第5講 最後の講義、授業と講義、生徒と学生

 二〇二〇年一月最終週の金曜日、この日は一月の最終日でもあった。本日、睦月晦日は、隠井の二〇一九年度の講義最終日でもあった。

 この日の担当科目は、一年生を対象にしたフランス語の文法であった。

 前回の講義において期末試験を実施し、この最終講義日には試験の返却をすれば十分なのだが、しかしそれだけで済ませるには何かもったいない気がする。そこで、最終日でもあるし、イヴェント的な意味合いもこめて、受講生にフランス関連の映像を見せて、それに関するリアクションペーパーと、一年間の講義全体の感想を受講生に書いてもらうことにしたのだった。

 ——ついに、最後の講義か……。

 このことを想起するといつも、隠井には思い出す作品があった。

 十九世紀のフランスの小説家アルフォンス・ドーデに『月曜物語』という短編集がある。これに収められている短編は、一八七一年から一八七三年にかけてフランスの新聞に毎週月曜日に発表されたものであり、つまり、この書物の題名はその連載が発表された曜日に由来している。そしてし、その中に「最後の授業(La Dernière Classe)」とい作品があった。

 この作品が隠井の思い出になっているのは、彼の小学生時代の国語の教科書に、この「最後の授業」が載っていたからである。この物語内容は次のようなものであった。


 物語の舞台はフランス領のアルザス地方である。この地方の小学校に勤めるフランス語の教員が生徒達に次のように語る。

 ここでフランス語のクラスを持つのは<最後>である。というのも、普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセンの領土になり、この地では、今後、フランス語ではなくドイツ語が教えられることになった。そして教員は言う。「これが、私のフランス語の最後のクラスです」と。そして、終わりを知らせる教会の鐘が鳴って、教員は<最後のクラス>を終えることになったのだった。

 

 一八七一年の普仏戦争におけるフランスの敗戦において、フランスとプロイセンの国境地帯であるアルザスとロレーヌの東半分がプロイセンに割譲された。すなわち、この短編小説は、作者であるドーデにとっての近い過去を時代背景にした作品なのである。

 「最後の授業」の日本における小学生向けの教科書への掲載の歴史は古く、その最初の採用は昭和二年にまで遡ることができる。第二次世界大戦後に不掲載の一時期もあったそうなのだが、昭和二十二年には再掲載されるようになり、半世紀も読まれ続けてきた。つまるところ、様々な世代の日本人のそのほとんどが知っているはずの作品なのであった。

 そういった背景もあって、大学の講師になってから何度か、隠井は、この短編小説「最後の授業」のことを話題に出したことがあったのだが、しかしながら、学生の中に「最後の授業」を読んだことがある者はほとんどいなかった。自分の記憶違いかと疑問に思って調べてみた所、「最後の授業」は、昭和六十年に国語の教科書からは除外されてしまったそうなのだ。隠井が小学六年生だったのは昭和五十八年であり、実は、この作品を小学校の国語の授業において読んだ最後の世代なのだった。

 道理で、平成生まれの学生の中に読んだ者がいないはずだ、と隠井は思った。


「さて、今日は、今年度最後の講義日だけど、フランスの小説家ドーデの『最後の授業』を読んだことある人っている?」

 今年も訊くだけは訊いてみたのだが、三十人の受講生のうち読んだ者は一人しかいなかった。まあ、国語の教科書に載っていない今の教育事情を考えれば仕方ないかな。

 ほとんど誰も知らないわけなので、隠井は、普仏戦争の時代背景と「最後の授業」の物語内容について簡単に触れた後で次のようなことを語り出した。

「念のために尋ねたいんだけど、今、僕が、<授業>と<講義>って言葉を敢えて使い分けていたことに気付いた人いるかな? 実を言うと、これまでの一年間、六十回の講義の中で、僕はクラスのことを常に<講義>って言い続けていたことにも気付いていた人いるかな?」

 何人かの受講生が小さく挙手した。

「オッケー。実は、このように言葉を使い分けていたことには理由があります。<授業>って言葉は、漢字を見れば即座に分かるけれど、「業」を「授かる」ってことです。つまり、教師が教え授ける業、いわば、教科書に書かれている内容を、一方的に教え授かって、それを可能な限り素早く正確に覚える、<受動的>な、あえて言うと、小学生、中学生、高校生、予備校生までの授業態度なのです」

 そして隠井は、ホワイトボードに「授業」と「講義」と書いた。

「これに対してです。受験を終えた大学生が臨むべき受講態度は<能動的>であるべきなのです。つまり、教師から一方的に単に業を授かるだけでは不十分です。講師が語った内容を単に覚えるのではなく、講師が語ったことを考えるための材料にして、たとえてみると、思考の種にして、それぞれが自分独自の思考の花を咲かせで欲しいのですよ。そして、この講師と受講生によって形成させる空間は、教師からの一方的な伝達の場ではなく、双方向の思考活動であるべきなのです」

 隠井はホワイトボードに書かれている「授業」と「講義」の下に「生徒」と「学生」と書き足して、「授業」と「生徒」、そして「講義」と「学生」をマーカーの赤線で関連付けた。

「繰り返しになりますが、まずは<授業と講義>の違いを認識してもらいたい。その上でもう一つ理解してもらいたい対比が<生徒と学生>の違いなのです」

「先生、どうゆうことですか?」

「フランス語に寄せて言うと、小学生、中学生、そして高校生までのことを「エレーヴ(élève)」と言って、これが日本語では『生徒』と訳されています。この単語は『エルヴェ(élever)』という動詞に由来していて、そもそも、この動詞は『~を育てる』という意味です。つまり『生徒』とは教師が育てるもので、教師が提供する内容を教え授かる存在なのです」

 隠井は、ホワイトボードに書かれた「生徒」の下にフランス語の単語も書き添えた。

「さて、これに対して、フランス語では、大学生以上のことを『étudiant(エテュディアン)』、ちなみに女性形は『エテュディアント(étudiante)』ね、これは日本語では『学生』とい日本語が当てられるんだけど、もちろん、これは『エテュディエ(étudier)』、『~を学ぶ』っていう動詞から来ています。つまり、さ。大学生ってのは、育てられる者ではなくて、自ら積極的に学ぶ者であるべきなのです」

 教室は静寂に包まれていた。

「受験を終え、ほんの数ヶ月前まで、高校生や予備校生であった君たちの多くは、おそらく、教師が言ったことを一方的に教授する、授業を受ける、受動的な中高生的な、いわば生徒的な受講生もいたかと思います。でも、この一年間で、君たち大学一年生を、講義を能動的に受講する大学生へと変貌させることこそが、実は僕の仕事だったと考えてきました」

 隠井は一拍手拍子をした。

「さて、この一年間、六十回の講義を通して、生徒から学生への変化をどの程度まで果たせたかどうかは分かりません。でも、これから進級する君たちは、大学生として能動的な態度で積極的に講義に臨む<学生>であって欲しいと考えています」

 ここまで言ったところで、一時限目の終了時刻を告げる鐘の音が鳴った。

「よし、ついに終了時刻が来てしまったね。これをもって一年間に渡る僕らの『講義』を終えることにします。一年間、ここまで付き合ってくれて、本当にありがとう」

「「「「「「「「「「「「「ありがとうございました」」」」」」」」」」」」」


 かくして、隠井は、二〇十九年度の講義を終えることになったのだった。

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