第08講 七月十四日のバスティーユ
「さて、それでは、今日の講義を始めましょう。そういえば、今日って何月何日でしたっけ?」
「七月十四日です」というレスポンスがチャットにて返ってきた。
「そう、文月十四日でしたね。それじゃ、七月十四日に起こったフランス史上の歴史的事件ってなんだか分かります?」
「「「「「「「「「「「「「「「フランス革命」」」」」」」」」」」」」」」
十本以上のチャットがほとんど同時に返ってきた。
「そのとおおおぉぉぉ~~~りっ」
ライヴ講義では、映像をオフにしているため、受講者に見えるべくもなかったのだが、隠井は右腕を小さくL字型に折り曲げながら、画面に向かって声を発した。
「さてさて、この文化史の講義は、ここ数年、毎年火曜日に配置されているのですが、講義日当日が七月十四日に当たるのは、数年に一回の、ある意味、珍事なのです。前回、火曜日が七月十四日だったのは、たしか、二〇一五年、五年前だったと記憶しています。そこで、です。折角なので、今日の講義では、<フランス革命>を題材に話をしたいと思います」
この講義の準備で半徹夜だったので、音声をオフにして、濃いブラックコーヒーを隠井は一気に飲み干した。
「中学や高校の歴史の授業において、フランス革命に関する言及は必ず為されたはずで、たとえ、政治経済や地理、日本史が受験科目だったこの講義の受講生も、<一七八九年のフランス革命>という年代と歴史的事実、それに加え、フランス革命によって、それまでの絶対王政の象徴であった<アンシャン・レジーム(旧体制)>という身分制度が転倒され、フランスで共和政が始まったということ位は知っていることでしょう。ここでは、もう少し細かく見てゆくことにします。一七八九年に勃発したフランス革命、その象徴的日時と事件こそが<七月十四日>の<バスティーユ牢獄の襲撃>なのです」
バスティーユ(Bastille)
隠井は、共有資料の白板に、音をカタカナで書き、それにフランス語のスペルを添えた。
このバスティーユ牢獄には、革命勃発時には思想犯や政治犯が収容されていて、この牢獄は、アンシャン・レジームの象徴的な建造物だったのです。一七八九年七月十四日に、武装した民衆がバスティーユを襲撃し、この牢獄を陥落させました。もちろんこれだけで、フランス革命が成し遂げられたわけではないのですが、この日の出来事が、フランス革命の象徴的な事件とされ、現在のフランスでは、<七月十四日>こそが、フランス共和国の成立を祝う国民の祝日、<パリ祭>とされているのです。毎年の七月十四日のパリ祭の折には、フランス各地で様々なイヴェントが催されます。かつてバスティーユ牢獄があった、バスティーユ広場は、歩くのも困難な程の人出になります。実は、僕、パリに留学していた時に、実際に、パリ祭の日にバスティーユに行ったのですよ。<七月十四日のバスティーユ>というのは、歴史好きにとっては、もうたまらんってなるのですが、漫画・アニメ好きにとっても、実に<エモい>時空間なのです」
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェとアンドレ
隠井は、白板に二人の人物名を書いた。
「ところで、これらの人物、知ってる人います? 知っていたら、挙手」
パラパラとしか手は上がらなかった。
「さすがに、世代が違うかな。それじゃ、『ベルサイユのばら』って作品名を耳にしたことがある人?」
先ほどよりは挙手の数が増えた。
「作品名くらいは聞いたことがあるみたいだね。『ベルサイユのばら』、略して『ベルばら』は、フランス革命を物語の舞台背景にした作品で、漫画を原作に、テレビアニメ化、そして、宝塚で舞台化もされていますし、もしかしたら、宝塚で知っている受講生もいるかもしれませんね。それもそのはずで、この作品、宝塚と実によく合うのです。というのも、『ベルばら』の主人公であるオスカルとは、いわゆる<男装>の麗人なので、役者が皆女性である宝塚とぴたり合うのも道理です。そのオスカルが死を迎えた場所こそがバスティーユで、日付が七月十四日なのですよ」
隠井は、「ド」という個所に、赤で下線を引き、貴族と書き添えた。
オスカルのフルネームは、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、「ド」とあるように、オスカルは貴族階級出身です。オスカルの家であるジャルジェ家はブルボン王家に仕える軍人の一族なのですが、オスカルよりも上の子供が全て女子で、父である将軍は、男児の誕生を待ち望んでいました。しかし、またしても誕生したのは女児、そこで父である将軍は、生まれた女の子を息子として育てることにするのです。
