第02話 日本に入ったフランス語
「ボンジュ~ル、皆さん。先週は、自己紹介の<術語>、もとい、<初対面>の時に使うフランス語を取り上げましたね。いよいよ、今週から、フランス語のはじめの一歩を踏み出してゆきましょう。
さて、皆さんは、日々の生活の中で、非常に沢山の横文字、すなわち、カタカナで表記されるような外来語を当たり前のように使っていると思います。そして、大部分の皆さんは、中学、高校の六年間、早い方は小学生の頃から英語を学習してきていて、おそらく、そんな皆さんにとって、最も馴染み深い外国語とは、<英語>であるように思われます。それゆえに、<外来語=英語>だと、ついつい思いがちなのですが、実を言うと、外来語は英語から来たものばかりではなく、かなり多くの英語以外の言語が由来になっている外来語を、我々はそうとは知らないままに使っていたりします。
歴史的な問題で考えると、戦国時代に、日本が初めて接触したヨーロッパは、ポルトガル、スペイン、あるいは、イタリアでした。それに関しては、鉄砲や、キリスト教の伝来として、歴史の授業で習ったかと思います。
こういった歴史的な事情から、ポルトガル語やスぺイン語由来の外来語は、現在の日本語の中においてもなお、けっこう認められます。
それでは、ポルトガル語由来の外来語を数例みてみましょう」
隠井は、教室全面の大きなスクリーンに、一枚目のスライドを映し出した。
歌留多
合羽
煙草
襦袢
天ぷら
金平糖
カステラ
カルメラ
パン
ボタン
「とりあえず、十個だけ挙げてみました。今に生きる我々は、外来語といえば、カタカナと思いがちなのですが、漢字が当てられているものも結構ありますね。そして、日本に入った結果、音が日本語風に変わってしまったものや、誤解からか、意味が元々のポルトガル語から離れて、日本語の中に組み込まれてしまっているものもあります。この一覧を見て、『知ってる、知ってる』と思ったものや、『エッ! これって、元はポルトガル語だったの?』ていう例もあったかもしれません。
ポルトガル語以外だと、たとえば、江戸時代、鎖国の時期には、日本が、形式上、接触できたヨーロッパの国はオランダだけでした。それゆえに、江戸時代、日本人が学ぶことを許されたヨーロッパの学問はオランダの学問で、それは、<蘭学>と呼ばれた、医学が中心でした。したがって、江戸時代のオランダ由来の外来語は、医学用語に数多く認められます。
さて、戦国時代や江戸時代に入ってきた外来語の一個一個を、細かくみてゆきたい気持ちもあるのですが、この講義は、一応、第二外国語のフランス語という<グリモワール>、もとい、<グラムメール>の講義なので、ここからは、フランス語由来の外来語に照明を当てることにしましょう」
そう言って、隠井はスライドをめくって、今度は、アルファベットで書かれた文字を映し出した。
01:dessin
02:croissant
03:enquête
04:encore
05:eau de Cologne
06:millefeuille
07:hors d'œuvre
08:gourmet
09:aventure
10:mannequin
11:
12:
13:
「外来語として、日本語の中に入り込んでいるフランス語を、とりあえず十個列挙してみました。
それぞれ、フランス語では、どのように発音するのかを確認してゆきましょう。
01は、『デッサン』、<下絵>のことですね。鉛筆などで書いた絵のことです。
02は、『クロワッサン』、皆さん、知っていますよね? これは、パンの種類です。クロワッサンの元々の意味は<三日月>なのですが、要するに、三日月型のパンが、いわゆるクロワッサンなのです。
03は、『アンケート』です。質問に回答する調査ですね。実は、これ、フランス語だったのですよ。ここで、スペルの読み方の注意を。<en>は、フランス語では、<アン>と発音します、エンではありません。この流れで次にいきましょう。
04は、もう読めますよね。エンコールではありません、『アンコール』です。そう、ライヴやコンサートで本編が終わった後に、演者にもう一回出てきてもらいたくて、皆で叫ぶ、『もう一回、もう一回』のアレです。もし『エンコール、エンコール』って言ったら、演者さんはステージに再登場してくれないので、絶対に間違わないように。
これら、01から04までは、たしかに、日本語的な発音になってはいるのですが、フランス語の元の発音に近く、また、意味も、大体において、フランス語のままです。
しかし、ここから見てゆくのは、日本語というフィルターを通した結果、発音のしにくさや、あるいは、英語やローマ字読みの影響のせいで、音が多少変化してしまった事例です。
05は、フランス語では、『オー・ドゥ・コローニュ』なのですが、日本では、『オー・デ・コロン』に音が変化しています。<ドゥ>が<デ>になってしまったのは、おそらくローマ字読みの影響だと思われます。ちなみに、『コローニュ』というのは、ドイツの都市<ケルン>のフランスにおける名称です。『オー』は<水>という意味で、『ドゥ』は英語の<of>なので、直訳すると、<ケルンの水>という意味なのですが、これは、香水の商標名です。とまれ、日本語というフィルターを通した結果、『デ・コロン』のように音が変わってしまった事例です。
