とても楽しく読ませていただいています。知的好奇心、大いに刺激されています。
授業中の写真撮影といったマナーの話がさりげなく話に織り込まれていて、思わず感心してしまいました。以前無かったテクノロジーを授業に取り入れたいのと同時に、やはり「学習の場」として授業が機能しなければいけないということ、そしてなりより教諭と他の学生に対する配慮ある行いが求められる場であるのは間違いありません。
私が昔受けたとある授業では、教授が授業開始二十分前から来ていた前列の生徒にガラケーを渡し、授業が始まって少し経ってから携帯をいじるふりをするように言いました。その生徒が指示通り開始から十分ほど経って、渡された携帯をいじるふりをしていると、教授は「今、君携帯いじったよね」といい、携帯を取り上げると壁に向かって投げつけました。パキーンッという小気味いい音とともに携帯は見るも無残な姿に……
私は一部始終見ていたので、笑いをこらえるために口元を両手で覆いましたが、大半の生徒たちは血の気のひいた様子で、何人かは素早く携帯を鞄に仕舞っていました。
「僕の授業で携帯いじっているの見たら、こうなります」と教授は言い放つと、何事もなかったかのように授業を再開しました。
今ではこのような行為はそれ自体が問題になりそうですので、隠井先生のように言葉で優しく諭してあげたいものです。
作者からの返信
中 真さま、はじめまして、隠井迅と申します
今回は、自分の『文化史講義の実況中継』をお読みくださり、かつ、コメントまでいただき感謝しています
自分の学生時代は、大学の先生の中には、教授然としていた先生が多くて、講義の中にはピンと張り詰めた緊張感が漂っていた講義もありました
中には、初回、あるいは二回目の講義で、態度が悪い学生をどなりつける先生もいて、四月の時点で多くの学生が去っていったものです
しかし、GWがあけると、その先生は、うってかわって優しくなって、
どうやら、四月の怖さは、態度が悪い学生を去らせるためだったらしく、
コメントの中にあった「携帯投げつけ」に似たものを感じました
ハラスメントに厳しい現状では、もはやありえない状況だと思いますが
きっと多くの講師は、講義環境の維持には苦心しているかもしれませんね
似た言葉を解説するのは案外難しいものです。
それに、ただ答えを言うだけではなく、どうしてその選択になるのか? 選択肢の意味から考えさせる授業は、ためになると思いました。
基礎ができていないと、その知識は役に立たないものです。
そして、言葉の意味も変わっていくものだと考えさせられました。
「公衆の面前」や「公衆トイレ」という言葉から、公衆の意味について何か違うニュアンスを感じましたが、これも時代なのでしょう。
また、著作権は写真も手書きによる写しも同じと考えられるのですが、違うということなのでしょうか?
それに、学校の授業なので、著作権を振りかざすのは難しいように感じました。
生意気なことを書いて申し訳ないです。
ただ、写真に撮られて不愉快と言うのは分かりますし、写真で済ませたら、彼の勉強はそれで終わっちゃいそうです。
それに、長い時間をかけて用意してきたモノを、一瞬で切り取ってお終いというのも不愉快に思いました。
授業の板書とは記録に取るということではなく、理解を深めることと私は思っておりました。
追伸
前回のコメントに、解説をありがとうございました。
何か日をまたぐ儀式があったんですね。
まだ疑問も残っておりますが、ありがとうございました。
作者からの返信
亜逢 愛さま、今回もコメントありがとうございます
講義内の著作権に関しては、厳密に言うと、教員が許可していれば、OKという許可制らしいです。
そうでない場合には、話した内容や書かれた内容を、学習する本人のみが利用する場合にのみ一回きり認められていて、写真や録音、さらには、ノートのコピーも厳密にはアウトです。
講義内容の著作権に関しては、このエピソードの流れの中で、つい勢い書いてしまったのですが、以前、大学の講義で、録音を先生に咎められている学生を目撃して、何故だめなのか、調べた時の事を物語の中に盛り込んだ次第です。
とまれ、自分のいた環境では、講義中に、スマフォでパシャは、あり得ないと思っているのですが、最近、多いらしく、問題になっているという記事も見かけました。
著作権の問題や、講師の嫌悪感はカッコに入れるとしても、記録は、勉強した気になるだけで、受講生の記憶に残らず、学習効果が低く、またシャッター音が、講師の話や他の受講生の集中力を妨げるというのが、物語の中でライジーン講師が講義中に禁じる実際的な理由です。
最後の例えが一番、理解できました。^_^