第25講 大晦日の風物詩

「みなさん、こんにちは。今回で年内の講義は最後で、<クラシック音楽>のシリーズも今回で最後とします。

 この最終回では、ベートーヴェンを取り上げる事にします。

 「楽聖」とも呼ばれているベートーヴェン(一七七〇~一八二七年)、音楽に詳しくない受講生でも、この名は知っているであろうし、一部であれ、曲を聞いたこともあるかと思います。

 音楽史的に言うと、「古典派音楽を集大成」させ、「ロマン派音楽の先駆け」となった音楽家だと言われていますし、また、晩年、耳が聞こえなくなった状況にあってなお作曲活動を続けた、という逸話も有名ですよね。

 このベートーヴェンの音楽活動の中で、どの部分を切り取って、話を展開させようか、と思案したのですが、この講義の中で扱った、「交響曲の父」たるハイドンからの流れで、ベートーヴェンの<交響曲>を取り上げることにします。

 ベートーヴェンは、九つの交響曲を作曲しています。そして、日本において最もなじみが深いものの一つは、ベートーヴェンが、その最晩年である一八二四年に作曲した「交響曲ニ短調 作品一二五(合唱付き)」ではないでしょうか。この作品は、独唱と合唱を伴う交響曲で、ベートーヴェンの第九番目にして、最後の交響曲です。日本では、『第九』という名称で知られている曲ですよね。


 この『第九』なのですが、アジアで初めて演奏されたのは、日本の徳島で、一九一八年六月一日のことだったそうです。

 君たちの中には、どうして、徳島なの? と思った人もいるかもしれません。

 何故に徳島かと言うと、一九一八年と言えば、第一次世界大戦中です。そして、徳島の今の鳴門市には、当時、ドイツの租借地である青島で捕虜にしたドイツ兵の収容所<板東俘虜収容所>が、一九一七年から一九二〇年までの二年十ヶ月の間、存在していたのです。ちなみに、この収容所跡は、二〇一八年に国の史跡に指定され、現在では、<ドイツ村公園>になっています。

 この徳島の収容所のドイツ人捕虜は、職業軍人ではなく、志願した元・民間人が多く、その中には、手に職をもった技術者もいて、その技術をもってして作った製品を販売したりして、<ドイツ>の優れた技術を、物理的に、徳島に、さらには日本に広める切っ掛けになったそうなのです。

 そして、徳島の収容所のドイツ人が徳島に伝えたのは、そういった物理的な品々だけではなかったのです。

 徳島の収容所のドイツ人たちは、芸術活動にも積極的で、彼らは、楽団を組織し、そのオーケストラこそが、日本で初めて、ベートーヴェンの『第九』を全曲演奏したのです。

 この『第九』のアジア初演は、一九一八(大正七)年六月一日、徳島県板東町(現・鳴門市)で為されたのですが、鳴門市は、これを記念して、毎年六月の第一日曜日を<第九の日>に制定して、定期演奏会を開催しているそうです。

 実は、この『第九』は収容所で演奏され、観客も収容所の関係者だけだったので、この事実は長い間、あまり広くは知られていなかったらしいのですが、一九九〇年代以降に、徐々に話が浸透し始め、二〇〇六年には、映画『バルトの楽園』として具体化されました。

 かくいうわたくしが、この話を知ったのは、実は映画ではなく、徳島で、徳島中華そばを食べている時だったのですが。


 さてさて、このベートーヴェンの『第九』、日本では年末、十二月に頻繁に演奏されていますよね。

 テレビでは、大晦日に国営放送で演奏模様が放映され、今年、令和二年もまた、歌合戦の裏番組で、十二月三十一日の二十時から二十三時四十五分まで放送されるそうです。

 だがしかし、世界では、十二月、そして大晦日に『第九』を盛んに演奏するのは日本だけだそうです。

 それでは、徳島と何らかの関係があるのか、とも考えたのですが、徳島の「第九の日」は六月、どうも、十二月の『第九』は、その関連ではないようです。

 調べてみたところ、日本で大晦日に初めて『第九』が放送されたのは、一九四〇(昭和十五)年十二月三一日・二十二時半のことだったそうで、これは、<紀元二千六百年>の記念行事の一環として、<新交響楽団(現在のNHK交響楽団)>が、ラジオで『第九』の生放送を行ったのが最初だそうです。これを企画した人物は、ドイツでは、大晦日に『第九』を演奏し、その演奏の終了をもって新年を迎えるから、と語っていたそうなのですが、たとえ、年末に『第九』を演奏する楽団がドイツに存在したとしても、だからといって、『第九』の演奏の終了をもってして、新年を迎える習慣は存在しないそうで、どうやら、大晦日の日本における『第九』演奏は、翻訳などの誤解から生じたもののようです。


 これで、ますます年末に『第九』が日本で演奏される理由が分からなくなってしまいました。それで、この話を、先日、とある交響楽団の指揮者をやっている、大学の後輩に尋ねてみたところ、次のような答えが返ってきました。

『ああ、あれは、オケの仕事を増やすためなんですよ』

 彼の話によると、第二次世界大戦直後、オーケストラの収入が少なく、楽団員は年末年始の生活に困窮していたそうです。そこで、日本で人気がある、すなわち、客が沢山入り、かつ、演奏の参加者も多い『第九』を年末に演奏し、これによって、楽団員の糊代をまかなった、というのが、年末の『第九』演奏の発端だそうです。

 つまり、今にまで至る、十二月、特に大晦日の日本における『第九』演奏の二つの理由は、一つが誤解、もう一つの理由は金だったのです。

 とまれ、今や、大晦日の『第九』は日本では風物詩の一つになっているし、これを聴かなければ年を越せない、という人もいる程の慣習になっていますよね。

 きっと、みなさんの中にも、大晦日は『第九』という方もいるかと思います。


 さて、講義終了の時刻になりました。今日はここまで。

 それでは、みなさん、よいお年を」



<参考資料>

<WEB>

「なると第九」,『徳島県観光情報サイト阿波ナビ』,二〇二〇年十二月三十日閲覧.

「ベートーヴェン『第9』演奏会」,『N響』,二〇二〇年十二月三十日閲覧. 

「TV番組表(2020.12/31木)」,『YAHOO! JAPAN テレビ』,二〇二〇年十二月三十日閲覧.

「『第九』にまつわるエトセトラ」,『チケットぴあ』 ,二〇二〇年十二月三十日閲覧.

<映画>

『バルトの楽園』,配給:東宝,公開日:二〇〇六年六月一七日,一三四分.

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