第17講 水面に浮かぶ古(孤)島
隠井は、担当している文化史の講義で、全三回に渡って、世界遺産を取り上げる予定であった。
第一回目は、日仏国交百五十年を機会に、二〇〇八年に姉妹提携をした広島の嚴島神社と、フランス北西部、ノルマンディー地方のモン・サン=ミシェルについて、これら日仏の歴史建造物の共通点に関して語った。
第二回目では、日本には一件も存在しておらず、世界でも、わずか三十九件(二〇二〇年十月現在)しか登録されていない、<複合遺産>の中から、インカ文明の遺跡であるペルーのマチュ・ピチュを取り上げ、さらに、世界的感染症のために、最後にして最初で、かつ唯一の観光客となった人物について取り扱った。
そして、最終回である第三回目では、日本の<文化遺産>、特に、京都に関して語ることによって、<世界遺産>のシリーズを締め括ろうと考え、可能な限り資料を集めて、プレゼン用のファイルの作成に取り掛かっていた。
提示資料の八割を準備し終えたところで、小休憩を取り、コーヒーを片手に、SNSのタイム・ラインに目を通していた、まさにその時のことであった。あるニュースのリツイートが視界に飛び込んできたのだ。
その見出しと写真を見て、隠井は、思わず、コーヒーを吹き出してしまい、危うく、ノートPCに黒い液体をかけてしまいかけた。
モンサンミシェル、潮が満ち「孤島」に
そのニュースによれば、先週末の十月の十七日から十八日にかけて、満潮になったことによって、モン・サン=ミシェルは、修道院の周囲までが水没してしまった、という。ニュースに添付されていた数枚の写真を見てみると、島と陸を繋いでいる道路の島側の半分までもが、完全に水の中に沈んでしまっており、その結果、モン・サン=ミシェルは、橋が架けられる以前の、かつての海に浮かぶ小島の姿を見せることになった、という。
この記事を目にした隠井は、自身の間の悪さを呪いたくなった。
嚴島神社とモン=サン・ミシェルの話を語るのならば、それは、まさに「今でしょ」という気持ちになったからだ。件のニュースが報道された直後の、この第三回こそが、時宜にかなっているのは明らかだ。
う~~~ん。……。どうしようかな?
モン・サン=ミシェルは、たしかに、初回講義で扱ったし、繰り返しになってしまう。それに、ここまで時間をかけて準備してきた京都の資料を、話さないまま棚置きにするのは、もったいなく、<もったいないお化け>が出てしまう。
だが、しかし、である。
「機を見てせざるは、<知>無きなり」で、まさに、それは、講師にあるまじき態度だ。
前回の「マチュ・ピチュ」同様に、講義の直前に飛び込んで来たニュース、このタイミングを逃してはならない。
そう即時判断した隠井は、ここまで作った、京都の資料を、<保留>のフォルダに移して、突貫ではあるが、モン・サン=ミシェルの提示資料を作り始めたのであった。
「みなさん、こんにちは。全三回に渡る<世界遺産>シリーズも、ひとまず、今回で最後になります。まず、日本の世界遺産について、その数を再確認しましょう」
<日本の世界遺産:計23件>
文化遺産:19(*2019年7月、一件追加)
自然遺産:04
複合遺産:00
前回、お見せしたのは、二〇一八年末のデータでした。実は、昨年、二〇一九年七月に、大阪の「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」が文化遺産として、正式に登録され、日本の文化遺産は十九件になりました。代表的な古墳は、堺市の前方後円墳、<仁徳天皇陵古墳>ですよね。これは、義務教育の歴史の授業で、写真を見たことがある人も多いかと思います。
日本のデータを確認した上で、次は、フランスのデータです」
<フランスの世界遺産:計45件>
文化遺産:39
自然遺産:05
複合遺産:01
「このフランスの合計数、四十五は、二〇二〇年現在の数字で、五十五件のイタリア、同じく五十五件の中国、四十八件のスペイン、四十六件のドイツについで、世界で五番目の多さです。ちなみに、二十三件の日本は世界で第十二位です。
さて、フランスの世界遺産の内訳は、<複合遺産>が一件、<自然遺産>が五件と、これらに関しては、日本と大差はないのですが、<文化遺産>の数が三十九と、日本の殆ど二倍です。
