第12講 ジャポネズリーとは何ぞ
「さて、講義を再開しましょう。
前回は、江戸時代後期の四人の浮世絵師を取り上げました。その四人・『おぼえていっますっか~~?』」
「「「「「………………」」」」」
隠井は、一九八二年にTVアニメとして放映されて以降、シリーズ化されたメガヒットアニメ作品、その原典ともいえる一九八二年のTV版をリブートした劇場版のテーマソングのサビを文字って歌ってみたのだが、どうやら、受講生は全く無反応だったようだ。なにせ、約四十年前のアニメの曲だしね。
「よっしゃ、気を取り直してゆきましょう。美人画の歌麿、役者絵の写楽、『冨嶽三十六景』の北斎、そして、『東海道五十次』の広重でしたね。
ちょうと今、上野の東京都美術館、通称『トビ』で浮世絵の展覧会が開催されています。期間は九月二十二日までです。講義の中で扱った四人の作品も展示されています。学んだばかりの絵師の作品を、肉眼で視認できる絶好の機会です。なかなか難しい状況ですが、可能ならば、この機会を是非活かしていただきたいと思います。ちなみに、<日時指定制>の展覧会で、急に思い立って、突然、上野に行っても観れないので、予定を立てて、チケットをネットで予約してから赴いてくださいね。ちなみに、二十分ごとに細かく入場制限がかけられているので、時間厳守で。
鑑賞時間は一時間以上は見ておいてください。結構、作品の展示点数が多いので、閉館間際にゆくと、後半が駆け足になるか、あるいは、全部観終わらないうちに、強制退館になってしまうので注意してください。それでは始めましょう」
隠井は、自分の実体験に基づいて、受講生に注意を与えたのであった。
ジャポネズリー(japonaiserie)/ジャポニスム(japonisme)
隠井は、この今回の講義のテーマとなる二つの用語を提示した。
「さてさて、今日は、日本の時代でいうと、江戸時代末期から明治時代にかけての、西暦でいうと、十九世紀後半の日本と西欧の関係について、見てゆこうと考えています。
ところで、皆さん、スライドの二つの用語を知っていますか? 多分、<ジャポニスム>って言葉は耳にしたことはあっても、<ジャポネズリー>の方は、耳慣れないかもしれません。
近世の欧州、たとえば、フランスでは、欧州には存在しない、いわゆる異国の美術品が流行しました。たとえば、中国の美術品は<シノワズリー(chinoiserie)>と呼ばれ、人気を博していたそうです。つまり、十七世紀から十九世紀前半における欧州にとっての東洋とは中国だったのです。そもそも、江戸時代の日本は鎖国中で、当時の日本と正式に国交があったのはオランダだけですからね。とは言えども、オランダを経由して、日本の美術品も一部流出していたらしいのですが、一般的には、未だ日本の認知率は低く、日本の美術品もまとめてシノワズリーとされていたようです。後に、日本が一般的に認識されるようになって初めて、中国と日本が区別され、欧州人の中国趣味が<シノワ『ズリー』>と呼ばれていたので、日本趣味の方は<ジャポネ『ズリー』>と呼ばれるようになった次第なのです。
それでは、欧州における日本認識の切っ掛けは何だったかというと、それは勿論、一八五三年の黒船来航で、以降、日本は、中国とオランダ以外の外国にも開かれる事になったわけです。
こうして輸出された日本の美術品は、陶磁器などの工芸品でした。当然、そうした陶器は、船で輸送されたわけなのですが、その運送の際に陶器の破損防止の緩衝材として使われたのが、実は、浮世絵だったのです。
再確認になりますが、浮世絵は、安い値段で江戸の庶民に提供するために大量に印刷された木版画です。つまり、浮世絵の多くは複製品なのです。要するに、今の我々が、引っ越しなどの際にワレモノを新聞紙などで包むのと同じ理屈ですね。ほどんど多くの日本の工芸品を扱う商人や運搬者にとって、大切なのは、あくまでも高値で売れる陶器であって、浮世絵なんて、単なる緩衝材で、「ただの紙には興味ありませ~~ん」って感じだったのではないでしょうか。とまれかくまれ、浮世絵は、陶器を包む、ただの<紙>として欧州に入ってきた次第なのです。
たしかに、商人や運搬者にとっては、浮世絵は無価値だったかもしれませんが、日本物品愛好家、いわゆる、<ジャポニザン(japonisant)>にとっては、そうではありませんでした。
日本製の陶器の愛好の徒であった欧州人は、おそらく、陶器を包む紙を剥がした瞬間に見出してしまったのです。
写実性を旨とする西欧絵画とは全く異なる概念で描かれた絵画――
そう、<浮世絵>を。
つまり、欧州人の浮世絵の初体験は、まさに偶然の賜物だったのです。やがて、浮世絵は、日本から欧州への代表的な美術品として、次々と海外に流出してゆくことになるのです。もちろん、歌麿も、写楽も、北斎も、広重もです。
繰り返しになりますが、一般的な意味におけるジャポネズリーとは、欧米人の日本趣味の事を意味します。そして、ジャポネズリーは、日本の美術品に特別な興味・関心を抱き、その影響を受けた欧州の画家達には、単なる蒐集の際の趣味の問題ではなく、自分の作品への日本趣味の反映という形で表われます。
たとえば、この絵画をみてください」
そう言って隠井は、スライドを提示した。
エドゥアール・マネ(1832-1883),『エミール・ゾラの肖像 』,1868年制作,油彩・画布,パリ;オルセー美術館所蔵.
