第16講 マチュ・ピチュの最後にして最初の男

「前回の講義では、広島の嚴島神社と、フランスのモン・サン=ミシェルが、どういった共通点の下に姉妹提携をしているかを見てきました。

 世界遺産に関しては、約十年前に、講談社から『週刊 世界遺産』という雑誌が毎週刊行されていました。

 また、テレビで特集が組まれることもあるし、民放のテレビ局では、『世界遺産』という番組が現在放映中なので、こういった雑誌やテレビを通じて世界遺産に詳しい受講生もいるかと思います。

 ところで、です。

 いざ、世界遺産とは何かについて説明しようとすると、はたっと口が止まり、明確に答えられなくなってしまいます。

 そこで、今回の講義では、世界遺産とは何かについて見てゆくことにします。

 ユネスコの定義を要約すると、世界遺産とは、過去から引き継がれ、そして、未来に引き継ぐべき人類の宝のことで、二〇一八年十二月時点において、その数、千九十二件にも及びます。それは、大きく三つのカテゴリー、<文化遺産>、<自然遺産>、<複合遺産>に分けられます。

 <文化遺産>とは、記念建造物や遺跡、代表的なのは、寺院や教会などですね。世界遺産の千九十二件中、八百四十五件、すなわち、七十七パーセントが、いわゆる文化遺産です。前回の講義でみた、嚴島神社も、モン・サン=ミシェルも、この文化遺産に分類されています。

 <自然遺産>とは、保存・保護すべき地形や地質、あるいは、絶滅の可能性がある動植物の生息地などのことで、日本だと、東北地方の白神山地や、鹿児島県の屋久島が、自然遺産に分類されています。二〇一八年時点の世界遺産の約十九パーセントが自然遺産に分類されています。

 そして、三つ目の<複合遺産>とは、先に述べた文化遺産と自然遺産の価値を兼ね備えたもので、その登録件数は、全体の約三パーセントの三十八件です。

 さて、現時点の日本において、いったい、どれくらいの数の世界遺産が存在していると思いますか? 四択クイズにしてみましょうか。あっ、ネットで調べるのは無しで」

 隠井が利用しているミーティングアプリの機能には、参加者に対してアンケートを実施する機能が搭載されている。しかし、未だこの機能を利用した事がなかった隠井は、この機会に、この投票機能を使ってみることにした。


 1:193

 2:044

 3:022

 4:006


 結果は、さすがに、「1」を選んだ者は皆無だったが、2と3は、だいたい三対二くらいの比率で、「2」の四十六件を選らんだ受講生が実に多かった。

「さて、正解は『3』の二十二件です。思ったよりも数が少ないですよね。だからかな、『2』を選らんだ人が多かったのは。でも、世界遺産の登録数は、二〇一八年において全世界で千九十二です。

 そして、正式名称『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』、通称『世界遺産条約』の条約締結国は、百九十三ヵ国です。単純計算で、一ヵ国につき五から六件になりますよね。そう考えると、さすがに四十六は多過ぎですよ。

 さて、それでは、日本の四十六カ所を少し詳しくみてゆきましょうか」

 隠井は、共有資料の機能を使って、パワーポイントを開いた。


 <日本の世界遺産>*2018年12月時点

 文化遺産:18

 自然遺産:04

 複合遺産:00

 

「全世界における事例同様に、文化遺産が圧倒的に多く、自然遺産はわずか四件です。その内訳をちょっと詳しくみてみましょう」


  <自然遺産>

   ID:登録名  ;登録年  ;所在地

  662:屋久島  ;1993年;鹿児島県

  663:白神山地 ;1993年;青森県・秋田県

 1193:知床   ;2005年;北海道

 1362:小笠原諸島;2011年;東京都


「先に見た屋久島と白神山地が一九九三年に登録された後、知床と小笠原諸島がこれらに加わったわけです。個人的には、もう少し、自然遺産が多くてもよい気もするのですが、もしかしたら、近い未来に、その数は増えるかもしれませんよね。さてと」

 隠井は、再度、一枚目のスライドに戻った。

「文化遺産は数が多いので、これに関しては、別の機会に詳しく語ることにして、文化遺産と自然遺産のコンボである<複合遺産>を見てみましょう。なんと、日本はその数ゼロです。世界でも、複合遺産となっている三十八件は、たとえば、こんな感じになります。ちなみに、二〇一九年に加わった一件もリストに加えておきました」

 隠井は、<自然遺産>を国ごとにリスト化したスライドを次々に見せていった。


 <中国>

 泰山

 黄山

 峨眉山と楽山大仏

 武夷山


 <ベトナム>

 チャンアンの景観関連遺産

 <インド>

 カンチェンゾンガ国立公園


 <イラク>

 イラク南部のアフワル:生物多様性の保護地域とメソポタミアの都市の残存景観

 <ヨルダン>

 ワディ・ラム保護区


 <トルコ>

 ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群

 ヒエラポリス-パムッカレ


 <北マケドニア;アルバニア>

 オフリド地域の自然・文化遺産

 <ギリシャ>

 アトス山

 メテオラ


 <スウェーデン>

 ラポニア地域

 <イギリス>

 セント・キルダ


 <フランス;スペイン>

 モン・ペルデュ

 <スペイン>

 イビサの生物多様性と文化


 <カナダ>

 ピマチオウィン・アキ

 <アメリカ合衆国>

 パパハナウモクアケア


 <グアテマラ>

 ティカル国立公園

 <メキシコ>

 カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林

 テワカン=クイカトラン渓谷: メソアメリカの起源となる環境

 <ジャマイカ>

 ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ


 <コロンビア>

 チリビケテ国立公園

 <ブラジル>

 パラチーとイーリャ・グランジの文化と生物多様性(2019年登録)