06は、フランス語では『ミルフぅーユ』と発音します。これは、日本語と、かなり音がズレてしまっているのですが、誰か、何を意味しているのか分かる方いるかな?」
唐突ではあったが、隠井が受講生に質問を振ると、最前列に座っていた受講生の一人が、小さく手を挙げた。
「じゃ、一番前の君、どうぞ」
「多分なんですけれど、『ミル……フィーユ……』かな……か……と……」
その学生は、自信なさげに、途切れ途切れに小声で答えた。
「いい<直観>しているね。まさにその通り。もっと自信をもって答えてくれてもいいんだよ。
さて、フランス語の『フぅーユ』は、日本語の『フィーユ』のように音が変わってしまいました。おそらくこれは、フランス語の『フぅ』という音が、日本語に存在しない音なので、発音のしずらさのせいで、言いやすい『フィ』という音になってしまったのではないか、と推測されます。
解説すると、『ミル』は<千>、音が変化してしまった『フぅーユ』は<葉っぱ>という意味です。つまり、『ミルフぅーユ』は、複数の葉っぱが積み重なったような形をしているので、この名が与えられている次第なのです。
いいですか、皆さん。この講義で、『ミルフぅーユ』という本場の発音を覚えたからといって、日本の喫茶店では、『ミルフぅーユ』という発音で注文しないでくださいね。絶対に、店員さんに怪訝な顔をされますよ。この発音は、いつかフランスに行った時までとっておいてくださいね。
07は、フランス語の発音は、『オルドゥーブル』なのですが、日本語というフィルターを通した結果、ちょっとした音の変化が起こって、『オードブル』になってしまいました。そしてさらに、若干の意味の変化も起こっています。日本で『オードブル』と言うと、それは、立食パーティーなどにおける、<軽食の盛り合わせ>のことです。しかし、フランス語では、『オール・ドゥ』が<~の外に>、『ウーヴル』が<作品>という意味で、直訳すると<作品の外に>という意味になります。つまり、元々のフランス語では、メインの肉や魚の前に出される<前菜>が、『オルドゥーブル』なのです。『オルドゥーブル』は、メインの前に食べる軽い、しかも、様々な種類の料理なのです。おそらく、この連想から、『オードブル』が独り歩きしてしまって、日本では、単なる<軽食の盛り合わせ>という意味で使われているように思われます。
08は、『グルメ』、これは、音に関しては、フランス語も日本語も差はないのですが、意味はかなりズレています。日本では『グルメ』というと、美味しい食べ物とか、そういったものを提供するレストラン、つまり、<美食>って意味で使われているのですが、フランス語の『グルメ』は<食通>のことです。つまり、美味しいものを食べて、あれこれ語る人のことですね。
09は、『アヴァンチュール』と発音します。日本では、<大人の恋の冒険>という限定された意味で使われていますが、元のフランス語の意味は、普通に、<冒険一般>、『アドヴェンチャァァァ~~~』のことで、恋の火遊びだけを指すわけではありません。
最後の10は、フランス語では『マヌカン』と発音します。これ、実は、音という点では、元々のフランス語の音から大きく離れてしまっています。また、クイズにしてみましょうか。山勘でかまわないので、誰か?」
残念ながら、誰一人として手を挙げる者はいなかった。そこで、隠井は、適当に指名することにした。
「それじゃ、出席番号一番の有木さん」
「う~~~ん、マヌカン、マヌカン、マヌカン。わかったっ! <マカロン>」
「あぁぁぁ~~~、そういう発想かっ! <マ>と<カ>と<ン>の三文字は共通だけど、残念ながら、マカロンではありません。
じゃ、あと一人くらい、尋ねてみようかな。出席番号十一番の佐藤さん、どうぞ」
「……マネキン……かな?」
「その通りです。衣服のディスプレイのために服を着せる人形、あのマネキンです。ただし、フランス語で『マヌカン』と言うと、これは、<ファッションモデル>のことも意味します。人であれ、人形であれ、他者に見せたい衣服を着せる存在が『マヌカン』なのです」
隠井は、列挙した十個のフランス語由来の外来語を説明し終えた所で、少し間を置いた。
「さて、11から13までが空白になっているのが気になった人もいるかもしれません。これは、君たち自身に、穴埋めしてもらおうと考えているからです。
あっ! 時間になってしまいました」
課題の説明を始めようとした所で、腕時計のアラームが鳴った。かくして、一個一個の説明に熱が入り過ぎてしまった隠井は、課題の提示を次回の講義に回すことにしたのだった。
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