第14講 クールジャパン、そして、<比較>の本質
「前回までの講義では、開国以降の日本文化の欧州へに影響、例えば、浮世絵が印象派にもたらした影響などを、<ジャポネズリー>あるいは<ジャポニスム>という用語で確認してきました。これらが表わしているのは、十九世紀後半という近代の欧州における日本文化の受容状況でした。
それでは、二十一世紀において、日本文化は欧米でどのように受け入れられているのでしょうか?
皆さんも耳にした事があるかもしれませんが、現代における欧米の日本文化需要は、<クールジャパン>という用語でまとめる事ができるかもしれません。
それでは、クールジャパンとは、一体何かって話になります。
クールジャパンって言うと、どうしても我々は、日本の漫画やアニメなどを指していると思い込みがちです。しかしです。クールジャパンは、十九世紀のジャポニスムにおける陶磁器や浮世絵が、ただ単に、漫画やアニメというコンテンツに置き換わっただけというわけではありません。このクールジャパンの<クール>とは、欧米人が『クール』すなわち、カッコいいと思う日本に関する事象全てを指します。すなわち、欧米には存在しなかった日本独自の事象の中で、『これは変だよニッポン』という印象ではなく、欧米人が『CooL』と思わず叫んでしまうような事象が、すなわち、<クールジャパン>なのです。
それでは、欧米人が、一体いかなる事柄に<クールさ>を覚えるかというと、それに関してアンケートが為された事があって、なんと、漫画やアニメが上位に来るかと思いきや、シャワートイレやアイスコーヒーなどが上位を占めていたのですよ。
そのアンケートに回答した外国人のコメントを見てみると、日本で実体験する前は、シャワートイレやアイスコーヒーなどあり得ない、オカシイよニッポンっと思っていたそうなのですが、ひとたび味わって、その素晴らしさを実感したら、『もはやシャワートイレなしではいられない、夏は、アイスコーヒーでしょ、飲んだらクールになるしね』ってなってしまったそうです。
つまところ、クールジャパンとは、漫画やアニメだけではなく、欧米には認められなかった、欧米人がカッコいいと思える日本発の事象全般を指すわけなのです。
シャワートイレだと、<家電の国日本>のクールさって感じですよね。
さて、こういったクールジャパンの具現化の一つが、世界各地で行われている日本文化の祭典です。
一つ紹介いたしましょう。
二〇〇〇年の第一回目を皮切りに、現在のフランスのパリでは、毎年七月の第一週目の週末に、欧州最大の日本文化の祭典<ジャパン・エキスポ>が催されています。日本でも、ニュース番組やヴァラエティ番組で特集されたりしているので、こうした祭典の存在を知っている人もいるかと思います。
しかしです。どうしても日本に住んでいて、フランスのジャパン・エキスポの実情を知らないと、この祭典を、たとえば、コミケやアニメ・ジャパンのような、欧州の漫画やアニメヲタク向けの催しだと思い込んでしまうかもしれません。
もちろん、漫画やアニメ関連の展示もあり、作家や声優、そして歌手なども呼ばれて、トークショーやサイン会、ライヴなども行われています。しかし、それだけではなく、日本の<お祭り>を再現し、たこ焼きが売られていたり、金魚すくいがあったり、あるいは、バッティングセンターやゲームセンター、書道や将棋や囲碁、あるいは、座禅の体験コーナーなどもあって、つまるところ、ジャパン・エキスポとは、伝統的なものから現代的なものに至るまで、日本文化全般を扱った博覧会なのです。
そうした展示の中で、私が面白いと思ったのは、制汗スプレーの体験コーナーでした。『えっ、それって日本文化?』って奇異に思う人もいるかもしれません。欧州も夏はそれなりに暑いのですが、たとえば、パリは緯度で言うと、だいたい札幌と同じくらいで、日本の夏のように湿度が高い暑さではないので、こういったタイプの制汗スプレーは、少なくとも私がフランスにいたころには、欧州では認められませんでした。だからこそ、ジャパン・エキスポで展示されたのでしょう。そして、ジャンパン・エキスポの会場で、これを自分の脇や胸元に、生まれて初めて噴射させた欧米人は、吹き付けた瞬間に、きっとヒンヤリして、『CooooooL(ク~~~ル)』って叫んだに違いありまん。これも、欧米には存在しないクールな日本の事象、まさしく、これも『クールジャパン』の一つと言ってよいと思います。
さて、ジャパン・エキスポの展示の一つ一つを見てゆきたい気持ちもあるのですが、時間的な問題もあるので、あと一つだけピックアップしましょう。
それは<カラオケ>です。
欧米では、リズムとメロディーだけのインストルメントの音楽、カラのオーケストラ、すなわち<カラオケ>に合わせて、歌を歌うという文化は、かつて存在していませんでした。それゆえに、こういったものを言い表す言葉が存在せず、こういった事象は、フランスでも<KARAOKE(カラオケ)>と日本語と同じ音で表わされているのです。
