令和二年度秋学期

世界遺産

第15講 嚴島神社とモン・サン=ミシェル

 隠井は、夏期集中講座で『比較文化論』の講義を分担した際に、「日仏比較文化論」をテーマとしたレポートを出した。そして、隠井の許に届いたレポートの中には、<世界遺産>をテーマにしたものが予想以上に多かった。そうしたレポートを読んでいるうちに、隠井は、十月から再開することになる後期の講義の中で、世界遺産を題材にした回を設けるのも面白いと思い始めていた。実は、隠井は、大学生の頃から、全国各地を旅して回っており、これまで、幾つかの世界遺産を訪れてもいた。その経験を活かすなら、まさに<今>でしょっと思った次第なのだ。


「みなさん、ご無沙汰しています。後期も、ミーティングアプリを利用しての、リアルタイム配信講義になってしまい、直接会えないのは残念ですが、しっかりやっていきましょう。

 夏休みの間、秋になったら、どんな話をしようか、と考えていたのですが、『そうだ、<世界遺産>にしよう』と、突然、思い立ちました。

 さて、もしかしたら、皆さんの中には、広島の宮島に赴き、嚴島神社を訪れた事がある受講生もいるかと思います。かく言う私も、高校時代の修学旅行の際に初めて訪れて以来、その後も、何度か宮島を訪れる機会に恵まれました。

 観光客が宮島を訪れる場合には、広島電鉄、あるいは、JRの宮島口駅に隣接している船乗り場からフェリーに乗り込んで、宮島に渡る事になります。そこからは、宮島松大汽船とJR西日本宮島フェリーという、二種類のフェリーが出ているのですが、どちらのフェリーに乗ったとしても、結局、船が到着するのは、同じ宮島桟橋旅客ターミナルです。そのフェリーの改札から出ると、出口のほぼ正面に、とある模型があるのに気が付く観光客もいることでしょう。そこに並び置かれているのは、日本の広島県の嚴島神社と、フランスのモン・サン=ミシェルの模型なのです。

 実は、二〇〇八年に、日本は、フランスと国交を結んでから百五十周年を迎えました。百五十年前と言えば、一八五八年、日米修好通商条約の調印と同じ年ですね。とまれ、その記念の年である二〇〇八年は、<日仏観光交流年>として宣言され、フランスにおいても、日本においても、様々な観光キャンペーンが展開され、なんと、フランスに紹介したい日本の観光地として、<宮島>が選ばれたのです。

 実際、感染症が拡大する以前に、私が宮島を訪れた際には、数多の外国人観光客の姿を目にしました。たとえば、私は、フランス人の観光ツアーに遭遇した事があります。

 たしか、嚴島神社にいた時に、突然、フランス語が耳に入ってきて、振り返ってみると、なんとフランス人のグループがいました。仕事柄、フランスと関わっているので、なんか妙に嬉しくなって、そのフランス人ガイドさんに、思い切ってフランス語で話し掛けてみたのですが、冷たく対応されちゃいました。まあ、そりゃそうか、いきなり日本で、日本人がフランス語で話し掛けてきたら、さすがに、ちょっと怪しいかもしれませんね。

 そうそう、嚴島神社では、フランス人と思しき御婦人が、御朱印目的で列に並んでいるのを見かけたこともありました。この時は、フランス人にも御朱印を集めている人がいるのかって純粋に感激しましたね。

 私が目にしたのは、ほんの数例ですけれど、ユネスコの世界遺産にも登録されている嚴島神社が、フランス人にとって魅力的な観光地の一つであるのは確かなようです。

 さて、宮島のフェリーターミナルの模型に話を戻すと、実は、宮島の嚴島神社がある広島の廿日市市と、モン・サン=ミシェルのあるモン・サン=ミシェル市は、二〇〇九年に観光友好都市として提携を結び、かの模型は、その姉妹都市の締結を記念して、作成されたものなのだそうです。

 フランスの西海岸、サン・マロ湾上の小島、モン・サン=ミシェルもまた、一九七九年に、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 この<西洋の驚異>と称されているモン・サン=ミシェルは、日本人にも人気が高いフランスの観光地の一つです。パリからバスツアーも出ているのですが、往復の移動と島の観光でほぼ一日がつぶれてしまうので、時間がもったいないようにも思えるのですが、それにもかかわらず、モン・サン=ミシェルが高い人気を誇っているのは、生涯において一度は訪れてみたい、という気にさせる、そんな魅力に溢れているからでしょう。

 かくいう私も、最近では、約十年前の二〇十年の春に、モン・サン=ミシェルを訪れました。その時の印象なのですが、島の中は本当に日本人だらけで、えっ、ここ、伊勢神宮じゃないよね? と勘違いしてしまう程の日本人の多さでした。

 おそらく、私が訪問した時に、たまたま日本人が多かったわけではなく、その証拠は、島の中のお土産屋の中に、日本人の観光客向けに、日本語のポスターが貼られている店もあり、また、売り子が日本人という店も存在していたことです。

