冬Q第13講 嵯峨天皇サーガ
「今日の発表者は……、おっ、四年生ですね。待てよ、ちょうど卒論の提出の時期だけど、ゼミ発表、大丈夫かな?」
「先生、御心配ありがとうございます。
まさに今週の十二月十三日から、今日十六日の十五時までが提出期間でした。わたくしも、今さっき提出をし終えたばかりです。ですが、ゼミ発表は、卒論と同じ題材なので然して負担にはなっておりません。
むしろ、大仕事を終えたばかりなので、とても晴れやかな気持ちで、この発表に臨んでおります」
「それなら無問題ですね。では、お願いします」
「日本史コース四年の千賀茉莉(せんが・まり)と申します。
わたくしは、卒業論文で、嵯峨(さが)天皇の時代を題材にいたしました。
この場は、日本史コースのゼミではないので、簡単に説明いたします。
嵯峨天皇とは、七九四年に平安遷都を為した、第五十代天皇・桓武天皇の第二皇子で、第五十二代の天皇に当たります。その在位期間は、西暦で言うと、八〇九年から八二三年までです。
その、平安時代初期の嵯峨天皇と関連の深い人物として、今回の発表では、二人の人物を取り上げることにいたします。
まず一人目は、〈空海(くうかい)〉です。
真言宗の開祖である空海(七四四~八三五年)は、天台宗の開祖である最澄(さいちょう)と共に、日本の仏教が、〈奈良仏教〉から〈平安仏教〉に移りゆく、その特異点に位置する人物です。
空海において着目すべき点は、中国から〈密教〉をもたらしたことです。
密教とは、大乗仏教が、ヒンドゥー教やゾロアスター教を取り込んで誕生・発展したもので、中国で密教の奥義を伝授された空海が日本に持ち帰ったものが〈真言密教〉です。
〈真言(しんごん)〉とは、真実の言葉、秘密の言葉という意味の呪術的な語で、これはサンスクリット語の〈マントラ〉を訳したものです。マントラは、〈密言〉〈呪〉〈明呪〉と訳されることもあって、だからだと思うのですが、様々な、伝奇的な小説など、異能力を題材にした虚構作品において描かれたりしています。こうしたことから、皆様の中にも、〈密教〉や〈真言〉をご存じの方もいらっしゃるかと推察いたします。
わたくしも、父の書棚にあった『手天童子(しゅてんどうじ)』や『孔雀王(くじゃくおう)』という漫画で、虚構作品に取り込まれた密教を読んだことがございます。
〈密教〉や〈真言〉に関しては深堀してゆくと、この発表の時間内では語り尽くせないので、その真言密教の祖である空海と嵯峨天皇との関係にのみ照明を当てる事にいたします。
現在の京都において、嵯峨天皇と関連のある地を巡ろうと考えて、まっさきに思いつくのは〈嵯峨野(さがの)〉です。
京都にあまり詳しくない方は、どのあたりかイメージできないかもしれないので、簡単に言うと、嵐山や小倉山のあたり、と言うと分かり易いかもしれません。
この辺りは、平安時代の観点から言うと、平安京の西の郊外にあたります。
嵯峨天皇は、この嵯峨野の北東に位置している、今、大覚寺や大沢池がある辺りに、離宮〈嵯峨院〉を設営なされました。
この大沢池は、嵯峨天皇が造設させたものなのですが、実は、日本最古の人工池なのですよ。
そして、空海は、嵯峨離宮の内で〈修法(しゅほう)〉、すなわち、怨敵降伏などのために行なう加持祈祷を行ったそうなのです。
その後、嵯峨天皇や空海が亡くなった後の八七六年に、離宮が寺に改められたものが、今の〈大覚寺〉なのです。
大覚寺というと、アニメにもなった、室町時代が舞台の『一休さん』のお寺として知られているようですが、そもそもは、嵯峨天皇や空海の関連地なのです。
わたくしは、京都の嵐山に赴いた際には、大覚寺にも足を運びます。
日本最古の人工池である大沢池、その外周は約一キロなのですが、ゆっくりと散策しながら、この地で空海上人が修法していたのか、と千三百年前に思いを馳せると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいます。
そしてさらに、嵯峨天皇と関係深い人物として、もう御一方、お話ししたいのが、小野篁(おの・たかむら)です。
小野篁は、八〇二年に生まれ、亡くなったのは八五三年です。
この御方は、嵯峨天皇を含め四代の天皇に仕え、〈この世〉での官位は、従三位(じゅさんみ)・参議(さんぎ)、左大弁(さだいべん)でした。
ここで、〈この世〉なんて言い方をしたのには理由があります。
小野篁は、昼間は朝廷で官吏をしていたのですが、夜間になると、冥府に赴いて、閻魔大王の下で裁判の補佐をしていた、というのが『今昔物語集』などによって物語られているからです。
つまり、当世風に言うと、〈ダブル・インカム〉だったのですね。
とまれかくまれ、その小野篁が、この世とあの世、現世と冥府の往復の際には、二つの世界を繋ぐ〈井戸〉を利用していたそうなのです。
その冥府からの出口とされていた、いわゆる〈生の六道(しょうろくどう)〉があったのが、かつて、京都の嵯峨野にあった福正寺です。嵯峨天皇の離宮があり、空海上人が修法なされていた、あの嵯峨野です。
残念ながら、嵯峨の福正寺は、明治時代、一八八〇年に、嵯峨薬師寺(さがやくしじ)と合併し、廃寺になってしまいました。