日本における文化遺産は、例えば、「古都京都の文化財」や「古都奈良の文化財」などのように、個々の神社仏閣といった歴史建造物が単独で世界遺産に登録されているわけではないケースも少なくはありません。これと同様に、フランスの文化遺産も、「パリのセーヌ河岸」や「リヨン歴史地区」などのように、都市それ自体が登録されている場合もあります。
そのため、「姫路城」や「嚴島神社」のような単独登録は着目に値すると思います。フランスでも「ヴェルサイユの宮殿と庭園」や「シャルトル大聖堂」などは単独で登録されていて、そういった事例の中で、やはり注目したいのは、「モンサンミッシェルとその湾」です。
モン・サン=ミシェルに関しては、<世界遺産>シリーズの最初の回でも取り上げましたよね。
ちなみに、スペルは、「Mont Saint-Michel」です。わたくしが目にした記事ではカタカナ表記は「モンサンミッシェル」となっていました。ネット記事だから仕方がないとしても、レポートなどでカタカナで表記する際は、「モン・サン=ミシェル」と書いてください。「・」で、単語が分かれていること、「=」(半角イコール)によって、横文字の単語の間に「-」が入っていることを示す記号になっています。このマークがないと、音は分かっても、「モンサンミッシェル」が幾つの単語によって成っているのか分かりません。人名や地名なども同じ理屈なので、そこんとこ、よろしくお願いします。
さて、話を戻しましょう。
この「モン・サン=ミシェル」、実は、昨日のニュースで取り上げられていました。もしかしたら、満潮の結果、建物の周囲までが水没し、<海に浮かぶ孤島>になったモン・サン=ミシェルの姿を目にした受講生もいるかもしれません。
わたくしが目にした写真では、島へと続く道路の半分までもが水没していました。
さて、このようにニュースになったということは、それほどまでに潮が満ちて、モン・サン=ミシェルが浮島の如くなってしまう<大潮>は、毎日の潮の満ち引きによって起こるわけではなく、珍しい事態ということなのです。
モン・サン=ミシェルが孤島化し、美しく浮かび上がるためには、水位十三メートル以上が必要だそうです。
少し調べてみた所、<大潮>で水位十三メートルに達するのは、二〇一七年に関しては、三月二十九日から三十日、四月二十七日から二十八日、五月二十六日から二十七日、十月七日、十一月五日から六日、十二月五日から六日に起こったそうです。
また、二〇一九年に関しては、一月二十二日から二十四日、二月二十日から二十三日、三月二十一日から二十四日、四月二十日から二十一日、八月三十一日から九月二日、九月二十八日から十月一日、十月二十七日から十月三十日に起こったそうです。
つまり、一年につき、六、ないしは七回は、橋が水没する程の満潮になるようです。
しかし実は、水位十三メートルなど、及びもつかないような<大・大潮>が二〇一五年の三月二十一日に起こったそうです。これは、「世紀の大潮」と呼ばれ、満潮時の水位は十四メートルを越え、橋は、なんと完全に水没してしまったそうです。
この「世紀の大潮」は、前回は一九九七年三月十日に起こったそうで、次は二〇三三年三月三日に起こるそうで、つまり「世紀の大潮」は十八年周期で襲来するのです。
わたくしが、モン・サン=ミシェルを訪れた時は、ちょうど干潮の時でした。島から約三キロ離れたホテルに宿泊したのですが、わざわざ、砂地を歩いて島から移動した記憶があります。靴がけっこうドロドロになってしまった気が……。
とまれ、また訪れる機会があるのならば、水面に浮かぶ古い孤島を、今度は、肉眼で視認したいものです。
<参考資料>
「仏モンサンミッシェルに「世紀の大潮」、過去最多の3万人」、AFPBB News、2015年3月22日 12時16分、二〇二〇年十月二十日閲覧.
「モンサンミシェル、潮が満ち「孤島」に」、AFPBB News、2020年10月19日 13時10分、二〇二〇年十月二十日閲覧.
「世界遺産登録ランキング」「フランスの世界遺産一覧・地図」「モンサンミッシェルとその湾」、『世界遺産オンラインガイド』、二〇二〇年十月二十日閲覧.
「孤島モン・サン・ミッシェルに出会える2017年の大潮シーズン」、『JTB』、二〇二〇年十月二十日閲覧.
「<2019年版>モン・サン・ミッシェルが島の姿を取り戻す大潮の満潮の日時」、『TOURISME JAPONAIS フランス政府公認ガイドと旅するフランス』、二〇二〇年十月二十日閲覧.
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