「これは、エドゥアール・マネの『エミール・ゾラの肖像』という作品です。この肖像画の題名は、モデルとなった人物の名前そのままです。ゾラというのは、『ルーゴン=マッカール叢書』という大河小説を書いたフランスの小説家です。まず着目すべきは、背景の左側の屏風絵で、これは、尾形光琳を始めとする<琳派>を想起させる画風です。そして背景の右側には、二代目歌川国明が描いた力士『大鳴門灘右ヱ門』が認められます。それじゃ、別のスライドを」
クロード・モネ(1842-1926),『ラ・ジャポネーズ』,1875年制作,油彩:画布,アメリカ:ボストン美術館所蔵.
「これは、日本でも睡蓮で有名な印象派のクロード・モネの『ラ・ジャポネーズ』という作品です。中央部の欧州人の女性が、着物、武者模様の赤い打掛を着ており、足元の床には御座、さらにその背景は浮世絵が描かれている数多くの団扇が見られますね。もう一枚くらい、いってみますか」
隠井はスライドを捲った。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890),「タンギー爺さん」,1887制作,油彩:画布,パリ:ロダン美術館所蔵.
「これは、かの有名な『ひまわり』のゴッホが描いた『タンギー爺さん』という作品です。画題のタンギーというのが中央部の老人の名です。それより何より着目すべきは、背景に並べ置かれている絵画で、これらは、もちろん、浮世絵です。
浮世絵の研究者によって、モチーフとなった浮世絵のそのほとんどが特定されていて、具体的に言うと、広重「富士三十六景 さがみ川」、同じく広重の「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら範頼の祠」、三代目歌川豊国の 「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」、渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」、作者不詳「東京名所 いり屋」、そして、吉原を描いた一枚だけが未だ特定されていないのです。
さて、マネ、モネ、そしてゴッホは、それぞれの歳の差はほぼ十歳で、それぞれの作品の制作年もだいたい十年違いますが、これらの三枚の肖像画は、一目見ただけで、日本趣味が作品の中に折り込まれており、つまるところ、このように、明らかに非常に分かり易い方法で、自分の作品の中に、背景として日本の美術品を描かれていて、たとえば、着物や浮世絵をそのまま自分の作品の中に絵画を取り込むような形で、日本趣味を表現しています。こうした、日本への関心のあり方こそが、芸術作品における≪ジャポニズリー≫の特徴なのです。
まあ、ざっくりと流れを取り上げる際には、ジャポネズリーを、ジャポニスムの一部とみなしてしまう場合もあるのですが、だがしかし、ジャポネズリーとジャポニスムを対立概念とて捉える場合、この二つには、一体どのような相違が認められるのか? <ジャポニスム>とは何か?、というが、次回のお話となる次第です」
「ベンベン」
ここまで話した所で、この回のオンライン講義を終了する時刻になってしまい、隠井は、落語でよく用いられる、三味線を弾く音を真似た「ベンベン」という音を、パソコンで鳴らして、講義を終えたのであった。
<参考資料>
<WEB>
『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』,配給:東宝,1984年7月21日劇場公開.
「The UKIYO-É 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」,『東京都美術館』(二〇二〇年八月十八日閲覧)
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