第02講 ハイシン講義における神器

 四月半ば――

 物理的な意味において、<三密>を避けるために、教室という同一の空間に集まっての対面講義ができない以上、WEB上で講義を行う準備を始めなければならない。

 オンライン講義の準備期間として与えられた数週間の間に、先ずしなければならないことは、ゴールデンウィークあけに、自宅から配信講義ができるために必要となる道具の調達であった。

 当初は、大学に行って、教室に備え付けられている機材を使おうと考えていたのだが、緊急事態宣言の発令以降、原則、教職員さえ入構禁止になっているので、全てを自前で揃えなければならなくなってしまった。

 パソコンや、タブレット、あるいは、スマートフォンなどの情報端末機器以外に、いったい何が必要であろう?

 オンライン飲み会ならば、これだけで事足りるのだが。 

 配信講義を行う上での理想は、実際に学生に面と向かわないという点を除けば、物理的な空間を越えて、ヴァーチャル教室に、リアルな空間と遜色のない<講義空間>を現出させることである。

 オンラインで配信をするわけだから、マイクが付いたイヤフォンが不可欠だろう。そこで、「ヘッドセット」に関しては、通販サイトにて躊躇わずにポチった。

 それ以外で、必要なものとして思い付くのは「WEBカメラ」であろう。

 仮に、配信講義三種の神器なるものを設けるとして、その第一として取り上げられるのは、きっとこれだ。

 しかし、スマフォやタブレットならば、カメラは標準搭載なのだが、実は、パソコンだと付属されていない機体も多い。事実、隠井の自宅PCにはカメラは付いていない。

 大学のみならず、多くの会社において、オンライン・ミーティングを行っている所も多いようで、四月中旬、通販サイトにおいて、WEBカメラは品薄状態になっていた。

 しかし実を言うと、飲み会ならまだしも、画面に自分や受講生の顔を映しながら講義することに、なんらメリットが感じられない。

 基本、画面に、資料を写しながら講義をするつもりなので、ここに参加者の顔がチラチラ出て来ては、正直、話の妨げにしかならない。

 それに、音声だけと、映像オンの状態では、通信量が十倍以上も違うのだ。

 もっとも、出向先によっては、映像オンを要求する学校もあった。これは、顔が見えていることによる単なる<受講感>や、参加者の勤怠状況の管理を目的としているだけの要請に過ぎない。

 隠井は映像をオンにするつもりはない。

 出向先からの要請に関しては、自分のPCにWEBカメラが付いていないことを理由に、華麗にスルーすることにした。もし、不平不満を言ってくる受講生がいたら、通信量を根拠に言い訳することにしよう。

 これは後日談なのだが、通信量と速度制限に関しては、受講生や保護者からクレームが殺到したらしく、映像オンを要請してきた学校は、掌を返したように、今度は、「データーダイエット」を要請してきた。

 とまれかくまれ、隠井は、準備段階から、配信講義における神器の一つとされる「WEBカメラ」の購入は取りやめにしたのだった。

 ちなみに、通常の隠井の講義スタイルは、受講生に講義プリントを配布し、それをOHC(書画カメラ)を利用して、教室前方のスクリーンに写し出し、必要に応じて、資料を拡大したり、縮小したりしながら、重要事項に下線を引いたり、マーキングしたり、書き込んだりする、というスタイルである。

 こういった方法を用いることによって、話題を、逐一、黒板や白板に書く必要はなくなり、実はかなり無駄な<板書時間>を省くことができる。ノートするのはポイントだけで十分なのだ。そして、今現在、何を話しているのか、という流れを見失うこともなくなるし、それに、受講生の意識を焦点化することもできるのだ。 

 それより何より、プリントをOHCで投影するこの方法だと、これまた、かなりの時間を要する板書内容の<消去時間>を削ることができるのだ。

 隠井は、講師になった最初の年から、黒板や白板への板書をほとんどせずに、スクリーンに講義内容を写し出す方法を採用していた。

 最初の数年の間は、パワーポイントを利用していた。しかし、パワーポイントの画像と配布した資料が異なるため、受講生の中には、講義中に流れを見失ってしまう者もいた。それならば、パワポの画像をそのまま資料として配布すればよいようにも思えるのだが、九十分の講義内容だとスライドは何十枚にもなるし、そのパワポの画像をそのまま印刷したのでは、量も膨大で、こうしてパワポを紙に印字しただけの資料は、実に見辛いのだ。