我々日本人におけるカラオケとは、ある閉鎖された空間に仲間が集って、順番に歌ってゆくというものです。
これに対して、フランスにおけるカラオケ、少なくとも、ジャパン・エキスポで催されたカラオケは、会場で流された曲を、会場に集まった全員で合唱するというものでした。
これに対して、<違う>という印象を抱く受講生もいるかもしれまん。それは、我々日本人が、カラオケを、閉鎖空間にて内輪で順番に歌うもの、という共通認識を抱いているからで、そうした日本人の視点から見ると、知らない人間が集った広い会場で、カラオケに合わせて、皆で合唱する姿は<奇異>に思えるかもしれません。
しかし、これは、日本発のインストに合わせて歌を歌うという文化が、フランスに入った際に、フランスというフィルターを通った結果として生じたフランス独自の変化なのです。
たしかに、インストに合わせて歌うという共通点は認められるものの、日本のカラオケとフランスのカラオケは、こうした明らかな相違点があります。しかしながら、ここで皆さんに、意識していただきたいのは、これは、あくまでも、<違い>であって、<違う>ではない、という事です。この認識がないと、日本人の目から見て違和感を覚えるような何らかの海外の事象を見た時、<違う>という反応しかできなくなります。しかし、少なくとも、私の講義を受けた皆さんには、<違う>という脊髄反射的な反応をする前に、一度、立ち止まって落ち着いて、それはあくまでも<違い>であって、その国独自の変化の様態だと理解していただきたい、と思います。
皆さん、今回で、この夏期集中講座『比較文化論』の私の担当は終わりになります。ここまで、私の話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
さて、シラバスにも書かれているし、既にコーディネーターの先生から初回講義の際に話があったかもしれませんが、このオムニビュスの講義では、担当講師のいずれかを選んで、レポートを書く事になります。
私のテーマは、「日本と海外の比較」です。テーマはかなり広いのですが、日本を軸にしていれば、どんなものでもかまいません。
今回の私の講義内容は、ジャポネズリー、ジャポニスム、クールジャパンなど、日本文化の外国への影響を中心に語ってきましたが、レポートでは、逆に、海外文化の日本への影響で書いてもかまいません。あるいは、影響・被影響関係なしに、何らかのテーマを取り上げて、それに関する日本と海外の比較をしても構いません。要は、日本を軸にして比較をしていれば、何でもアリです。
大切なのは、自分が興味関心を抱いている事象に関して、様々な資料に当たって、可能な限り調べ尽くして、それらを材料に思考を巡らして、その結果として、自分なりの解釈をしてみる、という事です。たしかに、テーマの自由度は高いのですが、自分の興味のある事ならば、それほど苦にはならないでしょう。
ただ、二点だけ注意を述べさせてください。
この講義の節々で、言及してきましたが、<比較>という手法の本質は優劣をつけることではありません。我々は、この事を、シッカリと自覚していないと、この泥沼にはまりこんでしまいます。
いいですかぁ、君達ぃぃぃ」
隠井は、受講生には見えてはいないものの、画面の前で、髪を掻き上げる仕草をした。
「<比較>というのは、二つ以上のものを並べ置き、その類似点や、特に相違点を浮き彫りにする事によって、物事を単独で見た時には気付き得ない特徴を詳らかにする事です。勝ち負けをつける事ではないのです。この事を心に留めていただけたら、と思います。
それともう一点、<違う>と<違い>、この違いに敏感になってください。
とかく、僕達は、自分と異なるものの見方や考え方、こう言ってよければ、異なる価値観に対して<違う>と反応しがちです。しかし、自分とは異なるからといって、よく考えずに、反射的に<違う>と断じないようにしていただけたら、と思います。
ある事象に対する解釈のあり方は多種多様です。それでは、自分の考えと異なるものの見方は全て間違いなのでしょうか? そんな事はないはずです。それは、あくまでも、個々人における考え方の<違い>に過ぎません。この事を意識していないと、異なる価値観を<違う>と判断してしまいます。そうではなく、自分とは異なる他人の考え方を許容し、多様な価値観の共存を認める寛大さを持っていただけたらと思います。
もし仮に絶対に許せない考え方がたった一つだけあるとしたら、それは、独善的で偏狭的な独りよがりの底の浅い考えから、他人の考えを一方的に、ぶった斬るように、<違う>と否定する事です。多様な価値観の許容を説いた私ですが、この他人の考えを一方的に<否定>する姿勢だけは許容できません。
さて、講義の最後に、講師ではなく、教師っぽい事を述べてしまいましたが、皆さんが書くレポートを楽しみにしています。
それでは、また、いつか」
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