令和二年度(2020年度)春学期

イントロダクション

第01講 ライヴ生配信講義

 二〇二〇年、人々を震撼させた感染症のせいで――


 世界が一変した。


 とはいえ、日本が感染症に見舞われたのは、今回が初めてというわけではない。


 最近の十五年に限ってみても、二〇〇七年に「はしか」が若年層の間で流行し、五月の末から二週間に渡って、隠井が通っていた大学においても全学一斉休講の処置がとられた。当時、まだ大学院博士課程に在籍しており、かつ、学生としての最後の年だったので、よく覚えている。前世紀の学部時代から長く大学に通ってきたのだが、感染症のせいで、一定期間の休講措置が為されたのは初めてのことであった。

 そして、それから二年後の二〇〇九年春、「新型インフルエンザ」が発生した。当初、この新型は致死性が高いという報道がなされたため、世界を震撼させたのだが、やがて、通常のインフルエンザと同じ扱いとなった。大学講師になりたてであった隠井は、二〇〇九年秋に生まれて初めてインフルエンザに感染してしまった。それが新型であり、講義を休講にせざるを得なかったので、これも強い印象として記憶に刻み込まれている。インフルエンザに罹患した者は、学生であれ教員であれ、個々人が数日の間在宅すればよいので、その<禁足>は個人レヴェルのものであり、「はしか」の場合のように学校全体が閉鎖になる程のものではなかった。

 そして、新型インフルエンザの流行から十年後の今回の「コロナウィルス」である。今回の感染症は「はしか」や「新型」に比べ、規模と致死率の桁が段違いであった。

 その結果、個人生活のレヴェルのみならず、社会生活のレヴェルにおいても<変化>、いや、<変革>が余儀なされてしまったのだ。

 三月に流行が爆発的に拡大した欧米に引き続き、日本でも、その感染拡大を抑えるために、四月初旬、政府から緊急事態宣言が発令された。

 いわゆる<三密>、密閉、密集、密接の三つが、感染症対策として避けるべき三つの要素とされ、不要不急以外の外出の自粛が求められ、多くの施設が自粛の名の下に、営業禁止を強要されたのだ。

 隠井の勤務先である大学は、本質的に、究極の三密空間である。

 したがって、隠井が契約している五つの大学のうち主要な大学においては、三月の時点で早くも、前期の間は、教室での<対面>講義を全て取りやめ、遠隔講義の準備を推進するようにとの依頼が出ていた。

 三月の時点では、前期の講義全てを遠隔にする決断を下していたのは五校中一校だけに留まっていたのだが、四月の緊急事態宣言の直後、それが三校に、そして、四月末の緊急事態宣言の延期直前には全ての大学が、前期全て、あるいは、事態がおさまるまでの当面の間、学生の通学を禁じ、いわゆる遠隔での講義を行う決定を下した。

 講義の開始時期も、学生および教員両方の遠隔講義の送信・受信両面の準備を考慮に入れて、開始時期も四月の末、あるいは、五月の頭にずれることになった。

 卒業式・入学式の取り止めや、前期講義開始日がゴールデンウィーク以降にずれこむという事態は、二〇一一年の東日本大震災の時にもあったのだが、この場合は、式の延期や中止、開始時期の延期に留まっていた。

 しかし、今回の「コロナ」では、社会そのものが、当然、社会の縮図である大学もまた、突然で抜本的な<変革>が強要されたのだ。

 三密を完全に避けるためには、学校を閉鎖し、学生が集まらない状況にする以外に方法はない。その究極的な手段は、講義を全て休講にすることなのだが、春期や夏期の長期休暇期間ならまだしも、通常の講義期間には、何らかの方法で、学生に対して教育・研究の機会を提供しなければならない。それが高等教育機関の役割なのだ。

 しかし、在籍する学生を「コロナ」に感染させないために、学校への入校それ自体を禁じざるを得ない以上、別の方法での講義を展開しなければならない。その現時点における解が、遠隔・通信講義の提供、いわゆる<オンライン講義>であった。

 実は、こうしたオンライン講義のシステムそれ自体は、十年以上も前から存在しており、教員の中にも、このシステムを活用している者もいたが、不慣れを言い訳に利用している者は少なく、活用していたとしても、せいぜい、ワードやPDFの資料をWEBにアップしたり、学生との連絡手段として「掲示板」を利用するのがせいぜいだったのだ。

 しかし、今回の事態で、慣れ不慣れを言い訳にしていられなくなり、遠隔講義の提供を決定した大学に属する日本中のほとんど全ての教員が、<オンライン講義>を行わざるを得なくなったのである。

 現在、たしかに、全てではないにせよ、日本の大学においてオンラインで講義を提供できるシステムが存在していたのは幸いであった。これが十五年以上前ならば、遠隔講義など、技術的に提供不可能だったかもしれない。

 とはいえ、システムが存在するのならば、あとは、それを、個々人が講師としていかに使ってゆくかという話なのである。

 基本的に、オンラインによる講義展開の方法は三つある。


 第一は、WEB上に課題をアップしておいて、それを学生にやらせる「課題講義」

 第二は、撮影済の講義映像をWEBにアップしておいて、学生に任意のタイミングで受講させる「オンデマンド講義」

 第三は、オンライン・ミーティングのソフトを利用して、生配信する「ライヴ講義」


 それぞれの方法には、利点も問題点もあるように隠井には思える。

 実は、隠井には、「課題講義」や「オンデマンド講義」の経験はあった。

 たしかに、「課題」やオンデマンド用の「動画」に関しては、講師は作った資料を、オンライン上にアップしておけばそれで仕事は済み、学生も期間内の好きな時間に受講すればよく、たとえば金曜一限という時間的な束縛から解放され、それは、互いに「ウィンウィン」であるようにも思われる。しかし、いつでもできるという状況は、学生の怠慢の温床であるし、制作者側の講師も、作成や対応で忙殺されることになる。このことを、経験上、隠井は痛感していたのだ。この点、教員・学生両方の通信環境など不安な面はあるものの、ライヴ配信こそが、双方にとって、最も負担が少ないように思われた。

 それより何より、なるべく、教室での対面講義と同じように、双方向の講義を展開したい、と隠井は考えていたのだ。

 しかし、隠井には「ライヴ生配信」の経験だけがなかった。だから、世に幾つも存在している<オンライン・ミーティング>アプリケーションの中で何を使うべきか、そして、選んだソフトの操作方法の習熟など、幾つもの課題と不安を抱えていた。 

 しかし、である。

 オンライン・ミーティングの操作方法や通信環境の問題に関する不安は、四月半ばという早い段階において完全に払拭できた。

 というのも――

 それは、四月に知人に誘われて参加した<オンライン飲み会>のおかげであった。

 たしかに、エキスパート・レヴェルで活用し尽くすとしたら、まだまだハードルは多々あるものの、ホストとしてミーティングを主催したり、資料を共有させる方法など、基本機能を利用する点に限って言えば、難しいことなど


「……なにも、な”がっだ」

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