フランス<男装>史

第06講 白き旗の男装の乙女

 二〇二〇年五月二十九日――

 五月末を迎え、ライヴ配信講義にも慣れてきた隠井であった。

 この日の講義で、隠井は、ちょっと遊んでみようと思いたった。


「さて、今日の講義はここまで。だけど終了まで、あと二十分くらい時間があるので、クイズを出してみることにします」

 静寂――。

 ライヴ配信講義では、参加者全員の<音声>をオンにしていると、参加者の数だけ雑音が入ってきて、講義にならない。そこで、<音声>の設定はオフにしている。したがって、無反応は当たり前なのだが、問いかけてみても反応が返ってこないのは、完全なる「暖簾に腕押し」のような感覚で、こういう点に、目前における受講生不在を痛感してしまうのだ。

「反応なし。まあ、当然ですよね。とりあえず、僕の話が分かっていたら、挙手のボダンを押してみてください」

 次々と青色の手が参加者一覧に現れた。

「オーケー、みんな聞こえているみたいだね。それじゃ、いったん手を下ろしましょう。今から、十枚からなる電子紙芝居をお見せします。あっ、<パワポ>のことね。これは、明日、<五月三十日>という日付と関連のある、とある歴史上の人物のものです。本当は、明日が講義日だったらベストだったんだけど、まあ、これは時の巡り合わせなので致し方ないですね。閑話休題。受験科目が日本史であろうと、世界史であろうと、絶対にその名を一度は耳にした事がある超有名な人物です。さて、みなさんは、答えが分かったら、その人物名と何枚目で分かったかを、このアプリの<チャット>機能を使って、ホストである私宛に送信してください。全員向けに送らないように気を付けてくださいね。ここまでの話が理解できていたら、改めて挙手してください」

 ほぼ一斉に手が挙がり、それを確認した隠井は、<スライドショー>のボタンをクリックした。


1:ドンレミ(フランス東部の村)


 一枚目のスライドが現れた瞬間、<チャット>の数字が一気にカウントされていった。

 まじかよ、もう分かったの。さすがに一枚目の村名では分からないと思ってたわ。とりあえず、作ったスライドは最後まで流すか。

「はい、一枚目で大量のチャットがきて、驚きを禁じ得ないのですが、気を取り直して続けます。この人物は十五世紀、千四百年代の初めに、フランス東部の小さな村『ドンレミ』で生まれました。では次のスライド」


2:英仏百年戦争の末期


「この人物が誕生した当時のヨーロッパは、イングランドとフランスとの間で、およそ百年に渡って戦争が続いていました。これが『英仏百年戦争』です。実は、この戦争は、イングランドとフランスという国家間の戦争かと言うと、ちょっと話が違います。フランス王家の血を引くイングランド王と、フランス・ヴァロワ王家の間の<フランスの王位>を巡る争いという側面が強かったのです。それでは次に三枚目を見てみましょう」


3:ブルゴーニュ派(英)対アルマニャック派(仏)


「この王位継承戦争は、具体的には次のようなものです。たとえば百年戦争末期の一四二二年、イングランドでは生後九ヵ月のヘンリーが、ヘンリー六世とし即位し、そして同年、フランス王のシャルル六世も死去しました。その際に、ヘンリー六世は、フランスの王位までも相続したのです。というのも、ヘンリー六世の母方の祖父がフランス王シャルル六世だったからで、かくしてヘンリー六世が、イングランド兼フランス王となったのです。そして、このヘンリー六世の後ろ盾になったのが、フランス・ヴァロワ家の分家で、当時の欧州の大勢力であったブルゴーニュ公国でした。 

 このブルゴーニュ公国の派閥に対抗したフランス領主の一派、いわば反ブルゴーニュ同盟が、いわゆる<アルマニャック派>で、そのアルマニャック派は、シャルル六世の五男であるシャルルを王として擁立しました。

 一四二十年代の百年戦争は、<イングランド・ランカスター朝、ヘンリー六世、ブルゴーニュ派>と<フランス・ヴァロワ朝、シャルル七世、アルマニャック派>」という対立構図になるのです。そして戦況は、ブルゴーニュ派(イングランド)にとって圧倒的に優勢でした。それでは四枚目」


4:男装の十七歳の少女と白い旗


 四枚目のスライドを見せた瞬間、チャットの数字が少し増えた。

「こういった状況下の、一四二九年、フランス中央部に位置する<オルレアン>という都市が、イングランド軍によって包囲されていました。そして、同じ年の四月末、そのオルレアンに援軍が到着しました。それは、ラ・イルとジル・ド・レといった軍人を連れた騎士でした。その者は、甲冑に身を纏い、腰には剣を佩き、白き旗を掲げた<男装>の一人の少女でした。この人物の象徴は<白い旗>です。それでは五枚目」


5:一四二九年五月八日、オルレアン解放


「その男装の少女の到着から数日後の五月八日には早くも、イングランド軍は撤退し、オルレアンは解放されました。それでは六枚目」


6:オルレアンの乙女(ラ・ピュセル・ドルレアン)


