュージアムの一階で開催されている企画展、『浮世絵劇場 from パリ』なのです。
〈浮世絵〉のような芸術作品、ハイカルチャーが、いったい何故に、〈ポップ〉カルチャーの新拠点で開催されたのか、疑問を抱いた方もいるかもしれません。しかし、そもそも〈浮世〉とは、江戸時代においては、浮いた世の中、すなわち、〈享楽的に生きるべき世の中〉という意味で用いられており、浮世絵とは、江戸時代においては、〈同時代の生活〉を写し取った絵のことだったのです。こういった理由から、〈浮世絵〉は、江戸時代のSNSである、という、分かりやすい説明がなされることもあります。
たしかに、代表的な浮世絵ジャンルである、〈美人画〉や〈役者絵〉などは、人気タレントがSNSにアップする自撮り写真に似ているかもしれませんし、〈風景画〉なども、タレントが出先でアップする写真みたいなものですよね。
また、〈浮世絵〉は、絵師が書いたオンリーワンの〈肉筆画〉もあるのですが、〈錦絵〉とは複製画で、価格も蕎麦一杯分の値段くらい、つまり、激安だったそうです。もしかしたら、江戸時代の人々が錦絵を買うのは、現代の僕たちが、スクショしたり、写真をダウンロードするのに似た感覚だったのかもしれません。
このように考えると、浮世絵は、当時のポップカルチャーで、〈サクラタウン〉で展覧会が行われることに、疑問を抱く余地はないように思われます。
今回、自分は、事前情報、予備知識ゼロで〈浮世絵劇場〉を訪れました。
通常、展覧会というと、テーマごとに仕切られたスペースに、壁に掛けられた絵画があって、絵の脇にある説明文を読みながら、あるいは、美術館・博物館から機器を借りて、有料のオーディオの説明を聞きながら、絵画を観て回ってゆくもので、〈浮世絵劇場〉もそういった類のものだと思い込んでいたのですが、一歩、会場に足を踏み入れてみると、そこは、普通の展覧会とは全く異なるもので、自分は非常に驚いてしまいました。
照明が落とされた暗い円形の空間において、観客は自分の好きな場所にいて構わないのですが、その空間の三百六十度、全方位の周囲の壁、床、柱などに、浮世絵をテーマにした〈十二幕〉のデジタルアートが三十分ローテーションで投影されるのです。
そのテーマというのは、「風景」「桜」「日本の妖怪たち」「海」「魚」「花」「女」「扇」「書」「空」「歌舞伎・侍」「提灯」の十二幕で、一テーマにつき、三分程度で次々に切り替わってゆきます。たとえば、「風景」では、北斎の『冨嶽三十六景』や広重の『東海道五十三次』が次々に移り替わっていきました。また、「海」や「魚」の時には、床を波が流れるように映し出されるので、まるで自分が動いているような錯覚にとらわれました。
なるほど、だから〈劇場〉なのか、と、映像体験の後にようやく納得しました。
先ほど言ったように、この空間は三百六十度の円形構造になっているのですが、壁や床に映し出される映像はそれぞれ違うものなので、どこに座ってどこに目を向けるかによって全く異なる体験をすることができるのです。
自分は、十六時半頃に入場したのですが、十八時の閉館までの間、立ち位置・座り位置を変えながら、三十分の映像を三周してしまいました。
ちなみに、この映像を製作したのは、パリを拠点に活動する「ダニーローズ ・スタジオ」で、だからこそ、企画のタイトルに「from Paris」が入っていて、さらに、この企画には、「浮世絵の凱旋帰国」みたいな煽りもなされています。
たしかに、浮世絵は江戸時代の末から明治時代、十九世紀後半に海外に知られ、たとえば、印象派の画家に多大な影響を与えました。それが、〈ジャポニズリー japoniserie〉や〈ジャポニスム japonisme〉という現象なのですが、それが、二十一世紀になって、こういった最新のデジタルアートという形で日本に戻ってきて、ポップカルチャーの新たな拠点で提示されるのは、非常に興味深い試みだと思いました。
今回の〈浮世絵劇場〉は、浮世絵という江戸時代のポップカルチャーというソフト面だけではなく、〈箱〉というハード面においても、この新たなポップカルチャーの発信地において初めて実現し得た企画であるように感じられました。というのも、このような三百六十度の全方位に映像を映し出すような企画は、通常の美術館・博物館や、劇場では難しいように思えるので。
この〈浮世絵劇場〉は、来年の四月までやっているので、機会をつくって、また訪れたい、と考えています。何度観ても、異なる映像体験が得られるはずなので。
以上で、自分の発表を終えることにします。ありがとうございました」
今回も、受講生たちから、様々なコメントが寄せられきた。
「わたしも、紅白で、その本棚の劇場をみて、気になっていたのですが、武蔵野ミュージアムって、〈サブカル〉の発信基地だったのですね」
「浮世絵って、インスタみたい。江戸時代の〈バエ〉が、浮世絵ってことなのかな?」
「ジャポニズムではなく、ジャポニスム、分かってるね」
〈参考資料〉
「浮世絵劇場 from Paris」,『角川武蔵野ミュージアム』,二〇二一年十一月八日閲覧.
〈訪問日〉
角川武蔵野ミュージアム,埼玉県所沢市東所沢和田3-31-3,二〇二一年十一月七日.
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