 さらに、です。私は、せっかく、パリから、列車とバスを乗り継いで数時間かけてモン・サン=ミシェルまで来たので、一泊する事にしました。そして、その泊まったホテル、私も含めて全てが日本人だったのです。ちなみに、モン・サン=ミシェルの名物料理は、巨大なオムレツなのですが、本来、そのオムレツはあくまでも一人用の品なのです。欧州では、原則として、一人一皿という食文化があって、一皿の料理を何人かで分け合うことはありません。実際、モン・サン=ミシェルのレストランで、友人とオムレツをシェアしようと、取り皿を要求した日本人観光客が、給仕係に怪訝な顔をされたのを目撃した事があります。だが、しかしです。日本人で満員御礼のホテルでは、普通に取り皿を配って、日本人の観光客達は、オムレツをシェアしていました。ホテルのサービスにおけるこうした変化は、宿泊客に日本人が多いことを示唆しているように思われます。

 さて、このように、嚴島神社にはフランス人が、モン・サン=ミシェルには日本人が数多く訪れていたのですが、このような、それぞれの地における<外国人観光客>の多さという観光地としての人気の高さだけが、この二つの観光地の提携の理由ではありません。

 宮島に嚴島神社の社殿が建てられたのは、五九三年、推古天皇即位の年だと伝えられています。その後、安芸守となった平清盛が、嚴島神社を篤く信仰し、一一六八(仁安三)年に、寝殿造の様式を取り入れた社殿に修造し、以後、清盛の官位が上がるにつれ、平家一門にとって、嚴島神社は重要な地となりました。

 その後、平家から源氏に時代が移り変わっても、嚴島神社に対する人々の崇敬の念は変わることなく、室町時代から戦国時代においては、大内家や毛利家からも崇拝されていたそうです。

 一方、フランスのモン・サン=ミシェル修道院、その名称の「モン(Mont)」は仏語で「山」、「サン=ミシェル(Saint-Michel)」、「聖ミカエル」と言った方が、みなさんにもピンと来るかもしれません。

 七〇八年、アヴランシュの司教であった聖オベールが、夢の中で、<トンプ山>と呼ばれていた、周囲九百五十メートルの岩山の上に教会を建てるように、という大天使ミカエルの御告げを聞いたことが、宗教施設建造の切っ掛けになったそうです。その後、九六六年にベネディクト会の修道院になって以降、数世紀にわたって、増改築が繰り返されて、結果、さまざまな建築様式が混在した建造物になりました。

 この修道院は、<イギリス海峡>に面している、という立地条件から、十四世紀から十五世紀にかけての英仏百年戦争の折には、対イギリスの要塞として利用された事もありました。

 また、フランス革命の時には、破壊と略奪の憂き目にあい、その後、修道院は解散してしまいます。ただ、建物自体は牢獄として用いられる事になりました。

 どういう事かというと、海に面したモン・サン=ミシェルは、潮が引いた時には、陸続きとなるのですが、逆に、潮が満ちた時には、海に浮かぶ孤島となってしまうのです。つまり、干満の差が著しいため、脱出困難な<海の牢獄>として利用される事になったのです。

 また、フランス革命以前に、モン・サン=ミシェルが、修道院として、聖地巡礼の対象であった際には、潮が引いた砂地を歩いて、島まで移動しようとした巡礼者が、急激に潮が満ちた事によって溺死したという悲劇も数多く起こったそうです。

 ここまで話せば、皆さんも、もはや、モン・サン=ミシェルと嚴島神社の共通点が御分かりですよね。

 たとえ、実際に嚴島神社を訪れた事がないとしても、この神社の特徴が、海の中の大鳥居だという事を耳にしたことがあるかと思います。

 この朱色の鳥居は、一日中ずっと海の中にあるわけではなく、潮の満ち引きによって、海上にあったり、陸上にあったりします。そして、潮が引いた時には、砂上を歩いて、鳥居の下まで行くことも可能です。私は、潮が満ちた時の海上の鳥居も、潮が引いた時の砂上の鳥居も、両方観たことがあります。もちろん、鳥居の下まで歩いて行ってもみましたよ。

 ただ、残念ながら、今、大鳥居は修繕工事中で、その終了予定日も未定、しばらくは、宮島に行っても、鳥居を見ることはできないのですが。

 とまれかくまれ、嚴島神社とモン・サン=ミシェルという、日仏の世界遺産が姉妹提携しているのは、千年以上もの歴史を誇る宗教的建造物である事や、時には、武士や軍人によって軍事的施設として利用された事もさることながら、潮の満ち引きによる状況の著しい変化という、その特異性が、嚴島神社と、モン・サン=ミシェルの共通点になっているからでしょう。

 特に、潮が満ちた時に海上に浮かんでいるかのような、荘厳で孤高の建造物、嚴島神社とモン・サン=ミッシェルを、いつの日にか、皆さんにも肉眼で視認していただけたら、と思います。


<参考資料>

<WEB>

「御由緒」,『嚴島神社』,二〇二〇年十月六日閲覧. 

「長い歴史を生き抜いてきた巡礼の地」,「世界遺産モン・サン・ミッシェルのおすすめ観光情報」,『地球の歩き方』,二〇二〇年十月六日閲覧.

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