令和三年度(2021年度)春学期

第00話 入学式のメントール

 令和三年の三月は、非常に暖かい日が続いていた。

 こうした高温傾向の影響もあって、桜の蕾が急成長し、東京におけるその開花日は、観測史上、最速であった昨年並みの早さであった。 

 そのお陰もあって、三月二十五日の卒業式の折には、満開の桜の下、卒業生を送り出す事ができた。しかし、三月末の春の長雨を境に、花の盛りは過ぎ去ってしまったようで、一週間後の四月一日の入学式の日には、大学キャンパス内の桜の木の枝を彩る薄紅色の花々の間には、早くも、緑の葉桜が見え始めていた。


 大学講師の隠井迅は、来週から始まる講義の準備のために、大学を訪れていた。

 桜の開花状況は、昨年と同じ早い足並みだったのだが、キャンパスの情景は去年とは大きく異なっている。

 昨年は、世界規模の感染症のせいで、卒業式も入学式も中止されてしまっていたからだ。それだけではなく、緊急事態宣言発令後、大学構内への出入りは、夏まで禁じられ、講義の開始日は黄金週間明けにずれ込み、さらに、講義形態もオンライン講義に変更になり、かくして、大学構内から学生の姿は完全に消え去ってしまっていた。

 もちろん、今年も未だパンデミックの悪影響から完全に脱却したわけではない。その証拠に、入学式に参列する保護者の姿はなく、また、一昨年前まで、新入生をサークルに勧誘するために、所狭しと構内を埋め尽くしていた在校生の姿もまた全く見られない。

 それでも、入学式が開催されたこの日、キャンパスの中には、まだ着慣れない、新品のスーツで身を包み、ちょっと不格好に、大き過ぎるノッドでネクタイを結んでいたり、あるいは、グレーやネイビーなどのダークカラーのスーツに、白いブラウスを組み合わせ、胸を大きな白いスカーフで飾った、晴れやかな顔をした数多の若者たちの顔を見ることはできた。


「この中に、僕が受け持つことになる学生がいるかもしれないな」


 今年度、隠井が受け持つことになっているのは、第二外国語であるフランス語の文法と、文化史の一般講義、そして、国際比較文化論のゼミである。特に、第二外国語は、入学したての一年生向けの科目である。

 目の前で新品のスーツを着ている若者たちは、高校生や浪人生の状態から抜け切れていない、いわば、まだ<生徒>的な存在なのだ。つまり、教師が教卓から話す内容を、可能な限り素早く正確に覚える、という教育をこれまで受けてきたわけで、たしかに、そういった意味での優秀さはあるかもしれないが、こう言ってよければ、未だカットされていない原石に過ぎない。そんな彼ら彼女たちを、この一年をかけて、自分でテーマを設定し、自ら思考し、自ら学ぶ意志をもった、<学生>という存在へと変化させることこそが、実は、一年生を担当する者の本来の役割なのだ。


「僕は、<ティーチャー>というよりも、むしろ、<メンター>なんだよね」


 <メンター>という語は、昨今、様々な局面で使われるようになっている利便性の高い言葉だ。たとえば、企業などにおいて、教育係を務める、新入社員と年齢が近い先輩社員のことを<メンター>と呼んだりもしている。

 そもそも、この<メンター>という語は、古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩、『オデュッセイア』の中に出てくる老人、<メントール(Mentor)>に由来している。

 メントールは、イタケ島出身の老人で、オデュッセウスが、トロイ遠征で家を留守にする間、家を守ってくれるようにメントールに頼み、さらに、息子テレマコスの養育までもこのメントールに委ねた。

 つまるところ、その教育係であるメントールは、テレマコスにとって信頼に値する、心の支えとなったのだ。

 実は、このメントールは、知恵の女神アテナが変化した姿であった。

 このように、メントールがテレマコスの教育係であったことから、<恩師>や<教育者>、あるいは、<助言者>をメンターと呼ぶようになり、それが、現代においても、<教育係>という意味で用いられている次第なのである。もっとも、『オデュッセイア』におけるメントールから、いささかズレてしまっている感もあるのだが。


 もちろん、ここで隠井が言う<メンター>とは、語源的な、『オデュッセウス』的な意味における<メンター>で、現在的な使い方ではない。さすがに、年齢差を鑑みると、学生にとって、そこまで兄貴的たり得ない。

 さて、ここまで、十二年間の教育によって、知的情報を一方的に教え授けられてきた、高校四年生の如き<生徒>的大学一年生を、<学生>に変貌させるには、教卓から提示した<知識>を叩き台に、自ら思考を巡らすように促していかなければならない。

 別の比喩を用いて、教卓にいる講師を野球のコーチとみなすのならば、コーチはバッターボックスに立って、プレイヤーの代わりに、自らバットを振ることはできない。バットを振るのは、あくまでも学生自身で、コーチにできることはせいぜい、プレイヤーが理想的なスイングを実現するための補助的指導だけなのだ。

 そして、教卓に立っているコーチたる講師にできることは、学生が思考を巡らせるために、その材料になるような興味深い話を語ったり、先達という立場から、彼らが考えてきたことを聴いてあげて、仮に、何らかの問題が認められた場合には修正を施してあげる、つまり、講師にできるのも、せいぜい助言だけなのである。


 実は、今年も、面と向かっての完全なる対面講義ができるわけではなく、講義形態は、オンライン講義や、対面とオンラインを組み合わせたハイブリッド講義が余儀なくされている。そのため、今年の自分が、真新しいスーツを身にまとった若者たちにとって、果たして、適切な導き手である、メントールの如き存在たり得るかどうか、不安がないわけではない。

 しかし、そうありたいとは強く念じているのだ。


「入学式の日に、わざわざ大学に講義の準備をしに来たのは、むしろ、新入生の姿をみて、<メントール>としての覚悟を完了させたかったからかもしれないな」

 そう呟いた隠井は、キャンパス内の緩やかなスロープを上りながら、新入生たちとすれ違っていったのだった。

 


<参考資料>

「桜ナビ2021」,「気象庁開花情報 ;お天気ナビゲータ」,日本気象株式会社,二〇二一年四月一日閲覧.

「テレテマコス」「メントル」,マイケル・グラント, ジョン・ヘイゼル共著,『ギリシア・ローマ神話事典 』,東京:大修館書店,一九八八年.

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