 <ペルー>

 マチュ・ピチュの歴史保護区

 リオ・アビセオ国立公園


 <アルジェリア>

 タッシリ・ナジェール

 エネディ山地の自然的・文化的景観

 <ガボン>

 ロペ=オカンダの生態系と残存する文化的景観

 <タンザニア>

 ンゴロンゴロ保全地域

 <マリ>

 バンディアガラの断崖(ドゴン人の土地)

 <南アフリカ共和国;レソト>

 マロティ=ドラケンスバーグ公園


 <オーストラリア>

 カカドゥ国立公園

 ウィランドラ湖群地域

 タスマニア原生地域

 ウルル=カタ・ジュタ国立公園


 <ニュージーランド>

 トンガリロ国立公園

 <パラオ>

 ロックアイランド群と南ラグーン


「このように、複合遺産をリスト化してみると、古代文明の発祥地や、南米やアフリカ大陸、オーストリアの複合遺産、本当に壮大過ぎますね。う~~ん、日本で複合遺産になるような所、あるかな? ちょっと思いつきませんね。

 さて、この講義が、<世界遺産>に関するものならば、一つ一つ、その全部を、画像付きで説明したいのですが、今日は、上記の<複合遺産>の中でも、おそらく、日本人に最もなじみ深いものの一つを見るに留めましょう」

 隠井は、一枚のスライドを見せた。

「これは、南米ペルーのマチュ・ピチュです。

 マチュ・ピチュとは、かつて、インカ帝国を興したケチャ族の言語、ケチュア語で、<年老いた峰>という意味で、マチュ・ピチュそのものの標高は二七九五メートル、そして標高二四三〇メートルの所に、推定、十五世紀中頃に建設されたインカ帝国の都市遺跡が存在しています。

 インカ帝国は、一五五三年にスペイン人によって征服され、滅亡してしまいました。インカ帝国の数多くの建造物は略奪と破壊の憂き目に合ってしまったのですが、そういったインカ帝国の遺跡の中でも、マチュ・ピチュの都市遺跡は保存状態が極めて良いものだそうです。

 この滅亡した帝国の都市遺跡という点が、マチュ・ピチュの<文化遺産>としての側面で、都市部分の面積は約五平方キロメートルだそうです。

 そして、都市遺跡の周辺の自然、約三二六平方キロメートルの範囲には、絶滅危惧種や危急種をはじめとし、重要な動物相・植物相があり、この点が<自然遺産>としての側面です。

 かくのごとく、マチュ・ピチュのインカ帝国の都市遺跡とその周辺の自然は、<文化遺産>と<自然遺産>を併せ持つがゆえに、<複合遺産>として一九八三年に登録された次第なのです。

 このマチュ・ピチュ、実は、数日前にニュースで取り上げられたのを知っている方いますか?

 昨日(十月十二日)に、こんなニュースが流れてきました。

 三月にマチュ・ピチュを訪れていた日本人の観光客が、コロナによる遺跡封鎖と移動制限のために、マチュ・ピチュの麓の村での逗留を余儀なくされ、そのまま、三月から二百日以上を過ごしていたそうです。

 この男性は、ペルーの地元新聞で「マチュ・ピチュ最後の観光客」として報道され、この事実を知ったペルー政府が、十月十日に、この男性に、マチュ・ピチュの訪問を特別に許可し、かくして、唯一の観光客として、複合遺産たるマチュ・ピチュを独占したそうなのです。

 わたくしは、SNSのトレンドで知ったので、君たちの中にも、このニュースを見た人がいるかもしれませんね。

 実は、今回の講義では、<複合遺産>について話そうって考えていて、三十八件の複合遺産の中で、具体的に何を取り上げようか考えていた所に、このニュースが飛び込んできたのでした。

 ペルーに残された件の日本人観光客は、コロナ禍以前にマチュ・ピチュを訪れた最後の観光客にして、その後の最初にして唯一の観光客になったわけで、このニュースは、まさに驚くべき事実なのですが、それにしても、この二百日もの間、どのような毎日を送ってきたのか? マチュ・ピチュ麓の村からは、日本への連絡はまったく取れなかったのか? 様々な事が、わたし、凄く気になってしまいます。

 もしかしたら、目敏い出版社が、かの人物に目をつけてエッセイを書かせる可能性もあるかもしれませんね。そうなった日には、是非一読してみたいものです」

   

<参考資料>

<書籍>

『週刊 世界遺産』(全100巻)、東京;講談社、二〇一〇年五月~二〇一二年六月.

<テレビ番組>

『世界遺産』、TBS、毎週日曜午後六時から放映.

<WEB>

「世界遺産について」「世界遺産リスト」、『日本ユネスコ協会連盟』、二〇二〇年十月十三日閲覧.

「邦人男性、マチュピチュ「独占」 コロナで足止め200日超の末」、『共同通信』,十月十二日月曜、十五時十八分配信(最終更新:二十二時二十五分),二〇二〇年十月十三日閲覧.

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