冬Q第05講 今回の展覧会の印象は?

 冬クォーター講義も第五日目、早くも全体の三分の一まで来ており、そのため、ゼミ生たちも発表にこなれてきたように隠井には感じられていた。

「それでは、今日の発表者、お願いします」


「美術史コースで西洋美術を中心に勉強している三年の藍川梨沙(あいかわ・りさ)です。わたしは、フランス絵画、特に印象派に興味があります。

 印象派は、日本では非常に人気で、毎年、印象派の展覧会が、東京の何処かで開催されているような印象があります。

 実際、今、印象派の画家の絵画を観ることができる展覧会が幾つかやっていて、例えば、渋谷の〈文化村〉の『ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス モネ、ルノワールから マティス、シャガールまで』、有楽町の三菱美術館、正式名称は、たしか……〈三菱一号館美術館〉だったかな、そこでやっている『イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 ――モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン』において、印象派の絵画を観ることができます。また、上野の〈トビ〉、えっと……、〈東京都美術館〉の『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』も印象派の系譜です。

 わたしは、これらの展覧会の全てに行く予定なのですが、ゴッホは十二月の上旬まで、イスラエル展は来年の一月半ばと、終了まで未だ間があるので、今回は、渋谷の文化村の展覧会に行ってきました。文化村は、十一月の二十三日、来週の最初までなので。


 最近の美術館は、思い立ったその時に訪れることができない場合もあります。感染症のせいで、入場制限があり、時間ごとに区切られた入場予約を課しているケースもあります。文化村も、時間別の入場予約をしなければなりませんでした。

 わたしは、今日、木曜日にとっている講義は、この五限(十六時半開始)だけだったので、今日の午前中のうちに渋谷に行ってきました。実は、すでに一度、この展覧会には行っているのですが、発表前に、もう一度、じっくり観ておきたかったのです。

 前回行った時は、日曜の午後だったので、かなり混んでいました。だから、今回は平日の午前に行ったのですが、それでも、人出は予想以上でした。この平日午前中の人の多さは、印象派、モネやルノワールの日本での人気の高さを証明しているという印象をわたしは抱きました。


 さて、今回の「甘美なるフランス」展において、展覧会のアイコンとなっている絵は二つです。

 一つは、ルノワールの『レースの帽子の少女』、もう一つは、マティスの『襟巻の女』で、今回の展覧会は、全四章に分けられていました。

 モネやルノワールや印象派の、第一章「都市と自然」が二十二点、セザンヌやゴッホ、そしてポスト印象派の第二章「日常の輝き」が十五点、マティスやピカソ、そして二十世紀の画家の、第三章「新しさを求めて」が十四点、ユトリロやシャガール、エコール・ド・パリの第四章「芸術の都」が二十三点、合計七十四点の絵画が展示されていました。


 もちろん、わたしは、趣味として鑑賞している面もあるのですが、美術史コースの学生として、勉強や研究として観ている面もあるので、最初、第一章から第四章までを、自分の感性と印象を頼りに一通り観てから、その後に、人にぶつからないように注意しながら逆歩して入り口付近まで戻って、それから、メモをとりながら、もう一度ゆっくり観直すという鑑賞方法をしています。

 ちなみに、わたし以外にも何人か、同じようにメモをとりながら鑑賞している人を見かけたのですが、その中には注意されている人もいました。

 日本の美術館では、特別に写真を撮ることが許可されている場合を除いて、原則、写真撮影が禁止になっているのですが、現代っ子であるわたしたちは、どうしても何かの情報を書き写すのではなく、スマフォで写真を撮ってしまいがちなのです。でも、美術館では、それは許されていません。

 だから、入り口で配られるパンフレットや、持ってきたノートにメモをすることになるのですが、この場合も、実は、〈ペン〉を使うことは認められていない場合が多いのです。というのも、インクが飛び散って、展示物を汚損してしまう可能性があるからで、そのため、許可されているのは〈鉛筆〉なのです。

 わたしが目撃した方は、ノック式のペンを使っていて注意されていたのですが、美術館も対策を講じているのか、その方には、美術館の鉛筆が渡されていました。

 かくゆうわたしも、お恥ずかしながら、以前、似たような経験をしたことがあるので、美術館に行く際には鉛筆を持参することにしています。あっ、それと場合によっては、折れて芯が飛んでしまい易いシャーペンを禁止しているところもあるので、わたしは、美術館では〈丸まった鉛筆〉にしています。


 さて、二周目はメモりながら鑑賞をしたのですが、結局、自分の研究テーマが印象派なので、集中して、じっくり観るのは、結局、最初の第一章になってしまいました。

 これって、ほとんどの美術館・博物館の傾向だと思うのですが、最も混むのって、最初のセクションなんですよね。

 その第一章、最初のセクションでは、コローが一点、モネが六点、ルノワールが八点、ピサロが三点、シスレーが三点、ギヨマンが一点だったのですが、他の章を合わせても、モネとルノワールの数が最も多かったのです。でも、人気のモネやルノワールの絵画の前はなかなか空かなくて、わたしは周囲の様子を探りながら、じっくり鑑賞できるタイミングをうかがわなければなりませんでした。


