<時>にまつわる諸問題

第18講 冬が始まるよ

「おはようございます、今日から数回に渡って、<時>をテーマに話してゆくことにします。まずは、この一覧<A>を見て下さい」

 隠井は、三つの時刻を画面に表示した。


  <A>

  ロンドン  

  00:00

  2020.10.25(日)GMT+1:00

  summer  Time

  パリ  

  01:00

  2020.10.25(日)GMT+2:00

  summer time

  東京

  08:00

  2020.10.25(日)GMT+9:00


「これは、この前の日曜日、十月の最終日曜日にあたる十月二十五日の時刻です。『GMT』というのは、<Greenwich Mean Time>、すなわち、<グリニッジ平均時>の略語です。とまれかくまれ、『ロンドン』が時の基準だと考えておいてください。この、ロンドンを基準にすると、ロンドンとパリの間には一時間の時差があって、ロンドンと東京の時差は八時間、そして、パリと東京の時差は七時間だということが分かります。これらの数字を念頭においた上で、次の一覧<B>を見てください」


  <B>

  ロンドン  

  00:00

  2020.10.27(火)GMT+00:00

  パリ  

  01:00

  2020.10.27(火)GMT+01:00

  東京

  09:00

  2020.10.27(火)GMT+9:00


「<B>の方は、つい数時間前にデータを確認した、取れたてホッカホカの資料です。

 さて、この<A>と<B>を比べてみて、何か分かったことあるかな?」

 隠井が、気付いた点を指摘してくれるように学生に促すと、幾つかのコメントが届いてきた。


「ロンドンの時刻が『01:00』になっている」

「パリが『2:00』と一時間時計が進んでいる」

(それ、見たまんま)

「<B>では、都市名の下にあった『summer time』の表示が消えている」

(あと一押し)

「<A>では、東京とパリの時間差が七時間だったのに、Bでは、その時間差が八時間に拡大している」

(この指摘が欲しかった)


「大体、コメントも出揃ったかな。ここで、わたくしが、着目したいのは、<A>と<B>における、ロンドンやパリという欧州の都市と東京の時間差です。誰かの指摘にあったように、<A>では八時間だったロンドンとの時差が、<B>では九時間になっています。そして、<A>で『Summer Time』と表示されていたように、<A>の欧州時刻は、いわゆる<サマー・タイム>が適応された時刻です。

 みなさんの多くは、<サマー・タイム>っていう語を聞いたことがあるかと思います。日本では、この<夏時間>を採用していないため、ピンとこない方もいるかもしれません。それでも、欧州では時期によって、日本との時差が変わるくらいの認識はあるでしょう。

 それでは、夏時間とはいつからいつまでなのか。実は、アメリカの夏時間と欧州の夏時間は異なるのですが、ここでは、西ヨーロッパにおける夏時間を取り上げることにします。


 夏時間(イギリス):

 三月の最終日曜日の午前一時から、十月の最終日曜日の午前一時

      <パリは午前二時>              <パリは午前二時>


「これで、今日、どうして、この話題を取り上げたか分かったかな? そう、この前の日曜日は十月の最終日曜日、つまり、夏時間から標準時間、こう言ってよければ、<冬時間>への切り替え日だったのです」


「先生、それは分かったのですが、具体的には、どう変更になるのですか?」


 このような質問が届いたので、ホワイト・ボード機能を使って、隠井は具体的に説明をすることにした。

「たとえば、ロンドンで、夏時間の終了日にして冬時間の開始日である十月の最終日曜日、その切り替えの時刻は午前一時なのですが、そのまま時計を進めてゆき、午前二時、この時刻になった瞬間に、理論上、時計は一時間巻き戻され、もう一度、午前一時からの一時間が繰り返されることになるのです。この結果、十月の最終日曜日は、一日が二十五時間になります。

 逆に、冬時間の終了日にして夏時間の開始日である三月の最終日曜日に関しては、午前一時になると、時計を一時間早送りして、午前二時にします。この結果、ロンドンでは、三月の最終週の日曜日の午前一時からの一時間は、存在しないことになり、結果として、一日が二十三時間に短縮されてしまうのです。

 面白い現象ですよね」

 隠井はスライドを捲った。


 夏時間:十月最終日曜日1:00(一回目);東京09:00(時差八時間)

 冬時間:十月最終日曜日1:00(二回目);東京10:00(時差九時間)


「これが、夏時間を採用している国、たとえば、ロンドンとパリの間ならば、時差そのものは変わらないのですが、日本では、夏時間・冬時間を採用していないため、時計の針は、巻き戻されも早送りもされないため、その結果、欧州との間に、時差の変化が起こるわけなのです。

 具体的に言うと、夏時間だと、イギリスが〇時、パリが一時の時、日本は八時なのですが、冬時間だと、イギリスが〇時、パリが一時の時、日本は九時になります。

 欧州において、どうしてこのように、夏時間と冬時間(標準時間)が設けられているのか。

 まず、緯度を確認しましょう。

 たとえば、フランスのパリは、北緯<48度 51’ 12”>、日本の最北端の北海.道の択捉島が北緯<45度33’26”>で、パリは、北海道よりも、かなり北に位置しているのです。とにかく、欧州諸国は、かなり北だとイメージしておいてください。

