第03話 課題提示と四月二十三日

「ボンジュ~ル、こんにちは。

 前回、時間切れのために中途になってしまった、課題に関することから、話を始めましょうかね。

 外来語として日本語の中に入り込んでいる横文字の中には、英語だけではなく、ポルトガル語やオランダ語、そして、フランス語もかなりの数が認められます。たとえば、『ミルフぅ~ゆ』や『アヴァンチュール』、あるいは、『マヌカン』という、十個の事例を君たちに提示しました。

 で、もちのろんなのですが、日本語の中に認められる外来語としてのフランス語が、この十個だけのはずはありません。そこで、ゴールデンウィーク期間中の課題として、日本語の中に確認できるフランス語を、最低三つ見付けて来てください。それが、十一番から十三番までが空白だった理由です」

「先生、具体的には、どのような事を調べてくればよいのですか?」

「オッケー牧場。今から、説明しますね」

 そう軽いジャブのような冗談を差し挟んだ後で、隠井は、スライドを見せた。


 1:出典(ソース)の明示

 2:その単語のスペル

 3:発音をカナで表記

 4:日本語の意味

 5:コメントを200字以上で


「さて、一項目ごとに説明してゆきましょう。

 まずは、そのスペルをどこで見つけたのか、ソース、つまり、出典を明らかにしてください。これは、大学生の君たちがレポートを書いてゆく上で非常に重要なことで、簡単に言うと、出典を書かないと、単なるパクリ、出典を明記すれば、参照や引用になります。

 数年前に、出典が不明瞭な論文がパクリ疑惑で学会で大問題になったことがあったのですが、学術論文において、これまでに書かれた何かを参照するのは当たり前のことで、百パーセントの純粋オリジナルなものなんて存在しません。学問とは、それが、研究であれ、学生が書くレポートであれ、これまで書かれたものの延長線上にあるのです。ですから、僕たち君たちがなすべきことは何かというと、たとえ面倒だと思っても、何を参照にしたのか、そのソースを明確に提示することなのです。これは、絶対に怠らないようにしてくださいね。

 さて、二つ目と三つ目は、その見付けた外来語のスペルを書いて、それに対応する発音をカタカナで表記してください。ちなみに、日本の中で見かける外来語としてのフランス語の中には、アルファベ表記のものもあれば、カタカナ表記のものもあります。なので、二と三に関しては、スペルで見付けても、カタカナで見つけても、どちらがベースになっていてもかまいませんよ。

 そして四、見付けた単語の意味も調べてきてください。

 最後の五、その単語に関して、何らかのコメントをしてください。字数が二〇〇字以上というのは、特に意味があるわけではないのですが、短文形式のSNSの文字制限が一四〇字なので、それ以上は書いてもらいたいってだけの話です」

「先生、調べてくるのって、外来語限定ですか?」

 受講生の一人が質問してきた。

「おっ、この質問来ましたね。言葉として、日本語化している外来語だけではなく、リアル、あるいは、オンラインの別なく、日本で見かけるフランス語ならば何でも構いません。たとえば、店の名前や、漫画、アニメ、ゲーム、歌など、なんらかの虚構作品において、作中人物の名前やセリフなど、日本で見かけたものならば、何でも構いません。ただ、後から、ソースを参照したいので、その出所は、可能な限り具体的に書いてくださいね。最初に指示したように、『ソースは明確に』です。そうですね、どんな風に書くのか、例をあげてみましょうか」

 隠井は、スライドをめくった。


 1:新宿区・○○町

 2:chat noir

 3:シャ・ノワール

 4:黒猫

 5:コメント


「こんな風に、五つの項目を埋めたものを、最低三つ見付けてきてもらいたい次第なのです」

「先生、コメントは何を書けばいいんですか?」

「それこそ、関係する事柄ならば、何でも自由に書いて構いません。そうですね。たとえば……。

 『シャ・ノワール』は、私の家の近所にある喫茶店の名である。<シャ>というのは<猫>、<ノワール>というのは<黒い>という意味で、まとめると<黒猫>である。フランス語では、日本語や英語と違って、形容詞は名詞の後につける。ちなみに、私は猫を飼っているのだが、時々、『シャ~』って鳴くので、この単語は非常に覚えやすかった。さらに、猫は黒猫で、名前は『ジジ』という。どうしてこの名かというと、わたしは、とあるアニメが大好きで……」

 隠井は咳払いをした。

「まあ、こんな風に、君たちが見つけた外来語に掠っていれば、コメントは何でもよいのですよ。むしろ個性全開で書いてくれた方が、読む僕も面白いので、はりきって書いてくださいね。

 このレポートの意図は、少し回りを見渡してみれば、実は、思っている以上に、日本にはフランス語が流入していて、せっかく、二外として学んでいるのだし、周囲のフランス語に対して敏感になってもらいたい、と考えている次第なのです。それで、レポートには、こういった題目をつけてみました」

 隠井はスライドをめくった。


 『街でみかけるフランス語』


「ちょっとしたヒントを言うと、フランス語って、レストランやブティックなど、お洒落な店名に多いんですよね。場所で言うと、表参道や銀座に多いんですよ。まあ、他にも沢山あるのです、探してみてください。きっと思い掛けない発見があるかもしれませんよ」


 ゴールデンウィーク期間中の課題の説明の後は、フランス語のスペルの読み方ルールに関する講義が淡々と展開されていった。そして、説明が一区切りがついたところで、まだ講義時間は十分ほど余っていた。


「少し時間が余ったので、何か話ましょうかね。

 今日は四月二十三日ですね。文学史的に、今日って何の日か知っていますか?

