令和二年度(2020年度)夏期集中講義『比較文化論』

第11講 江戸後期というオムニビュスに乗った四大浮世絵師

 隠井は、夏季休業期間中、オムニバスで行われる夏季集中講座を担当することになっていた。

 「オムニバス(omnibus)」とは、元々は、ラテン語を語源とする言葉で、「全ての人のために」という意味である。十九世紀のフランスにおいては、「オムニビュス(仏語は<ビュス>と発音)」は乗合馬車の事を意味するようになった。ちなみに、これが省略されて「ビュス(バス)」になった。

 さて、大学における「オムニバス」講義というのは、ある何らかのテーマを叩き台にして、多くの場合、専門が異なる数名の講師によって分担して行われる講義形式の事である。この場合、リレー講義と違って、一貫した講義戦略のに基づいて、講義内容というバトンを引き継いでゆく必要はない。オムニバス講義は、専門科目としてよりも、一般教養科目として配されている事が多い。つまり、一般教養であるということはラテン語の「全ての人のために」に通じるし、数名の講師による分担形式は、行先は同じでも目的が異なる乗客を乗せた「乗合馬車」という語源に通じているだろう。

 隠井が、昨年、夏季集中講座の担当を依頼された時、コーディネーターから提示された目的地、すなわち、テーマは、<比較文化>であった。

 広い、広すぎる。だが、翻って考えてみれば、これは自由度の高さを意味している。これまで<専門>という枠組みのせいで、ある程度、講義内容には制約がかかっていたのだが、それを取り払って、面白い講義ができる直感が隠井に走り、かなりの時間を要して、準備に勤しんできた。だが、COVID-19のせいで、二〇二〇年の夏季集中講座もまた、オンラインでの展開を余儀なくされてしまったのだった。


「みなさん、はじめまして、今回から、この<比較文化論>を担当する隠井迅です。

 私の講義では、<日本>と海外の比較文化をテーマにします。

 この講義は、あくまでも、私が取り上げた題材を、日本と海外の<比較>という観点から料理したもので、提示するのは、その料理方法の幾つかに過ぎないかもしれません。しかし、それが、受講生のみなさんの思考のヒントになれば幸甚です。それでは、今日の講義を始めましょう。今日の材料はこれです」

 隠井は、プレゼンテーションアプリで、今日の話題を提示した。


 浮世絵と西洋絵画


「今日の講義では、<浮世絵>について扱うことにします。浮世絵とは何か、全く知らない受講生はいないかもしれません。だがしかし、こうした<知ってるつもり>の事柄ほど、実は、けっこう曖昧にしか知らないことも多々あるので、この講義では、そういった事象こそを扱いたいと考えています。

 さて、浮世絵とは、江戸時代に流行した、庶民的な絵画もジャンルの一つです。

浮世絵は、作者が筆で直筆した<肉筆画>と、<木版画>に分かれます。おそらく、みなさんがしばしば目にしているのは、後者の木版画の方が多いかもしれません。後者は、一枚一枚を作者が描いた唯一無二のものではなく、木製の板に絵師が作画したものを彫師が彫って、それを印刷したものが木版画です。こうした大量生産によって、安い値段で<庶民>が手に入れる事ができた次第なのです。

 そして、そもそも、このジャンル名の<浮世>とは、『彼岸ならぬ現世』、『過去でも未来でもない現世』、『俗世間』、要するに、『今現在の一般社会』を意味しています。したがって、浮世絵とは、そういった江戸時代の<今>が題材になったものが多いのです。こう言ってよければ、風俗絵画ですね。つまり、絵の内容も<庶民>向きだった次第なのです。

 つまるところ、こうした形式と内容の両面から、浮世絵という絵画ジャンルは、江戸の<庶民>の間で親しまれた次第なのです。

 さて、江戸の浮世絵師数多あれど、ここでは、江戸時代後期に光を当て、その中から、代表的な四名の浮世絵師を取り上げたい、と考えています。まずは、この人物からいきましょう」


喜多川歌麿(1753-1806):美人画


 隠井は、浮世絵師の名前と、(生没年)を西暦で、それから、代表的な浮世絵ジャンルを、毛筆風の大きく極太なフォントで示してから、かなり、デフォルメされた、様々な女性の図像を見せていった。

「これが、いわゆる<美人画>という浮世絵のサブジャンルで、これを描いたのが喜多川歌麿です。実際、歌麿も様々なサブジャンルの浮世絵を書いているのですが、ただ、美人画の代表浮世絵師とは誰かと言うと、それはやはり歌麿です。なので、やや極端な覚え方かもしれませんが、『歌麿=美人画』とひとまず脳に刻み込んでおいてください。次、いきましょう」


東洲斎写楽(生没年不明):役者絵


「次に見てみたいのは、写楽です。この写楽という人物、実は生没年がよくわかっていません。しかも、その浮世絵師としての活動期間は、寛政六(一七九四)年五月から寛政七(一七九五)年一月にかけての、およそ十カ月の間で、この短い期間に百四十五点の作品を世に出し、その後、突然姿を消してしまいました。まさに、流星のような浮世絵師なのです。それでは、その写楽の浮世絵を幾つか見てみましょう」

