第21講 第三木曜日とAOC

「みなさん、こんにちは。今日は実際には木曜日なのですが、曜日ごとの講義回数の確保という大学の都合によって、火曜・講義日になっています。

 さて、すでに、パータンと化しつつあるのですが、まずは、このスライドを見てください」


パリ                                                            東京

16:00:00                                    00:00:00

2020.11.18(水)GMT +1:00                 2020.11.19(木)GMT +9:00

「パリと東京の時刻を並べ比べてみて、指摘できることは何ですか? 一分くらい時間をあげます、ちょっと考えてみてください」

 発信者と受信者の映像を切った、共有画面と音源のみのリアルタイム配信講義なので、無言の一分間は、まるで、<放送事故>のような、気まずさが場に充ちたのだが、隠井は、ぐっと沈黙に耐え続けた。

 そして一分後――

「さて、それでは、確認していきましょうか。

 フランスのパリと、日本の東京の時差は<八時間>ということですよね。さらに指摘できるのは、東京の方がパリよりも時刻が進んでいるという点です。

 東京からパリへは、ノンストップの直行便の飛行機で、だいたい十三時間掛かるのですが、その結果、こういうことになります」

 隠井は、次のスライドを見せた。


 出発  到着  所要時間

 東京(羽田) パリ(シャルル・ド・ゴール) 12時間45分

 10:55 15:40


「たとえば、東京時刻の十一時頃に羽田を発つと、パリに到着するのは、だいたい同じ日の十六時くらいになります。時計だけをみてみると、パリまで、約五時間で移動していることになりますが、実際には、時差が八時間あるので、これはまあ、時刻のマジックってことですよね。

 さて、一枚目のスライドに戻りましょうか。実は、これ、分かり易くするために、東京を午前零時にしてみたのですが、日本が十一月十九日木曜日を迎えた時、フランスは未だ、前日の十八日水曜日なのです。簡単に言うと、日本の方が先に<十一月十九日木曜日>になっているのです。

 ここで、日付の方に目を移してみましょう。

 十一月十九日木曜日ってのは、フランスは一体何の日かってことです。

 えっと……、この場合、日付というよりも曜日に着目すべきかな。つまり、この木曜日が、十一月の<第三木曜>ということです。

 要するに、十一月の第三木曜日というのは、ボジョレー・ヌヴォーの解禁日なのです。

 <ボジョレー・ヌヴォー>、これ、酒屋さんだけではなく、コンビニやスーパーマーケットで目にしたことのある受講生もいるかと思います。そう、フランスのワインです。

 前半の<ボジョレー Beaujolais>というのは、フランス西部のブルゴーニュ地方に属する一地域の名称で、後半の<ヌヴォー nouveau>というのは、フランス語で「新しい」という意味です。新しいボジョレー・ワイン、つまり、新酒ということです。

 この新酒の発売解禁日は、過度な販売競争を避けるために決まっていて、それが十一月の第三木曜日なのです。

 ここでもまた、時刻のマジックが生じています。

 原地のフランスよりも、日本の方が先に十一月の第三木曜日を迎えるので、世界の他の国々に先駆けて、日本で、ボジョレー・ヌヴォーの発売が解禁になるわけなのです。

 このボジョレー・ヌヴォーの解禁日が第三木曜日となったのは一九八四年のことです。日本は、この数年後に、いわゆる<バブル>を迎えるわけなのですが、日本が先進国の中で最も早く、ボジョレー・ヌヴォーを飲めることに、初物好きの日本人の誰かが目をつけて、これをバブル期にお祭り騒ぎにしてしまい、それが、四半世紀後の今に至っても継続されているわけなのです。

 ここで注意したいのは、ワインとは発酵酒で、熟成させることによって、風味は変化し続け、旨味が増してゆくものなのです。

 ボジョレー・ヌヴォーは、ヌヴォーという名称が端的に表しているように、新酒で、そもそもの話、その年に収穫された葡萄の出来を確認するために作ったワインなのです。収穫したばかりの葡萄で作ったワインに熟成の結果の旨味が存在する道理はありません。作られたばかりの早熟な、いわゆる<若いワイン>にも、早飲み向けの良さがあるのは確かなのですが、それでも、じっくり丹念に育て上げた長熟のワインよりも、新酒の方が価値が高いはずはありません。

 初物をパーリーとして楽しむのは、それはそれでアリだとは思うのですが、ワイン通ぶってボジョレー、ボジョレーと持ち上げ過ぎるのは、ちょっとニワカ臭がプンプンと匂ってしまうので、少なくとも、ボジョレー・ヌヴォーが、葡萄の品質確認のための<新酒>ということは知っておいてくださいね。

 そして、もう一つ知っておいて欲しいことがあります。ワインとは、その後の熟成管理も大切なのですが、結局、葡萄の出来に大きく左右されるということです。

 ここで、このスライドを見てください」


 AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)

 「原産地統制呼称」


「直訳すると、管理された原産地の呼び名、という意味です。瓶に「AOC」が記載されていたとしたら、それは、しっかりと管理された良質の葡萄から作られたワインであることの証明です。葡萄の徹底管理のためには、広範囲ではなく、より狭い範囲でのコントロールが必要なのです。

 もっと分かり易く言うと、日本ワインよりも、関東地方ワイン、関東よりも東京都ワイン、東京都よりも新宿区ワイン、新宿よりも神楽坂ワイン、神楽坂よりも山吹町ワインといったように、地方よりも都道府県、区や市町村、さらには字(あざ)といったように、狭くなれば狭くなる程、きちんとした管理が可能になるというわけなのです。

 AOCは法律です。

 農業大国のフランスが、自国の食文化を保護する為に、法によって、畑における葡萄の収穫量の限度さえも取り決めらており、収穫量を制限することによって、管理が行き届いた高い葡萄の生産を可能にしているのです。

 フランスでは、AOCは、ワインだけではなく、油、乳製品、野菜や果物などにもあります。

 こう言ってよければ、フランスでは、聞いたこともないような地名で作られた食品ほど良質な可能性が高いということです。

 日本で言うと、時折、スーパーの食品コーナーで見かける、<わたしが作りました>っていう生産者の写真が、この<AOC>に近いかもしれませんね」 

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