冬Q第06講 嗚呼、女神様:古代オリエント博物館「女神繚乱」
「僕のメモによると、今週は歴史を勉強しているゼミ生たちのターンですよね」
準備を終えた学生が隠井に黙ったまま頷き返し、数拍の後、発表が始まった。
「西洋史コース三年の船渡大輔(ふなと・だいすけ)です。自分は、古代オリエントを中心に勉強しているので、その専門分野と絡めた発表をします。
ところで、みなさんは、サンシャインの中にある〈古代オリエント博物館〉を知っていますか?
この前、自分のサークルで、サンシャインの古代オリエント博物館に行ったことがあるかどうか訊ねたところ、行ったことがある云々以前に、その存在すら知らなかった、という回答が大多数でした。
つまり、サンシャインのバスターミナルで夜行バスに乗ったり、ここに買い物に行ったり、あるいは、水族館でデートをしたことがあっても、博物館に関しては、その存在にさえ気付かずに素通りしているのでしょう。
何はともあれ、サンシャインには、古代オリエントをテーマにした専門博物館があって、自分は、そこの〈友の会〉の年間会員になってにいるので、無料で入館することができます」
「会員登録も〈無銭〉ですか?」
前の方に座っていた学生が船渡に尋ねてきた。
「『ムセン』って?」
単語の意味が分からずに、頭の上に疑問符を浮かべた船渡に、隠井が小声で助け舟を出した。
「ふ〜ちゃん、〈無料〉のことだよ」
一年生の語学の教え子である船渡を、隠井は「ふ〜ちゃん」と呼んでいるのである。
「なるほどっす、〈ムッシュ〜〉」
そして、船渡の方は、隠井のことを「ムッシュ」と呼んでいるのだった。
「いえ、さすがに無料じゃないっす。年会費四千円を払うと、その年度は入館無料になるって話です。だいたい、七回行けば四千円を超えるので、自分の場合には既に元は取れていて、今は、その……〈ムセン〉って話ですね」
「興味はあるけど、さすがに年七回はしんどいな」
「友の会に入ると、博物館が提供している講座にも無料参加できるので、もし古代に〈マロン〉を抱いている方がいれば、博物館には一度は足を運んでいただけらた嬉しいです。
ちなみに、博物館は〈音声ガイド〉を提供していて、その声が、なんと声優の関智一(せき・ともかず)さんなのですよ」
「おお~、ギルガメッシュじゃん、ちょっと興味湧いてきたわ」
聞き手の学生からそんな反応も起こっていた。
「ちなみに、今やっているのは『女神繚乱』っていう企画展で、東池袋の一角で、古代の様々な時代、様々な地域の女神が、まさに入り乱れている感じです。
女神は、神話以前の土着信仰、いわば、先史時代から存在していて、それを物語っているのが、土偶のような出土品です。これらは胸や臀部がふくよかなので、女性を形どっていることが分かるのですが、そうしたふくよかな女神は大地と豊穣の女神のようです。中でも、自分が興味を惹かれた女神のオブジェは、トカゲやカエルの女神像でした。
どうやら、トカゲは脱皮することによって〈再生〉をあらわし、カエルは沢山卵を産むことによって〈多産〉を意味することから、豊穣の女神と関連付けられていたようです。
やがて、先史時代の後、神話の時代の女神が登場します。
たとえば、メソポタミアの〈イシュタル〉、エジプトの〈イシス〉、ギリシャの〈デメテル〉や〈ペルソポネ〉といった大地母神などです。
興味深いのは、メソポタミアのシュメール神話に出てくるイシュタル、『FGO』をやっている方には周知のこの女神は、大地母神の流れを引いた豊穣の女神なのですが、同時に、愛や戦いの女神でもあるのです。
で、エジプトのイシスは豊穣の女神でもあるのですが、イシスは王権の守護神にして、魔術の女神でもあるのです。
そして、ギリシャの大地母神ガイア、その娘レア、そして、クロノスとレアの娘であるデメテルもまた大地母神直系の豊穣の女神です。
ちなみに、ギリシャは〈オリエント〉ではないのですが、今回の展示会では、ギリシャの女神たちも扱われていました。
さて、デメテルは、豊穣の女神であると同時に、娘のコレー、後のペルセポネが冥界の王であるハーデスに誘拐された際には、大地に荒廃をもたらしています。つまり、デメテルの神性とは、豊穣と荒廃といった両極端なものなのです。
そして、デメテルの娘ペルソポネは、冥界王のハーデスに誘拐され、ハーデスの妻となります。この大地母神の正当な血統であるペルソポネは、大地の女神にして冥界に女王となり、結果、ペルソポネは、生と死を司る女神となるのです。
このように、メソポタミアのイシュタル、エジプトのイシス、ギリシャのデメテルやペルソポネは、同じように大地女神の系譜に連なる〈豊穣〉の女神であるにもかかわらず、それぞれ、豊穣性にプラスアルファの神性が付け加わっています。
それでは、その付加された女神性は、いったい何に起因しているのでしょうか? 時代なのか、地域なのか、それとも、他の神々との関係なのか?