 そう言って隠井は、何枚かの歌舞伎役者をモデルにした浮世絵を見せた。

「先ほどの歌麿の美人画を見た時に感じた人もいるかもしれませんが、この役者絵も似たような特徴があります。それは、人物を写実的に、つまり、見たままを描くわけではなく、その特徴をかなり極端にデフォルメして描いているという点です。今の我々は、人物のデフォルメを、漫画やアニメで既に慣れ親しんでいるので、然したる違和感は覚えないかもしれません。だけど、浮世絵の<コード>を知らない人には、否定的には違和感や、あるいは、肯定的には新奇性、いずれにせよ、何らかの強い印象を与えたことでしょう。最後に、もう一枚だけ、写楽の役者絵をお見せいたしましょう」

 そう言った隠井が見せたのは、両手を大きく開いた役者が、小さく前に倣えのような恰好をしている絵だった。

「この『ノッチでぇぇぇ~~~す』みたいな一枚、CMや広告でもよく使われている一枚なので、どこかで目にした事がある受講生もいるかと思います。さて、ここまで、<美人画>、<役者絵>と人物がが続いたので、今度は、ちょっと趣向を変えましょう」


 葛飾北斎(1760-1849):名所絵『冨嶽三十六景』


 人名のスライドに続けて、隠井は、一連の富士山を描いたスライドを見せていった。

「この風景画は、葛飾北斎が描いたもので、こういった浮世絵のサブジャンルを<名所絵>と言います。これが、様々な富士山を描いた、いわゆる『冨嶽三十六景』です。もしかしたら、似たような構図の富士山を銭湯などで目にしたことがある方もいるかもしれません。これ、<三十六>とありますが、全部で四十六図なのです。とまれかくまれ、この『冨嶽三十六景』の中でも最も有名なのは、これかもしれません」

 そう言って隠井は、青を基調とし、荒々しい大きな波が描かれた一枚の浮世絵を見せた。

「これが『神奈川沖浪裏』と題されている一枚です。<先生>の友人の中に、これを図柄にしたスマフォカヴァーを使っている人もいるし、これがプリントされたシャツを着ている外国人の観光客も見た事あります」

 誰かが、ぷっと吹き出した姿が画面の彼方に見えた気がした。

「さて、中には、あれ、なんでこれが富士山を描いた『冨嶽三十六景』なの? と疑問に思った受講生もいるかもしれません。分かり易くするために、拡大しましょうか」

 そう言って隠井は、図の中央部を拡大してみせた。

「見てください。背景に小さく富士山が存在しています」

 納得した何人かの受講生の姿が見えた気がした。

「いいですか、この一枚の凄い所は、主題のはずの富士山を後景に配したという点にあります。絵一枚を単体で見た時には、そのインパクトは波の強大さにこそあります。だがしかし、これを『冨嶽三十六景』の一枚として見た時、おそらく、我々の多くは、富士山の所在を探す事になるでしょう。この印象操作に、構図と構想における北斎の妙を感じます。さて、それでは、最後の一人の浮世絵師に移りましょう」

 

 歌川広重(1797-1858):風景画『東海道五十三次』


 隠井は、最初の一枚目に江戸の日本橋を、最後の一枚として京都の三条大橋を描いた風景画を見せた。

「これが、広重の『東海道五十三次』で、いわゆる東海道のポイントを描いていったものです。お見せした二枚は、東海道の出発点である江戸の日本橋、その終着点が京都の三条大橋になっています。ここでのう一度北斎から一枚見てみましょう。実は、北斎の『冨嶽三十六景』にも、日本橋からみえる富士山があります」

 隠井は、北斎の日本橋を背景とした富士山を見せた。

「つまるところ、日本橋というのは、江戸の人間にとっては、<起点>となっている空間って事なのです」

 隠井は、時計で残り時間を確認した。

「さて、そろそろ終了時刻が迫ってきたので、まとめましょう。

 江戸時代後期という乗合馬車(オムニビュス)に乗ったかのような、この四人の浮世絵師、美人画の歌麿、役者絵の写楽、『冨嶽三十六景』の北斎、『東海道五十三次』の広重、この四人は必ず抑えておいてください。

 今日は、ここまでにして、次回は、浮世絵との関連から西洋絵画に関してお話しようと考えています。

 終了前にちょっとだけ話を。

 今日は、四人の代表的浮世絵師を取り上げて、何枚かの絵画もお見せしました。ただしです。ここで終わりにしないでください。講師である私が、講義の中で、皆さんに提示できるのは、単なる<切っ掛け>だけです。これを単なる情報ではなく、みなさんの知識にするためには、図書館や美術館、あるいは、それが難しいのならば、ネットでも構わないので、自分で浮世絵を見たり、浮世絵について調べて見たり、このように、私が提示した事の一歩先に、自らの足で踏みだしていただきたいと思います。それが、受け身の単なる<授業>では終わらせない、<講義>を受ける者の態度だと、わたくしは思っています。それでは、また次回に」

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