令和三年度夏季集中ゼミナール

第06話 夏季ゼミ・オリエンテーション

「はい、この夏季集中・基礎ゼミナールの受講生のみなさん、はじめまして、当ゼミナールを担当する隠井迅と申します。これから、お盆休みを挟んで、八月の一ヶ月間、十五回、よろしくお願いします。

 春学期や秋学期といった通常講義期間、私の講義を履修している受講生の中には、私のことを『ライジーン先生』と呼ぶ学生もいます。ですから、みなさんも、そんな風に呼んでくれて、全く差し支えはありません。ちなみに、私は、自分自身を『ドクター・ライジーン』と称しています。実は、この自称は、私が高校時代にハマった漫画、『MASTERキートン(マスターキートン)』へのオマージュなんですよ(注1)。これは、考古学を専門とする大学講師を題材にした作品なのですが、原作の時代的背景は、ベルリンの壁崩壊前の一九八十年代なので、ちょっと古いんですけれど、知っている人いるかな? もし時間的余裕があれば、是非ご一読を。アニメ化もされているので、観るのもアリかもですね」

 そう言って隠井は、ペンを握った右腕をL字型に曲げると、その腕を肩の上に掲げ、ペンを投げるような格好をしてみせたのだった。


「さて、この夏季集中・基礎ゼミナール、う~ん、長いので、『夏季ゼミ』と略することにしましょう。さてさて、この夏季ゼミでは、最終的に、みなさんに、八千字以上の論考を書いていただこう、と考えてます」

 教室の各所から、「えっ、ええええぇぇぇ~~~」という驚きの声が上がった。隠井は、両の手の平を前方に差し出して、受講生たちからの不平不満の声を押し留めんとした。それから、教室が再び静寂で覆われるのを、しばし待つと、両手を、パンと叩き合わせてから、こう話を再開したのだった。


「ちょっと待ってくださいよ。オリエンテーションなんだから、まだまだ慌てるような時間じゃありませんよ。誰もいきなり〈八千字〉もの論文を書け、とは一言も言っていません。まずは、話を最後まで聞いてください」

 そう言って隠井は、咳払いを一つした。


「それでは、この夏季ゼミの展開を説明します。

 みなさんには、このゼミにおいて、段階的な三つの論考をしていただきます。つまり、二回の発表と、その最終的な成果として、八千字以上のレポートの執筆です。

 これらによって、口頭発表能力と、自分の思考を文章化する力の養成を図ります。

 さて、八千字と言えば、原稿用紙換算二十枚です。数ヶ月前まで、高校生や予備校生で、文を書くとしても、千字くらいの小論文か、あるいは、SNSなどで百四十文字を書くのがせいぜいだったという受講生も中にはいるかもしれません。そういった学生には、八千字なんて、はるか彼方に思えることでしょう。

 しかし、この大学では、四年生の卒業時に、原稿用紙百枚程度の卒業論文が課されています。つまるところ、三年後に書かざるを得ない卒業論文制作の基礎作りというのが、この基礎ゼミの主たる目的で、そのための八千字のゼミ論なのです。

 八千字クラスの論考の場合、ワンアイデアで、ノリと勢いだけで書き切ることは難しいのです。論考の題材を見つけて、テーマを決めて、それに関して、可能限りソースがしっかりした情報を集めて、それに基づいて論理的に思考していって、その結果として、自分の考えを導き出さねばならないのです。そのためには、しっかりした構成も必要になってくるでしょう。

 とまれ、基礎の段階で、こうした論文作成方法を一度でも経験しておけば、基礎ゼミ論の五倍の分量の卒論の制作の際において、大いに役立つことになるでしょう。

 とまれかくまれ、八千字は最終段階の着地点なので、そこに至る過程として、二度、口頭発表してもらいます。まずは、その順番を決めることにいたしましょう」

 隠井は、名簿の出席番号順に学生を呼び出して、お手製のクジを引かせて、順番を決めたのだった。


「クジは運否天賦なので、決まった順番は恨みっこなしでいきましょうね。

 さて、まず第一回目の発表において、君たちがそれぞれ興味関心を抱いている題材から、論考のテーマとなる鉱脈を発掘せねばなりません。

 〈テーマ〉とは、いわゆる、英文法の第二文型であるところの〈SVC〉に似ています。つまり、S(主語)とは論考の主題、C(補語)とは、その主題に対して論者が導く結論のことです。

 題材に関する正確な情報や、論理的な思考は、この〈テーマ〉をより説得的に述べるためのものなのです。

 論考のテーマのためではない情報は、まとめに頑張った点は認めますが、テーマの強固には必ずしも役立つものではありません。ここんところ、注意してくださいね」

 そう言ってから、隠井は、再び両手を一拍叩いたのだった。


「第一回目の発表では大体五分から十分くらい、原稿の字数だと二千字くらいで口頭発表してください。

 ちなみに、レジュメやアイデアメモだけの発表は認めません。

 これだと、ほぼ確実に発表がグダります。そもそもの話、人は書くことによってこそ、物を見、感じ、考えるのです。だから、最初の発表では、二千字以上の発表原稿を用意してください。