自分のゼミ論では、こうした、大地母神・豊穣の女神に関する比較神話論をテーマにして、問題を深堀りし、論考を発展させていきたい、と考えています。
以上で、船戸の発表を終えます。お聴きくだり、ありがとうございました」
発表の後、隠井は受講生に対して、こんなことを語った。
「さて、ここまで、このゼミ『書を携えよ、町へ出よう』の〈町へ出よう〉の部分に関して、美術館や博物館を訪問した受講生が多かったようなので、僕から、一つアドヴァイスを。
発表者の中には、頻繁に美術館・博物館を訪れている受講生もいるかと思いますが、今回のゼミ発表の縛り、つまり、フィールドワーク、現地調査という条件ゆえに、めったにミュゼには訪れないんだけど、今回は行ってみた、という受講生もいるかと思います。そういった受講生にも、今回の訪問で〈現場〉に行く面白さを少しでも感じでいただけたら、と願っています。
僕は、非実学系の文系学生が為すべきことは、たくさん本を読んで、たくさん映画を観て、可能な限り美術館・博物館に足を運ぶことだと思っているので、これを機会に、ミュゼに行くのを習慣化していただけたら、と強く念じています。
でも、本や映画は大学の図書館で読んだり、観たりできるけれど、美術館・博物館は、実際に行かなければならばならないし、そもそもの話、お金がかかるじゃんって不平不満を抱く受講生もいるかと思います。
そんな大学生の君たちに朗報を。
もしかしたら、美術史コースや〈表メ〉、表象メディア論系の美術系の学生は周知の事実かもしれませんが、大学が国立の美術館・博物館と提携を結んでいて、割引、場合によっては無料で入館できる、という〈パートナー制度〉があって、うちの大学も、国立系のミュゼと提携しています。
たとえば、国立科学博物館や東京国立博物館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、国立新美術館、東京国立近代美術館フィルムセンターなどでは、常設展は入場無料、特別展や企画展では割引料金で観覧することが出来ます。
でも、中には、自分が観たい展覧会は、その国立系ではやってないって受講生もいるかもですが、その場合には、こういうパスがお得です」
そう言って隠井は、名刺二枚分くらいの大きさの長方形の分厚い冊子を、鞄の中からとりだした。
「これは、〈東京・ミュージアム ぐるっとパス2021〉というミュージアムパスです。この冊子が、かくも分厚いのは、東京を中心する九十九の美術館・博物館のチケットがまとめられているからで、これは、どういったものかと言うと、使い始めの日から二ヶ月間、たとえば、開始日が十一月六日ならば一月の五日まで、この冊子にあるミュゼに一度だけ、無料ないしは割引で入館できる、というもので、料金は二五〇〇円です。
たしかに、常設展は無料だけど、企画展は割引だけとか、特別展の場合は対象外とか、ミュゼや展覧会の性質によって状況は異なるのですが、ここまでの発表者が行った美術館・博物館の幾つかも、この冊子の中に入っています。ちょっと確認してみようか」
そう言いながら、隠井は冊子をパラパラめくりはじめた。
「そうだな、永青文庫と古代オリエントは企画展も無料、北斎美術館は常設が無料で、企画展は割引ってな感じかな。まあ、サイトを確認しれば、どこの美術館・博物館で使用できるか確認できるので、少しでも安く観に行けたら、と思っている受講生は、こういうのもあるって知っておくてくださいね。
さて、今日はこの辺で。それでは、また明日」
〈参考資料〉
「女神繚乱」,『古代オリエント博物館』,二〇二一年十一月二十四日閲覧.
「東京・ミュージアム ぐるっとパス2021」,二〇二一年十一月二十四日閲覧.
〈訪問日〉
古代オリエント博物館,豊島区東池袋3−1−4 文化会館ビル7F サンシャインシティ,二〇二一年十一月二十二日.
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