「その白い旗の男装の少女は、解放の象徴、救世主として『オルレアンの乙女、フランス語だと『ラ・ピュセル・ドルレアン』という二つ名を与えられました。ちなみに、オルレアンでは、四月末から五月初めにかけて、毎年、このオルレアンの乙女を称える祭りが催されています。今年は行われなかったようですが。それでは、七枚目」


7:一四二九年七月十七日、ランスでのシャルル七世の戴冠


「ここでポイントとなるのは、『ランス』という都市です。というのも、フランス王として、神として認められるためには、ランスのノートルダム大聖堂で戴冠式を行う必要がありました。しかし、当時のランスは、ブルゴーニュ派の勢力下にあったので、フランス側、アルマニャック派の課題は、ランスの奪還でした。そして、オルレアン解放からわずか二ヵ月後の七月半ばにはランスを奪還、王太子シャルルの戴冠式がランスで行われ、彼はシャルル七世として玉座につくことができました。それでは次」


8:一四三〇年五月二十三日、コンピエーニュの戦いで、ブルゴーニュ派の人質に


「オルレアン解放から一年後、またしても<五月>の出来事です。この人物は、コンピエーニュの戦いで人質にされてしまいます。ちなみに、日本の戦国時代だと、功名は敵の首を取る事かもしれませんが、中世欧州の戦いでは、身分がある者の首を取ったりはしません。人質にして身代金を要求するというのが当時の欧州流なのです。しかし、シャルル七世は、この人物のために身代金を出すのを渋り、結局、この人物は、ルーアンという町に連行されてしまいました」


9:一四三一年五月三十日、ルーアンで火刑に、罪状は<男装>


「そして、その人物は、コンピエーニュの戦いの一年後、一四三一年五月三十日、ルーアンで火刑に処されてしまいます。<五月三十日>、このタイミングで、この人物を問いあげた理由もこれでお分かりになったと思います。

 さらに指摘したいのは、この人物が歴史に初めて登場したオルレアンは『二十九年五月』、捕まったのは『三十年五月』、そして処刑されたのが『三十一年五月』、歴史上に登場していたのは、わずか二年間で、そして、その人物にとっての重要な事件が全て<五月>に起こっているのも興味深い点だと思います。

 さて、この人物は、ルーアンで<異端審問>にかけられたのですが、その罪状は何だったかと言うと、実は、最大の罪は<男装>でした。

 キリスト教会の影響下にあった中世ヨーロッパ社会では、男は男らしく、女は女らしい衣類を着ることが強要されていました。そして、その中世的な価値観では、女性が男の服を着ること、すなわち、キリスト教において、<男装>は、社会的秩序を乱すため、罪とされていたのです。この人物は、オルレアン攻防戦の際、鎧で身を包み、さらに、ルーアンでの異端審問の際も、ブルゴーニュ派の陰謀で、男性の服を着させられてしまったのです。つまり、極端な話にきこえるかもしれませんが、この人物は、多くの人が勘違いしているような<魔女>という理由からではなく、<男装>をしていたことによって火刑に処されてしまったのです。それでは最後の十枚目」


10:この歴史上の人物を登場させた虚構作品

映画:リュック・ベッソンの一九九九年の作品

漫画・アニメ;『ドリフターズ』、『Fate/Apocrypha』などなど


「この人物を題材にしたフィクションは枚挙にいとまがないのですが、代表として、映画と漫画・アニメを数点あげておきます。

 さて、誰でしょう? 既に『1』と『4』の時点で、分かっちゃった人が多かったみたいだけど、答えをお見せしましょう」


解答;ジャンヌ・ダルク


「実は、僕の講義では、毎年五月には、先ほど言及したように、五月が、オルレアン解放や、ルーアンでの火刑など、ジャンヌにとって重要な月なので、かくの如く、ジャンヌの話をすることにしているのです。こんな状況下ですが、今年もジャンヌの話をすることができました。

 さて、<ジェンダー論>や、<ダイバーシティー>の価値観にある現代、<男装>によって処刑されるなんてあり得ないようにも思えます。しかし、十五世紀前半においては、このような事態が起こり得たのです。

 ここから、数回に渡って、君たちの思考の材料として、<男装>というテーマで、フランスの歴史について語ってみたい、と考えています。

 それでは、終了時刻が来たようなので、また来週。質問がある人は、<退出>ボタンを押さずに、このまま残ってください」


 一人の学生が、そのまま居残った。

 その受講生との話の中に出てきたのだが、スライド一枚目の「ドンレミ」の時点で数多くの学生がジャンヌだと分かったのは、高校時代に世界史の授業で使っていた資料集に「ドンレミ」が言及されていたかららしい。

 隠井の高校時代、はたして、ドンレミについての言及が教科書や資料集にあったかどうかの記憶は定かではないのだが、四枚目の「オルレアンの乙女」ではなく、一枚目の「ドンレミ」で早くも答えがバレてしまった理由が分かって、少し、もやもやが晴れた隠井であった。

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