第05講 とある戦記物のパラダイム・シフト(レポート1)

 ゴールデンウィーク期間中の五月初頭――

 課題として提示しておいたレポートがぼちぼち提出され始めていた。

 その中に、次のようなタイトルを見付け、隠井は思わず前のめりになってしまった。


 「とある戦記物におけるパラダイム・シフト」


 「パラダイム・シフト」、自分がこの語を最初に耳にしたのは大学受験の時期、受験勉強の息抜きとして、偶々視聴した深夜アニメにおいてであった。

 これは、最近流行の、いわゆる<転生物>なのだが、第二次世界大戦のドイツをモデルにした国家、「帝国」を舞台にした架空歴史物語で、受験生の頃、大学に入ったっら西洋史を勉強したいと考えていた自分にとっては、興味を激しく駆り立てられるような内容で、ほんとうに<偶々>息抜きのために、第一話を観ただけだったのだが、すぐにその内容に引き込まれてしまった。


 その「第伍話」は次のような内容であった。

 「帝国」の南東の国境が、ダキア公国によって領土侵犯された。

 ダキア公国軍は、航空戦力を有しておらず、そしてさらに、無線通信も暗号化されていなかった。

 帝国の「第二〇三航空魔導大隊」は、侵略してきたダキア公国の軍隊を壊滅させた後、そのまま、ダキア公国の首都を急襲、そこにある兵器工廠を攻撃した。

 以下は、兵器工廠を攻撃する前の、ヴィクトーリヤ・イヴァノーヴナ・セレブナリャコーフ少尉と、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐の間に交わされた会話である。

「ですが、見た限り、対航空防護はされていないようですね」と問う少尉に、デグレチャフ少佐がこう応えた。

「ああ、連中は、一世紀前の<パラダイム>、いまなお二次元に生きているらしい」


 この短い会話の中に、今回のレポートのテーマである「パラダイム」というタームが用いられている。

 初めてこの作品を観た受験生時代には、この語彙の意味が分からず、気になってはいたものの、そのままスルーしてしまったのだが、しかし、「パラダイム」の意味を知った今、このセリフが意味するところを、ようやく理解することができた。

 作品中のダキア公国軍の戦い方は、暗号化されていない無線は傍受されるという発想もなく、航空戦力の脅威がない、騎兵が主力であった時代の共通認識に基づく戦術なのだ。それは、縦と横という<二次元>、すなわち平面上の戦いにおいてのみ有効な思考で、これは「帝国」軍人の目から見たら、一世紀前の戦術パラダイムということになろう。これに対して、飛行機や、あるいは、「航空魔導隊」によって、空からの攻撃という、縦と横に高さを加えた<三次元>の戦いという、戦術における新時代の共通認識こそが、二十世紀前半の「帝国」にとっての、戦術パラダイムなのだろう。


 そしてさらに、この作品の中で、再び「パラダイム」シフトというタームが使われており、それは、第玖話における、作戦会議の場面においてである。

 その中で、参謀本部のゼートゥーア准将が次のように述べているのだ。

「<パラダイム・シフト>が必要でしょう。我々が直面しているのは、歴史が始まって以来の世界大戦です。敵の城に攻め入って<城下の盟(ちかい)>を結ばせるといった戦前のドクトリンは実現性が乏しすぎます」

「では、どのように勝利を?」

「勝利ではなく、敗北を避ける。これ以外に、最後まで立っているのは困難かと」


 ここで准将が言及している「城下の盟」とは、『春秋左伝』の中に出てくる故事で、首都まで敵に攻め込まれてから結ぶ、屈辱的な降伏の盟約のことである。つまり、戦争における勝利こそが目的で、敵の首都を壊滅させ、敵を屈服させることこそが、かつての戦略上のパラダイムだとしたら、二十世紀、史上初の世界大戦においては、勝つのではなく、負けないための状況を整えることこそが、新たな戦略面のパラダイムということになるのだろう。

 つまり、この作品は、たしかに、ドイツのような「帝国」を題材にした架空歴史物語のアニメでありながら、現実の二十世紀における<戦術>と<戦略>、これら戦いの両軸における<パラダイム・シフト>を巧みに織り込んでいる物語なのである。

 

 この作品は、現代日本で生きていたサラリーマンが死を迎えた後、神の如き「存在エックス」によって、二十世紀初頭という過去の、ドイツのようではあるが、しかし、決してドイツそのものではない「帝国」という、過去の<異世界>に転生させられ、さらに、転生前の過去の記憶をもったまま女児に転生し、能力至上主義のその世界で、女児でありながら有能であったため、<幼女>でありながら軍隊の中で少佐の地位にまで昇進し、さらに、その世界には<魔法>が存在し、その幼女は<魔導空挺部隊>の大隊長の地位にある、という設定である。

 なるほど確かに、こうした設定は荒唐無稽かもしれない。さらに、タイトルに入っている「幼女」というタームが示しているように、主人公は<幼女>である。それゆえに、作品をまるで観てさえいないにもかかわらず、こうした主人公の年齢設定だけで、拒絶反応を示している者もいるようだ。

 しかし、実際に作品に触れてみると、これまでの<戦記物>、<転生物>、<幼女物>といったジャンルに対して抱いていた認識が転倒させられてしまう。つまり、パラダイムがシフトされてしまうのだ。

 これまでの<戦記物>というパラダイムにおいては、たとえば、二十世紀前半のドイツを扱った場合、実際のドイツを作品の背景にした物語であったり、あるいは、もしも、ドイツが負けなかったとしたら、その後の歴史はどうであったかという、<もしも>を扱った<IFもの>や、あるいは、二十世紀前半のドイツをモデルにしたような架空歴史小説、といった<歴史物>や<戦記物>であることが殆どであった。

 あるいは、<転生物>である場合、その転生先は、<異世界>で、神から与えられた異能をその世界で駆使したり、あるいは、それが<過去>の場合、既に知っている歴史上の事実や、この時代にはない知識によって、過去を改変したりするものが多い。

 あるいは、<幼女物>の場合、いわゆる<萌え>を売りにした作品が大半だ。

 架空のドイツを物語の背景にした<戦記物>、現代の情報や知識を携えたまま転生するという<転生物>、主人公が幼女という<幼女物>、こうした一つ一つの物語ジャンルには、たしかに目新しさはないかもしれない。だがしかし、<転生>した<幼女>を主人公に据えた、ハードな<架空歴史物語>という組み合わせは、これまでの、<転生物>、そして<架空戦記物>単体には認められない、新たな<戦記物>の<パラダイム>なのではないだろうか。

 このように作品それ自体が、こう言ってよければ、新たな共通認識を生む可能性を孕む<パラダイム的な作品>であることが、アニメの第伍話、および、第玖話において、戦術・戦略両面において、「パラダイム」という語彙が敢えて使われている理由なのではなかろうか。


 先生にも、ぜひ、この作品を御覧になっていただきたい。



 はい、読みました。

 このレポート、たしかに、「パンデミック状況下に」「リアルタイムで確認できる」「感染症前後の変化」といったこちらの指示からは逸脱しているが、「パラダイム・シフト」というテーマに関して、自分の興味がある対象を題材にして、自分なりに思考を巡らせた、実に、個性的で興味深い論考であった。

 ただ一つだけ気になった点がある。

 このレポートを書いた学生は、わざと作品名を隠している。もしかして、試しているのか?

 おいおい、俺を誰だと思ってやがる。

 こんなメジャーな作品、わいが観てないわけないだろ!

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