 実は、四月二十三日というのは、一五六四年に生まれて、一六一六年に亡くなったとされる、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日にして、同時に命日という説があるのです。

 『説』と<ただし>を付けたのは、シェイクスピアが洗礼を受けたのは、四月二十六日で、誕生の際に同時に洗礼も受けるという慣習を考慮に入れると、三日の時差があるため、実際に四月二十三日に誕生したかどうかは分からないそうなのです。命日の方は四月二十三日らしいので、生誕日と命日が同じ方が、伝説感がましましになるので、このように言われているのかもしれません。

 そして命日に関しては、<四月二十三日>とはいっても、それは、<ユリウス暦>における日付なのです。現在の暦は、一五八二年に行用された<グレゴリオ暦>が用いられているのですが、命日は、グレゴリオ暦で言うと、五月三日に当たるのです。

 このように考えると、四月二十三日は、一概に、シェイクスピアの誕生日にして死亡日といっても、洗礼日とグレゴリウス暦の問題から、ちょっと、<ただし>を付けて考える必要がある分けなのです。

 ちなみに、四月二十三日は、『ドン・キホーテ』の作者、セルバンテスの命日でもあるんですよね。

 さらに、文学や本との関連で言うと、四月二十三日は、スペインのカタルーニャ地方では、<サン=ジョルディの日>とされています。

 これは、キリスト教の聖人である、聖ゲオルギオスの祝日に当たるのです。

 ゲオルギオスは、伝承としては、竜退治の伝説で有名な聖人なのですが、この『ゲオルギオス』というのは、古代ギリシア語の発音で、ラテン語ではゲオルギウス (Georgius)、ドイツ語ではゲオルク(Georg)、イタリア語ではジョルジョ(Giorgio)、英語ではジョージ(George)、フランス語はジョルジュ(Georges)となっています。

 同じ人物なのに、国や言語に応じて、スペルの違いや発音の違いがあるのも興味深いのですが、それに関しては別のお話といたしましょう。

 さて、ゲオルギオスは、スペイン語ではホルヘ (Jorge)なのですが、カタルーニャ語では ジョルディ (Jordi)です。

 そして、このカタルーニャ地方では、四月二十三日に当たる聖ゲオルギアの祝日は、『サン=ジョルディの日』と呼ばれ、この日は、<本の日>とされています。

 元々、この祝日には、カタルーニャでは、男女を問わず親しき間で、バラを贈り合うという風習があったのですが、それがいつしか、男性は女性に赤い薔薇を贈り、女性は男性に本を贈るという風習になりました。もっとも、女性に限らず、男性から女性に本を贈ったり、親子や友人間で本を贈り合う場合もあるようです。

 とまれかくまれ、このカタルーニャ発祥の風習に基づいて、スペインからの提案で、ユネスコによって、四月二十三日は、<世界図書・著作権デイ(世界本の日)に制定され、日本においても、サン=ジョルディの日に、本を贈るという風習が紹介され、その結果、四月二十三日は、<子供読書の日>に定められました。

 残念ながら、本を贈り合う風習は、日本では、バレンタインでチョコを贈る程の盛り上がりは見せておらず、むしろ、知らない人も多いようなので、ぜひ皆さんには、この風習を広めていただきたいと思っています」


 それから、隠井は一拍おいて、この話のまとめに入った。

「さて、かくのごとく、<四月二十三日>とは、括弧付きであるにせよ、シェイクスピアの生誕日にして死亡日、さらには、セルバンテスの命日であるだけではなく、カタルーニャでは本を贈り合うという、実に、文学や書物と関連が深い日なのですよ

 そしてさらに――

 この日、四月二十三日、という日は、わたくしこと、隠井迅が数十年前に産声をあげた日でもあるのです。

 こう言ってよければ、僕は、シェイクスピアか、セルバンテスの生まれ変わり、あるいは、文学や書籍の申し子と言えるでしょう」


 ドヤ顔をして、こう言い放った隠井に対して、教室の片隅から小さく拍手をした者が現れると、数瞬後には、教室は万雷の拍手で覆われた。

「なんか強要したみたいで、ごめん……。でも、ありがとう」

 急に恥ずかしさを覚えながらも、隠井は、照れながら謝意を表したのであった。

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