古典音楽
第23講 やはり俺の選ぶハイドンは九十四番である。驚
「ハイっ! 十二月もドンと講義してゆきましょう。今月のテーマは、クラシック音楽です。
一概にクラシックと言っても、ジャンルも多岐に渡っているし、着目したい作曲家も数多く存在します。仮に、<クラシック音楽>というテーマで開講したら、数年間に渡って何十回もの講義ができそうなのですが、今日の講義では、やはり俺の完全なる独断と偏見に基づいて、この作曲家について取り上げることにします」
そう言うと、隠井は、プレゼンテーション・ソフトを起動させ、一枚のスライドを見せた。
まず、白髪で顔の両脇で髪の毛を巻いた男の肖像画が現れ、それに続いて、画像の下に、次のような基本情報が一行一行浮き上がってきた。
ハイドン(フランツ・ヨーゼフ);1732-1809年;オーストリア
古典派
弦楽四重奏の父
交響曲の父
「スライドに表示したのは、その活動時期が、だいたい十八世紀後半のオーストリアの作曲家ハイドンです。
ハイドンは、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラや人形歌劇のような舞台作品、室内楽曲では、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、バリトン三重奏曲といった具合に、ほぼ全てのジャンルの曲を作曲していて、その作品の総数は、実に七百曲以上になります」
ここまで話したところで、<チャット>で、次のような質問が飛び込んできた。
(七百曲以上って少し数が曖昧です。正確な作品数は幾つなのですか?)
「なるほど、それは気になるところですね。実は、正確な曲数は分からないのです。それは、作品数が膨大であるため、まとめきれていない、ということだけが理由ではありません。ハイドンに関しては、残っている自筆原稿が然程多くはないのです。つまり、信頼性の高い資料が少ないため、正確な曲数は、研究者によっても意見が分かれているそうなのです。ここにさらに、断片だけの曲、未完の曲、紛失してしまった作品、あるいは、ハイドン作のものかどうか定かではない偽作までも含めると、その曲数は約<千曲>に及びます。実は、講義の最後に、時間が余ったら、ハイドンの曲を聴かせよう、と考えているのですが、なにせ<千曲>もあるため、この講義の中で、みなさんに聴かせる曲の<選曲>には、少し頭を悩ませました。
まず、ジャンル、ハイドンは、ありとあらゆるジャンルの曲を作曲しているのですが、<やはり>ここで俺が着目したいのは、ハイドンの異名です」
隠井がクリックすると、プレゼン・ソフトのエフェクトが作動し、「弦楽四重奏の父」、ついで「交響曲の父」という文字が、クルクルと縦に回った。
「ちょっと、エフェクト機能を使って、文字を縦ロールさせてみました。とまれ、こうして強調したように、かのハイドンには、『弦楽四重奏の父』、あるいは、『交響曲の父』という<二つ名>があるのです。そして、ここで着目したいのは、後者の『交響曲の父』の方です。
伝記によれば、ハイドンは、一七五五年に、最初の弦楽四重奏曲を作曲したそうなです。その後、一七五七年から一七九五年まで、年齢で言うと、二十代から六十代のまでの約四十年もの間、つまり、その作曲家人生の大部分において、百六曲もの交響曲を作曲し続けたのです。このハイドンの交響曲の作曲期間は、ほとんど十八世紀後半の半世紀に渡っていて、まさに、古典派による交響曲の発展の時期と並行しているのです。だからこそ、ハイドンは『交響曲の父』という異名を冠するに足る栄誉に預かっているのでしょう。
とまれかくまれ、十八世紀後半のオーストリアの作曲家<ハイドン>と<交響曲の父>を紐付けして記憶しておいてください。
ちなみに、<交響曲 symphony(英:シンフォニー;伊:シンフォニア)>は、その語源であるギリシャ語の『完全な協和の響き』という意味が表しているように、大規模な楽曲、管弦楽用の多楽章から成るソナタのことで、原則、四つ程度の<楽章>によって構成されています。
<楽章 mouvement>というのは、交響曲やソナタなどの楽曲を構成する部分のことです。その部分が、あたかも別の楽曲であるかのように完結した形、つまり、比較的独立しているとき、その部分は<楽章>と呼ばれるのです。つまり、<楽章>は、楽曲の一部として一貫した内容を持ちつつ、同時に曲としての独立性も持っているわけなのです。
交響曲は、<ソナタ形式>が確立した頃に発生したと言われています。
