第4話
声をかけられたからか、腕を掴まれたからか……彼女は足を進めるのを止める。
「なに? 離してくれないかな?」
「なぜ川に向かっていたのか、それが聞けたら離すよ」
振り返った女性の顔を見つめ、問いただす。見ず知らずの人に話す義理は無いだろうが……それでも放っておけなかった。
「ふぅん? あぁ、もしかしたら私が川に入るんじゃないかって? それならごめんなさい。そんなつもりはないわよ」
それを聞き、ふぅっと息を吐きながら掴んでいた手を離す。はぁぁ……思い違いだったか、良かった……。
「そう、俺の思い違いで良かった。いきなり腕を掴んですみませんでした」
「私こそ人がいるなんて気が付かなくって。変に思わせてごめんなさい、川の傍で何かが動いた気がしたから気になってしまって」
「動いた? それはどのあたり?」
何かが動いた……そう言われて、もしかしたらあの子猫かも知れないと考えた俺は彼女に聞いてみた。
「え? このまま真っすぐ行った辺りだけれど……」
「そう、君はここに居てくれていいよ。ちょっと見てくる」
もしあの子猫なら、俺の身に何が起きたのか、ここが何処なのかわかるかもしれない。
女性をその場に残し、川へと近づいた。少し茂っていた草むらをかき分けて進んでみるが……特にそれらしいものは見当たらない。
「居ない……か」
「何が居ないの?」
不意に背後から声が掛かり、思わずびくりと身体が固まった。え? 付いてきたのか?
「あら、驚かせちゃった? 私も気になったから……でも動いていたのはあれだったのかな」
振り返った俺に指し示す先を追うと……川に流されそうに浮き沈みを繰り返す何かに引っかかったプラスチック製の箱があった。
「あぁ、なるほど。遠目じゃ何かまではわからないもんな」
あの子猫が居なかったのは残念だが、他の動物じゃなくて良かった。
身体の力を抜いた俺はもう一度周りを見回してから元の広場へと戻る。彼女もなぜかそんな俺の後ろを付いてきた。
元の場所に戻り、向かい合う俺と彼女。これ以上話す事もないはずだが、彼女は立ち去ろうとせずに俺の顔を見つめている……もしかして、不審者か何かと思われているのか? 背中を見せたら襲われるとか警戒しているのかもしれないな。
「それじゃあ、邪魔をして悪かったね。俺は行くけれど、君もこんな所に長く居て風邪をひかないように気を付けて」
そう言い残し立ち去ろうとしたが……ぽつぽつと頬に当たる水滴……雨だ。
雲が広がるって天気予報では言っていたが、まさか雨が降り出すだなんて完全に想定外だった。
「げ、降り出したのか? 君も早く帰ったほうが……」
言いかけている内にも段々と勢いをまし、増えていく雨脚……これはどこかで雨宿りをしないとまずいかもしれない。
「あっち」
彼女の声に視線を向けると、少し離れてはいるが高架が見えた。あの下なら雨宿りも出来るだろう……彼女は俺が確認したのを見届けてから走り出す。
まさかこんなことになるだなんて……1度空を見上げて
――――
「ふぅ、ここなら大丈夫そうだね、助かったよ」
高架下に駆け込んだ後、彼女にお礼を言う。もし教えてもらっていなかったらもっとずぶ濡れになっていたかも知れない。
ざぁざぁと降りしきる雨……ここまで走ってくる間だけでもかなり濡れてしまっていた。
着ていたブルゾンを脱いでバサバサと振り、付いていた雨を飛ばす。何もしないよりはマシだろう。
ちらりと彼女の様子を見ると、同じようにコートを脱いで取り出したハンカチで拭っているようだ。
白いダッフルコートの下は薄い青色のニットにその裾から覗く黒い膝上のスカート、タイツという格好だ……そしてゆらゆらとしているしっぽ……萌花の犬しっぽももちろん良いが、猫のしっぽも可愛いよな……。
思わず見つめていると、コートの水滴を拭き終わったのか顔を上げた彼女の視線を感じた……はっとして顔を上げた俺の目に映ったのは……。
自分の身体――正確に言うと胸をぎゅっと両手で覆い、ジトっとした目でこちらを睨んでいる彼女の顔……いや!? 確かにニットを盛り上げるその胸は大きいと思うが、別にそこだけを見ていたわけじゃないからな!?
「ごめん、そこを見ていたわけじゃないんだが……
頬を掻きながら視線を外し降りしきる雨に目を向けた。まだ雨脚は強くなる一方だ、これはしばらく止まないかもしれないな……。
「冗談よ、ちょっと本で読んだことがあったからやってみただけ。男の人が女の身体になんて興味を持つわけが無いのにね、ごめんなさい」
そんな彼女の言葉に驚き、つい外していた視線を戻してしまった。彼女は既にコートを羽織りなおし、ぺろりと小さな舌を出して
そんなことはない……そう言おうと口を開きかけるが……まてよ? ここで興味があると言えば当然警戒されるだろう、周りに人気が無い場所で男女二人きりだ。
無駄に警戒されるよりは話に乗っておいた方が得策だと判断して、何も言うことなく肩を
「それにしても、あなたは変わった人ね……久瀬 慎哉君?」
え? なんで俺の名前を知っているんだ!? 見たところ同じ年頃だけれど、もしかして高校が同じなのか?
「驚いた? あなたは私の事を知らなさそうだけれど。私は黒葛 睦美(つづら むつみ)、一応久瀬君の同級生なんだよ?」
同級生……クラスメートには居なかったはずだし、他のクラスか……あまり交友関係が広くはない俺には全く見覚えが無かった。
「そ、そうなんだ、気が付かなくてごめん」
「ふふ、いいのよ? 本当に変わってるのね……同級生の女子にお礼を言ったり、謝ったりするだなんて」
「そう、かな? でも良く俺の事を知っていたね……目立つ方じゃないと思っていたけど」
学校では騒ぐ方じゃないし、1人でいることも多かった。クラスメートなら名前くらいは知っていると思うけれど……目の前にいる
そう、落ち着いて改めてみると
綺麗な長い黒髪を水色のシュシュを使って留めて肩口に流し、こちらを見る切れ長な大きな目に長いまつげ、透き通るように白い肌とその中でひときわ目を引くぷるんと赤い唇。
もしこれが前の世界だったとしたら、間違いなく学校中の人気者だろうと思わせるほどだ。
「そう思っているのはあなただけ、かもよ?」
そう言った彼女……
「それに、よく考えてみて? いきなり知らない男性に腕を掴まれて騒がない女の子がいると思う?」
あぁ、そう言われれば確かにそうだ。叫び声の1つ上げたってなにもおかしくは無いだろう。
「そ、そうだね……気が急いていたとはいえ軽率だったな」
騒がなかったのは俺の事を知っていたからだ、そう言われれば納得もできる……でも、例え顔見知りだとしても男性に掴まれることに抵抗はなかったんだろうか……この世界では男性は女性に触れることも嫌がっているという話だし、逆に女性もそれを嫌っていたりはしないのか?
「
「私? そりゃ、見ず知らずに男に触れられたのなら叫んでいたけれど……久瀬君だってすぐにわかったから」
俺だってわかったから……嫌じゃなかった。そう言いたいのだろうか?
とりあえず俺は嫌われているわけじゃないんだと解釈をして問題はなさそうだ。
「そっか、まぁそれでも悪かったよ。雨はまだ止みそうにないけれど、
「そうね、走って帰るにはちょっと大変かも。だからもう少し付き合ってね?」
自分の唇へ人差し指を当てこてんと首を傾げる
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