 この結果、どういうことが起こり得るかというと、日照時間の差異が大きくなるのです。

 アバウトな数字なのですが、たとえば、パリでは、日照時間が最も短いのが十二月から一月で、だいたい八時間半です。これに対して、最も長いのが七月で十六時間、なんと約二倍も、日照時間の長さに差があるのです。

 自分が、留学していた頃、夏はなかなか陽が沈まずに、夜の八時を過ぎても、日本人の感覚では、午後三時位の明るさだった印象がありました。

 そして、これは、パリよりももっと北のベルリンに行った時のことなのですが、午後三時で既に暗くなっていた事を覚えています。

 ちなみに、パリの日の入りが最も遅いのが、五月から八月にかけてで、なんと夜の九時台です。今年、二〇二〇年に関しては、六月二十日から三十日にかけてが最も遅くて、<九時五十九分>でした。つまり、夏のパリの夜の九時台は太陽がサンサンなのですよ。とはいえ、これは、サマー・タイムが適応されている時期なので、標準時に戻すと、マイナス一時間の、夜の八時台なのですが。

 とまれ、何故に、欧州において<サマー・タイム>なるものが存在するのか。社会的な意味は括弧に入れておいて、心理的に考えてみると、欧州人にとって、昼間、陽の光というものが、いかに特別なものかという結論に行き着きます。

 欧州は基本的に、冬は長く、夏は短い。そして、夜が長く、昼が短い時期が大半なのです。つまり、サマー・タイムを適応し、時計を、たとえば、八時から九時にすることによって、昼が長い時期に、陽の光を可能な限り享受できるようにしたのではないでしょうか。

 さてさて、日本では、<夏時間・冬時間>が適応されていないため、いったい、欧州人が、この<時間変動>をいかに行うのか、留学したての頃のわたくしは、非常に気になっていました。

 デジタル時計ならばワンタッチで切り替えられるかもしれない。でも、針の時計は? もしかしたら、たとえば、<時計巻き戻し・早送り屋>みたいな専門職がいて、三月と十月の最終日曜日の夜中の二時、街角の時計を一斉に動かしているのかな、なんて妄想をしたりもしていました。

 だが、しかしです。

 結局のところ、欧州人は、あまり時間帯の変更など、意識していないようです。

 家やお店の時計ならまだしも、駅や学校のデジタル時計でさえ、その切り替え日ちょうどに時刻を修正することもなく、後になってようやく、思い出したように、時刻の修正がなされているのを肉眼で視認して、愕然とした記憶があります。

 学校や交通機関がですよ!

 たしかに、フランスの地下鉄やバスの時刻表は、何時何分に発着という種のものではなく、何分おきに発着という、いわば<時差>制なので、時刻の変動があっても、さして、混乱は起こらないかもしれません。

 そして、嘘みたいな本当の話なのですが、十月の最終日曜日直後に、人と待ち合わせをした際に、冬時間に戻ったことを、ど忘れしていて、待ち合わせの時刻になっても人が来ないってことが頻繁にあるのです。たとえば、自分の時計が夏時間のまま、午後三時に待ち合わせをしていたら、実は、冬時間における午後二時で、一時間間違えてしまう、という次第なのです。日本人ならまだしも、欧州人がやらかすのですよ。

 こういった夏時間から冬時間の変化の方は、ついうっかりやらかした、一時間損しちゃった、テヘペロっていう冗談で済むかもしれません。

 問題は、三月の最終日曜日、冬時間から夏時間への変更の方です。

 この場合は、一時間、時刻を早送りした結果、時間縮約が起こります。

 ということは、冬時間のままの時計では午後三時のつもりなのに、夏時間が適用された結果、実は、午後四時になっていた、ということになります。

 三月の末というのは、大学生にとっては春休みで、この時期を利用して海外旅行をする方もいるでしょう。

 なので、<夏時間・冬時間>の話をする時には、いつも、こう締めくくることにしています。

 もしも、春休みに旅行をして、三月の最終日曜日以降に帰国を予定する場合には、<夏時間>になるので注意すること。一時間、時計が進んでいるから。さらに、公共機関の時計も、必ずしも、正しい夏時間の時刻を指しているとは限らない、と。

 実は、こんなに語っているのに、わたくしの教え子の中には、冬時間から夏時間への変化に気付かずに、飛行機をジャージャー、つまり、乗り遅れてしまったという学生が、僕が把握している限りで、二人はいます。

 願わくば、君達の中から、三人目が出ないことを強く念じつつ、今日の講義を終えることにします」



<参考資料>

<WEB>

「フランス パリ日の出日の入り時間」,『日の出日の入り時間検索』,二〇二〇年十月二十七日閲覧.

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