<ソナタ sonata>とは、『鳴り響く』という意味の言葉が語源になっているのですが、比較的規模の大きい、さまざまな楽章によって構成される多楽章による器楽用の楽曲のことです。
クラシック音楽史を参照すると、一七三〇年代から一八二〇年代までが<古典派音楽>の時代で、交響曲の形式は、たとえば、ハイドンやモーツァルトといった古典派によって、ひとまず完成したそうです」
ここで、隠井は時刻を確認した。
「さて、早くも講義も終盤にさしかかってしまいました。交響曲的に言うと、最終楽章です。音楽をテーマにしているのに、上記のような<情報>だけを終わりにしたら、それこそ、まさしく片手打ちってものですよね。だから、講義のフィナーレとして、ハイドンの楽曲の一部を、みなさんに聴いていただくことにします。今日の講義内容を鑑みてみると、<やはり俺が聴かせるべき>ジャンルは交響曲です。ちょっとだけ待っていてくださいね」
余計な雑音が受信者に届かないように、一時的にマイクをミュートにしたため、沈黙が場を覆ったが、その間に、隠井は手早く準備を整えた。
「ハイっ! お待たせしました。曲の前に補足事項を。
ハイドンの作品分類には、ハイドンの音楽作品用独自の番号制度『ホーボーケン番号(Hob.)』が使われています。この番号は、ジャンルによってローマ数字のⅠからXXXII がつけられ、そのジャンルごとに、大体の場合、作曲時代順に通し番号がつけられ、交響曲は『Hob. I』になります。そして、僕が選んだのはこの楽曲です」
Hob. I:94(交響曲第94番ト長調)第二楽章(一七九一年)
「ちょっとだけ説明すると、ハイドンの交響曲第九十四番の演奏時間は約二十四分です。さすがに、講義の中で全部を通して聴かせるだけの時間はないので、興味がある人は続きはWEBで。なので、ここで流すのは、第九十四番の第二楽章だけです。よしっ、こっからは僕の説明は抜き、ドンと曲を流しましょう」
隠井は、再生ボタンを押した。
曲の始まりは、<アンダンテ andante>、かつ<ピアニッシモ pianissimo>だった。これらは両方ともイタリア語で、前者は「歩くように速さで」という意味の速度用語で、後者は「きわめて弱く」という強弱用語である。すなわち、第二楽章は、柔らかな最弱音でもって、ゆったりした速度で奏でられ始めたのだ。
この箇所こそが、楽曲の意図が組み込まれた、曲の核たる<主題 theme>であり、その主題が二回繰り返された後の第十六小節目に入った、まさにその瞬間であった。
ドンッ!
ティンパニーのような打楽器を伴って、演奏に参加している全楽器の合奏(トゥッティ)によって、突然、聴き手を不意打ちするような大音が鳴り響いたのだ。
約五分半の第二楽章の聴き終えた後、ようやく隠井は発声した。
「これが、ハイドンの交響曲第九十四番の第二楽章です。曲の開始から二十八秒くらの所で、驚いた人、いたら挙手ボタンを押してみてください」
数多くの青い手が挙がっていた。
「<やはり俺の選んだハイドン>の楽曲に間違いはなかったようですね。この曲には、第九十四番という番号以外に、別称が与えられています」
「驚愕」
「そもそも、ハイドンは、観客を驚かせようという悪戯心から、この曲を作曲したそです。しかし『驚愕』という題名は、ハイドン自身が命名したものではなく、後日、そう呼ばれるようになったもので、ロンドンの新聞の演劇欄が<ソース>になっているようです。あの不意打ちの爆音は、まさに『驚愕』という名に相応しいものですよね。
僕が初めてこの曲を聴いた時、最初の約三十秒間、音がほとんど聴こえない、という演出がされていたのですよ。で。自分の音楽プレイヤーが故障したかと思って、ボリュームをマックスまで上げた所で、あの轟音です。思わず驚きの叫びを上げてしまいました。きっと他にも似たような経験をした方、いらっしゃるのではないでしょうか?
さてさて、最後に横文字の名前を覚えるのが苦手な方は、<『交響曲の父』ハイドン>は、この九十四番を聴きながら、ハイっ! ドン!!って覚えてくださいね」
そう言って隠井は、講義の締め括りとして、机を叩いてみせたのだった。
<参考資料>
「アンダンテ」「楽章」「交響曲」「ソナタ」「主題」「トゥッティ」「ピアニッシモ」岩田晏実 ほか『実用音楽事典 : ポピュラー・ミュージック』,東京 :ドレミ楽譜出版社,二〇〇二年.
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