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2020年9月10日 08:54
言葉は意味を持っています。 そして、その意味は大勢に共通した意味でないと、その言葉は使えません。 それは辞書に載っている意味です。 しかし、言葉は大勢に向けて発するのではなく、一人の相手のみに向けて使われることも多くあります。 その時の意味は、必ずしも辞書に載っている意味でなければならないとは言えないと、この作品(講義)を読んで思いました。 言葉には、辞書にある意味以外に、2人だけ(その場だけ)にしか通用しない意味があると。 狐が説明している「アプリポワゼ」の意味と、辞書に載っている意味とは同じでないように思えたのです。 狐からは上下関係は全く感じませんでした。 なので、「飼いならす」や「手なずける」は違いそうですし、「なれる」や「ならす」も合ってないように思いました。 なので、辞書にある意味とは別にして、狐が言っている内容から意味を考えてみました。 狐は『君はまだ僕にとっては、十万人の少年と全く同じような一人の少年に他ならず』と言っています。 どの少年も、その他大勢であって、狐にとっては誰もがモブキャラなんです。 「アプリポワゼ」することによって、『必要とすることになる』と狐は言っています。 つまり、モブキャラの中から一個人としてピックアップしているのです。 そこで、私が感じた「アプリポワゼ」の意味は「個とそて認識する」でした。 しかし、狐の言葉には、もう1つ付け加えられています。 『お互いを必要とすることになる』 『お互い』と付けることによって、双方向になります。 なので、「個として認識する」では弱いと思いました。 ここで言う「アプリポワゼ」の意味は「個として認識し合う」でしょうか? うーん、でも、認識し合っただけでは一緒に遊べませんね。 一緒に遊ぶには、心を許す何かが必要な気がします。 会ってすぐにその何かが発生するとは思えません。お互いに一目惚れといかない限り、すぐに「アプリポワゼ」まで行くことは希(まれ)でしょう。 すると、狐が一緒に遊べるのは、ほぼ無理と言うことになります。 なら、狐は遠回しにに断っているのでしょうか? 「アプリポワゼ」は、だしに使われただけ? うーん、どうやら、私には難し過ぎたようです。 ただ、「アプリポワゼ」の意味は別にしても、言葉の意味はその時々によってニュアンスが違ってくることもあると思いました。 ごめんなさい。私一人で頭の中がぐるぐるとなりました。でも、なんか勉強になりました。 ありがとうございました。
作者からの返信
亜逢 愛さま、今回もコメントありがとうございます今回は、対訳で、『プティ・プランス』の該当箇所を読んでいた時の違和感が出発点になっていますこのキツネのエピソードは、さまざまな解釈が可能になっている個所なのですが今回、ライジーン先生は、原書における翻訳の不可能性について述べたかったようです原文の中には、どうしても多言語に置き換えられないものがあって、それが、今回のように、物語の核になっていた場合には、無理して日本語に置き換えず、原語のまま、訳出の場合には「カタカナ」で表わすしかないのでは、と感じ、これを物語にした次第ですまた、亜逢 愛さまは、この話を読んで色々と思考を巡らせてくださったようで、このエピソードが、さまざまな事を思考するための<種>になっている、そのような読者に対して開かれたテクストになっているとしたら、まさに幸甚です
言葉は意味を持っています。
そして、その意味は大勢に共通した意味でないと、その言葉は使えません。
それは辞書に載っている意味です。
しかし、言葉は大勢に向けて発するのではなく、一人の相手のみに向けて使われることも多くあります。
その時の意味は、必ずしも辞書に載っている意味でなければならないとは言えないと、この作品(講義)を読んで思いました。
言葉には、辞書にある意味以外に、2人だけ(その場だけ)にしか通用しない意味があると。
狐が説明している「アプリポワゼ」の意味と、辞書に載っている意味とは同じでないように思えたのです。
狐からは上下関係は全く感じませんでした。
なので、「飼いならす」や「手なずける」は違いそうですし、「なれる」や「ならす」も合ってないように思いました。
なので、辞書にある意味とは別にして、狐が言っている内容から意味を考えてみました。
狐は『君はまだ僕にとっては、十万人の少年と全く同じような一人の少年に他ならず』と言っています。
どの少年も、その他大勢であって、狐にとっては誰もがモブキャラなんです。
「アプリポワゼ」することによって、『必要とすることになる』と狐は言っています。
つまり、モブキャラの中から一個人としてピックアップしているのです。
そこで、私が感じた「アプリポワゼ」の意味は「個とそて認識する」でした。
しかし、狐の言葉には、もう1つ付け加えられています。
『お互いを必要とすることになる』
『お互い』と付けることによって、双方向になります。
なので、「個として認識する」では弱いと思いました。
ここで言う「アプリポワゼ」の意味は「個として認識し合う」でしょうか?
うーん、でも、認識し合っただけでは一緒に遊べませんね。
一緒に遊ぶには、心を許す何かが必要な気がします。
会ってすぐにその何かが発生するとは思えません。お互いに一目惚れといかない限り、すぐに「アプリポワゼ」まで行くことは希(まれ)でしょう。
すると、狐が一緒に遊べるのは、ほぼ無理と言うことになります。
なら、狐は遠回しにに断っているのでしょうか?
「アプリポワゼ」は、だしに使われただけ?
うーん、どうやら、私には難し過ぎたようです。
ただ、「アプリポワゼ」の意味は別にしても、言葉の意味はその時々によってニュアンスが違ってくることもあると思いました。
ごめんなさい。私一人で頭の中がぐるぐるとなりました。でも、なんか勉強になりました。
ありがとうございました。
作者からの返信
亜逢 愛さま、今回もコメントありがとうございます
今回は、対訳で、『プティ・プランス』の該当箇所を読んでいた時の違和感が出発点になっています
このキツネのエピソードは、さまざまな解釈が可能になっている個所なのですが
今回、ライジーン先生は、原書における翻訳の不可能性について述べたかったようです
原文の中には、どうしても多言語に置き換えられないものがあって、それが、今回のように、物語の核になっていた場合には、無理して日本語に置き換えず、原語のまま、訳出の場合には「カタカナ」で表わすしかないのでは、と感じ、これを物語にした次第です
また、亜逢 愛さまは、この話を読んで色々と思考を巡らせてくださったようで、このエピソードが、さまざまな事を思考するための<種>になっている、そのような読者に対して開かれたテクストになっているとしたら、まさに幸甚です