小野篁が、冥府から戻る際に利用したという、出口の井戸それ自体は、今では見ること叶わないのですが、その井戸があったと思しき地には、『生の六道』という石碑が建てられています。
ちなみに、出口の井戸があった福正寺が合併された嵯峨薬師寺の本尊は、薬師如来像なのですが、これは八一九年に疫病が蔓延した際に、嵯峨天皇が空海に彫らせた物だそうです。
このことから、〈嵯峨天皇・空海・小野篁〉の間に関連の糸を結びつけることができるかもしれませんね。
これに対して、小野篁が冥府への入り口として利用していた、〈死の六道〉である井戸があったのが、京都の東山にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ;ちんこうじ〉)、通称『六道さん』なのです。
この入口の方は、六道珍皇寺の昔の境内の中で井戸が発見されたため、なんと、今でも、その姿を確認することができるのです。
この入り口の井戸は、『よみ(黄泉)がえりの井戸』と呼ばれています。
その『六道さん』は、五条の清水寺から程遠くない所にあるので、清水寺に詣でた後に、その足で赴くのも可能なのですよ。
残念ながら、普段は、その『よみがえりの井戸』は一般公開されてはいないので、少し離れた格子窓から井戸の姿を覗き見することしかできません。ただし、年に何回か特別に公開されている期間があるので、その時期に六道さんを訪れれば、この冥府への入り口に接近することもできます。
かくゆうわたくしも、この井戸の奥深くを覗いたことがあります。
ところで、どうして、冥府への入り口たる井戸が、六道珍皇寺にあったのでしょうか?
六道珍皇寺は、今の〈松原通り〉に面しているのですが、平安の世では、こここそが〈五条通り〉だったのです。今の五条通りとは位置が少しずれています。
時代は少し先になるのですが、〈京の五条の橋の上〉、牛若と弁慶が出会った五条橋は、今の松原橋に当たります。
実は、平安の世における五条通りとは〈野辺送り〉の道だったのです。
かつて、今、清水寺がある辺りは、〈鳥辺野(とりべの)〉と呼ばれていました。
平安の世、庶民の死体は墓に埋葬されることがなかったため、その死体は、鳥辺野に運ばれた後、野ざらしにされ、〈風葬〉、ないしは、野犬や鳥に食べさせる〈鳥葬〉されたのです。
その鳥辺野に死体を運ぶときに利用された道こそが、今の松原通りなのです。
すなわち、かつての〈五条通り〉こそが、こう言ってよければ、生と死の境界、この世とあの世の境界である〈六道の辻〉だったわけなのです。
つまり、こういった〈生と死の境界〉という意味において、この世とあの世をつなぐ井戸が、六道さんに置かれたのは必然なのではないでしょうか。
ちなみに、「~野」という地名がついている場合、そこが、風葬・鳥葬の地であった可能性が高いのですが、京都の嵯峨野にある〈化野(あだしの)〉もまた、そういった地だったのです。
つまり、かつて嵯峨野にあった福正寺に冥府からの出口である井戸があったのも、これで納得できますよね。
さて、京都には非常に多くの神社仏閣があって、どこに行ったらよいのか迷われる方もいるかと思います。
わたくしも、年に何度も京都を訪れているのですが、わたくしの場合は、自分の研究テーマと絡めて、嵯峨天皇・空海・小野篁と関連の深い地を中心に巡ったりしております。
今年は、卒業論文の執筆があったので、夏以降、一度も京都を訪れることができず、今年の紅葉の時期は逃してしまいました。
でも、です。
実は、明日、金曜日から、三泊四日の予定で京都を訪れる予定なのですの。
実は、今年は、十二月十日から十九日の日程で、嵐山で花灯路という、夜道に灯篭を灯し、嵯峨野にある幾つもの寺院が美しくライトアップされる催しがあって、わたくし、それを非常に楽しみにしておりますの。
そしてさらに、十二月十九日の日曜日というのは、小野篁卿の命日に当たり、この日、六道さんでは、その命日を記念して、寺宝展が催され、小野篁卿の墨書の特別な御朱印がいただけるのですっ!
そういった次第で、わたくし、週末が非常に楽しみなのですの。
それでは、ここまで、わたくしの話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
以上で、わたくしの発表を終えることにいたします」
「はい、千賀さん、発表、ありがとうございました。そして、卒論、お疲れさまでした。週末の京都旅行、楽しんできてくださいね」
隠井は、そう発表者に労いの言葉を掛けたのだった。
〈参考資料〉
〈WEB〉
「大沢池エリアのご案内」,『大覚寺』,二〇二一年十二月十六日閲覧.
「行事」,『六道珍皇寺』,二〇二一年十二月十六日閲覧.
「京都・嵐山花灯路-2021」,『京都・花灯路』,二〇二一年十二月十六日閲覧.
〈書籍〉
永井豪『手天童子』全九巻,東京:講談社,一九七六~一九七六年刊行.
荻野真『孔雀王』全十七巻,東京:集英社,一九八五~一九八九年刊行.
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