 結果として落ち着いたのが、配布資料を書画カメラで投影して、資料に書き込んでゆくというスタイルであった。

 この方法の発見は、実は偶然の賜物である。

 ある日、講義直前まで作成したパワポを自宅に忘れてきてしまい、<仕方なく>プリントアウト済の資料をOHCで映し出しながら書き込み講義を行ったところ、資料の拡大・縮小も自由自在、途中での書き込み挿入も簡単で、実に講義がやり易かったのだ。

 これまで膨大な量のパワポ資料を作成してきたので、それらを蔵入させるのに、ある種のもったいなさも覚えたのだが、OHCを用いた講義方法の快適さは絶大であった。

 以来、この数年は、このOHCでの資料書き込み方式で、隠井は講義をすすめている。

 しかし、である。

 いかにすれば、教室にて書画カメラでスクリーンに投影するのと同じように、スマフォやタブレット、PCといった情報端末の画面上で、書き込み講義を再現できるのか。

 ミーティング・アプリには「資料共有」という機能があって、自分のコンピューター上の資料を他のユーザーと共有できる。無論、ワードのドキュメントもPDFファイルも共有可能だ。

 だが、ミーティング・アプリでワード・ファイルを立ち上げて、話しながら、そこにキーボードで書き込んでゆくのは、案外思うようにならないし、ミスタッチも多く、オンタイムでの講義にはちょっと不向きで、やはり即時性という点では、手書きこそがベターな方法なのだ。

 一方、マウスやトラックパッドをペン代わりにし、手書き機能を使ってPDFに書き込むという方法は、ペンで書くのと同じ程にはうまく書けない。

 そこで最初に思い付いたのが、タブレットのカメラをOHC代わりにして資料を写すという方法だった。

 この方法は理論上は可能なのだが、自由自在な拡大縮小がうまくできず、カメラを通して映し出された画像の質もいまいちで、何より、タブレットを固定する器具が必要であった。

 画質という点では、カメラを通さずに、PC内のファイルを共有するのがよい。だが、その場合、マウスではうまく字が書けない。「ペンタブレット」を購入すれば、字の問題は即時解決なのだが、オンライン講義準備の必要経費は自腹で、ここまで何かと必要な機器を幾つも購入しているし、その上、ペンタブまでとなるとかなりの出費になる。

 手書きでの書き込みという点では、「共有」の中に「ホワイトボード」という機能が標準搭載されていたので、試しにこれを使って、何か書き込んでみることにした。それから、書いたものを拡大してみたのだが、文字それ自体は拡大されなかった。画面を左右に動かしてみたのだが、画面は動いても、文字は動かないままで、どうやら、この機能は、文字はホワイトボードそれ自体に書き込まれるのではなく、機器の表面に文字を書き刻むものであるようだ。これでは講義には使えない。

 案外、思ったようには、できないものだな。

 そんなことを考えながら画面共有機能をいじっていると、その共有可能一覧の中に、「ipad」という項目が現れているのに気が付いた。

 試してみると、手持ちのタブレット上の画面をPCで共有することができた。

 その後、ふと思い立って、タブレットでPDF資料を開き、ペン機能を使って指で何か書いてみたところ、書いたものがそのまま、ミーティング・アプリに反映されたのだ。そしてさらに、拡大・縮小・移動を試みたところ、「ホワイトボード」と違って、自由自在に動かすことができたのだ。

 これだっ!

 指では細かな書き込みが難しいとしても、ペンならばそれはできる。この場合、必要な道具は、「タッチペン」だけとなる。

 これこそが、配信講義における真の神器にして、オンライン講義において、隠井が探し求めていた伝説の武器であるに違いない。

 タブレットをペンタブ代わりにして、PDFに書き込んでゆくスタイル、これこそが、隠井が、試行錯誤の末に遂に発見するに至ったオンライン講義のスタイルであった。

 この方法ならば、教室とほぼ同じように講義が展開できる。

 間違いない。


 数日後――

 タッチペンが届いた。


 ライジンハ、タッチペンヲテニイレタ。

 レベルガ2ニアガッタ

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