父親の都合で、本来の性別とは異なる性で育てられ、さらに、軍服をまとった<男装>の人物という点では、前回扱った、シュヴァリエ・デオンと似ていますね。もっとも、デオンは実在の人物で、オスカルは架空の人物という違いはありますが」
隠井は、アンドレの名の下に、平民と書き加えた。
「そして、もう一人覚えておいて欲しい人物がアンドレで、このアンドレは、ジャルジェ家に奉公する平民の子です。男として育てられたオスカルとは幼馴染で、貴族と平民という身分を越えた、<男同士>の親友として育ちます。
やがて、成長したアンドレのオスカルへの気持ちは、男同士の<友情>から、男女の<愛情>へと変化してゆきます。しかし、そこには、平民と貴族という身分の違いという壁が存在し、互いに気持ちを通じ合わせているというのに、二人は思いを遂げることができずにいます。
一方、オスカルは、元は近衛の連隊長だったのですが、とある事件の責任をとって、一七八九年時点において、下級貴族と平民から成るフランス衛兵隊の隊長となっています。
そして、アニメ『ベルばら』の第三十七話から、最終回の第四十話までの、残り四話の背景は、一七八九年七月十二日から十四日の三日間になっているのです。
物語の中で、貴族であったオスカルも、第三身分の現状を知ってゆくうちに、アンシャン・レジームという身分制度に疑問を抱くようになります、また、オスカルは、結核を患い、余命が残り少ない事を知って、自由に、そしてあるがままの心で行動し、限りある命を精一杯生きようと決意するのです」
隠井は日付を書いた。
七月十三日
「オスカルとアンドレは、ついに、というか、ようやく、七月十二日夜から十三日の朝、夫婦の契りを交わすのです。こうして、これまで、軍服を身に纏い<男装>し、男として生きてきたオスカルは、アンドレの妻として、胸を焦がすような愛にその身を委ねるのです。
この場面は非常に着目に値します。
その理由は、貴族と平民という身分差、そして、男として生きてきたオスカルが、偽りの男という性差を打破した象徴的な場面で、ここに、オスカルの二つの価値観の転倒が認められるからです。
そして、再び軍服を着たオスカルが率いるフランス衛兵隊B中隊は、武装した民衆を鎮圧するような命令を受けるのですが、しかし、自分の意思を優先させ、民衆側に味方し、オスカルは、これまで味方であった国王軍と戦う決意をします。しかし、この戦いの最中、アンドレは敵兵の銃撃を胸に受け、オスカルと夫婦になって一日も経たないうちに死を迎えてしまいます」
七月十四日
隠井は太字で、この日付をゆっくりと書いた。
「アンドレの死を受け止められず自暴自棄になっていたオスカルは、その後、奮起し、バスティーユ牢獄の襲撃に加わります。そのオスカルの指揮の下、元・衛兵隊は、大砲でバスティーユを攻撃します。その姿を目撃したバスティーユの司令は、オスカルに狙いを定め発砲します。
全身に銃撃を受けたオスカルは、一七八九年七月十四日午後に、アニメでは「アディウー」という今際の言葉を残して、アンドレの後を追うように、三十四年の生涯を閉じるのです。
史実を参照すると、バスティーユの降伏は午後三時半頃で、アニメでは、それがオスカルの死の一時間後だと言及されています。ということは、時差七時間、日本時刻の夜の九時半がオスカルの推定死亡時刻ということになります」
隠井は、画面の前で天井を見上げ、しばし間を置いた。
「この作品を、僕が初めて観たのは小学生高学年だったのですが、当時、夢中になってテレビにかじりついたのを覚えています。
今、大学の講師になって、フランスを中心に、歴史や文化の話をしているのですが、僕が革命後のフランス社会を専門にしているのは、<男装>の麗人、オスカルの生涯を知った事が遠因になっていると考えています。
この講義が終わったら、お父さんか、お母さんにでも『ベルばら』の話をしてみてください。四十代、五十代ならば、きっと中には、子供の頃に『ベルばら』にはまって、家に漫画が全巻揃っている御家庭もあるかもしれません。今日の夕食、きっと話が盛り上がりますよ。
さて、来週が前期最後の講義になります。ではまた来週」
参考資料
<漫画>:池田理代子『ベルサイユのばら』,東京:集英社,『週刊マーガレット』(初出),一九七二~一九七三年;『マーガレットコミックス』旧版単行本全十巻(文庫版全五巻).
<アニメ>:『ベルサイユのばら』第三十七~四十話,制作:東京ムービー新社,全四十話+総集編一話,初回放映;一九七九年十月~一九八〇年九月,『dアニメストア』で配信(二〇二〇年七月十三日現在),二〇二〇年七月十三日鑑賞.
<WEB>:『池田理代子オフィシャルサイト』,二〇二〇年七月十三日閲覧.
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