 それと、一回目の発表では、キレイにまとめなくても構いません。むしろ、興味ある題材についてブレインストーミング的に思ったこと、考えたことを何でも書き散らしてください。

 繰り返しになりますが、最初の発表の目的は、論考の鉱脈探しです。この段階では、興味ある題材の何が主題になるか分かりませんからね。最初の発表を通して、鉱脈を探ってゆきましょう」

 それから、隠井は顔を一巡りさせて、教室内の受講生の一人一人の表情を確認していった。


「この基礎ゼミの受講生は十五名なのですが、自分の発表順番以外、発表者以外の受講生十四名は、当然、聞き役になるわけですが、私は、君たちをただの受動的な聞き役にさせておくつもりはありません。

 自分以外の発表の時には、注意力散漫なまま、漫然と聞き流しているだけになってしまう、そのような受講生も中には出てきてしまうかもしれません。

 そういった事態を避けるために、聞き手になった受講生は、発表に対してコメントをしてもらいます。

 しかし、自発的な発言を求めたとしても、いきなり、見知らぬ他者の前で意見を述べるというのは、なかなかハードルが高い。そこで、一つ一つの発表に対してコメントを書いて、それを提出してもらいます。

 つまり、発表を聞きながら、あるいは、聞いた直後に自分の意見を書くことによって、聞き手としての、瞬発的なコメント力の養成も目指そう、とも考えている次第なのです。

 そして、コメントの際に注意したいのは、発表を聞いていて良いと思った点を見出すように心掛けることです。

 仮に、発表に対して何か問題がある場合は、より良い内容に発展するような意図をもって、講師である私自身が指摘してゆきます。批判は君たちの役割ではありませんから。

 実は、否定的な意見を言う方が簡単なのです。本来、批判というのは、問題点を指摘することによって、論考を改善して、より良いものにするためのものなのですが、これが案外難しい。意識しておかないと、コメントは、愛の欠片さえない否定的な方向に流れていってしまうものなのです。

 なので、君たち、受講生のコメントは、批判・否定は禁止です。

 また、他人の良い所を見出す行為の積み重ねは、やがて、自分の発表やレポートにおいて、己の良い所を提示しようとする際に、客観的な聞き手としての君たちが、自分の良い所を探す際に自分に返ってくるはずです。

 結局は、君たちがなすべきことって、短時間で自分の良い所をアピールすることです。それって、つまるところ、自分が、良い、面白い思っていることなのです。で、実は、自分の良い所って、自己客観化が困難なものなので、他人の発表で、自分の琴線に触れたことを、言葉にすることによって、自分に良い所の自覚に繋げてゆこうってことなのです。

 そういった次第で、この基礎ゼミではコメント重視します。

 ちなみに、発表に対するコメントは、学籍番号や氏名など、学生の個人情報を消した上で発表者に渡します。

 そうしたコメントの中には、発表者が全く思ってもみなかった箇所に対して、好意的な反応がある可能性もあります。

 発表者は、それらのコメントを、ゼミ論の主題探しや、次の発表や、ひいては最終的なゼミ論に活かしてくだされば、と願っています。

 まとめると、一回目の発表が二千字、二回目の発表が四千字、最終的なゼミ論が八千字なのですが、いきなりではなく、このように段階を追ってやってゆけば、字数に怖がる必要は何もありません。

 さて、ここまで何か質問は?」

 一人の受講生が、まっすぐにピンと腕を伸ばした。

「何か、レポートのお題はあるのでしょうか?」

 隠井は小さく頷いた。

 

「それでは、この基礎ゼミの題材についてお話ししましょう。

 日本のどの土地でもかまいません。その地に関して、君たちの視点で語ってください。

 地理的な面でも、歴史的な面でも、社会的、あるいは、経済的な面でも、または、小説などの虚構作品に中で、その舞台背景になっている空間でも、日本の土地を題材とすれば、どんな観点から語ってくださっても、差し支えはありません。

 題して、『みんなでつくるオリジナル風土記(仮)』です。

 この集中ゼミは、月から金の週五日、三週、十五回に渡って行われるので、最初の週は私が何か話をしますね。そして、二週目が一回目の発表、三週目が二回目の発表とゆう事にしましょう。

 君たちは、一週目の間に、自分の論考のネタを探しておいてださい。

 それでは、面白いゼミ論を一緒に作っていきましょう。

 最後に、私からエールを。

 エイ、エイ、ラ〜ィ」

 そう言って隠井は初回講義のオリエンテーションを締め括ったのであった。


注1:『MASTERキートン(マスターキートン)』,原作・原案:浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志;作画:浦沢直樹,初出;一九八八~一九九四年,小学館『ビッグコミックオリジナル』にて連載,単行本:『ビックコミックス』全十八巻.

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