 で、わたしの印象というか、好みの点でいうと、第一章の中で最も気に入ったのは、ルノワールの『髪飾り』という絵でした。これは、屋内で、侍女と思しき女性がその家のマドモワゼルの身繕い、髪に飾りを着けるのを手伝っている様子をを描いたものでした。この絵の解題には、十九世紀後半のブルジョワの家庭では、室内で髪飾りをつける習慣があったと説明がありました。外出するのではなく、家で過ごすのに、わざわざオシャレをするなんて驚きです。こういった十九世紀フランスの習慣を知らなければ、このルノワールの絵は、ただのかわいい女の子の絵という印象で終わってしまうので、もっと、フランスの歴史とか社会について勉強して、より能動的に絵画を鑑賞するスキルを磨きたいと思いました。


 モネやルノワールに関しては、日本との関連も深くって、浮世絵の影響を受けた〈ジャポニスム〉の画家としても有名で、モネには、赤い着物を着たヨーロッパ人の女性と、その背景に浮世絵が描かれた団扇が並べられている「ラ・ジャポネーズ」という作品があり、ルノワールにも「団扇をもつ少女」という作品があって、この絵では、モデルはフランス人なのかな? ルノワールの十八番の可憐な少女が、浮世絵が描かれた団扇を手に持っています。

 こんな風に、着物を着た女性とか、背景や団扇に浮世絵が描かれているような、直接的な浮世絵の影響の場合には、パッと見ですぐに分かるので問題はないのですが、今回の展覧会の作品だと、モネの「花咲く堤、アルジャントゥイユ」には、浮世絵の構図の影響があるとされているのですが、わたしの浮世絵に関する知識不足のせいで、いったい、どういった所が浮世絵の影響なのか分かりませんでした。


 これが、ざっとした今回の展覧会の印象なのですが、展覧会に行くと、いつも自分の勉強不足、知識不足を痛感してしまうのです。でも、たとえば、十九世紀のブルジョワの家庭では屋内で髪飾りをつけていた習慣とか、モネの作品に見られる浮世絵の構図の影響など、わたしが知らないことや分からないことは、逆に言えば、勉強すべきテーマを展覧会が教えてくれたのだとポジティブに考えることにしています。だから、今後もなるべく多くの美術館に足を運んでゆきたいと考えています。


 それでは、これで発表を終えることにします。ありがとうございました」


 メモをとりながら発表を聞いていた隠井は口を開いた。

「さて、このゼミではフィールドワークを課しているからなのか、美術館や博物館に行く受講生が多いようなので、これからミュゼに行くかもしれない君たちに、僕から一つお願いを。

 藍川さんの話の中にも出てきたのですが、展示品の汚損を避けるため、美術館・博物館では幾つかのルールを課している所があります。文化村では、鉛筆はオーケーみたいなのですが、中には、筆記用具全般がアウトってところもありますので、Aは大丈夫だからBも大丈夫だと思い込まないようにしてください。それと、たとえ禁止されていなくとも、展示物を汚損させる可能性がある行為は、自分ルールで控えるようにしていただけたら、と思います。

 もちろん、館内の飲食は厳禁なのは当然なのですが、たとえば、自分が訪れた欧州の美術館では、荷物は必ず預け、帽子やコートなども着用は禁じられ、クロークやロッカーに預けることになっていた所もありました。その代わりなのか、美術品には接触しない限り、接近できたりもしていました。たしかに日本では、荷物や衣類の持ち込み禁止が課されてはいなくとも、入り口に、無料ロッカーや鍵の返却時に百円が戻ってくるタイプのロッカーが設置されている所が多々あります。にもかかわらず、日本の美術館に入ってみると、いかに荷物の持ち込みや、裾がバサバサしたコートを着たままの観覧者が多いことか!

 そこで私からのお願いというのは、展示物を絶対に汚損させないために、たとえ、美術館が課してはいなくとも、荷物はロッカーに預けてから観覧していただきたい、と切に願っています」


 このように隠井がコメントしている間に、何人かの学生はリアクションペーパーを書き終えたようだった。

 その中には、こんなものもあった。


「荷物持ち込みがマナー違反って、なんか、コロナ前のオルスタのライヴハウスみたい。ギューギューの状況での荷物持ち込み、まじ、うざいからな」


〈参考資料〉

「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」,二〇二一年十一月十九日閲覧.

〈訪問日〉

Bunkamura ザ・ミュージアム,東京都渋谷区道玄坂2-24-1,二〇二一年十一月十八日.

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