第3話
それじゃあ、買い物に行ってくるわね。そう言ってエプロンを脱ぎ出掛ける準備を始める母さん。
悠璃と萌花も2階へと上がっていき、残された俺は廊下の先にある4畳半の和室へと足を踏み入れた。
そこにある小さな仏壇……飾られた写真にはまだ若い女性の笑顔が写っている。
俺と同じ明るい茶色の髪を肩口で結わえて柔和な笑みを浮かべる女性……俺の実の母親だ。
実際の話したことなんて覚えてもいないので、俺の母さんの記憶はこの写真だけ。
仕事に行って帰りが遅い父さんをこの部屋で1人待っていた、小さい頃の俺。
何度も見たその写真には……見覚えが無いけも耳が付いていた。
「やっぱり、そうだよな……」
覚悟はしていた、それでも実際に目にするとどこかショックを受けている自分がいる。
母さんも、悠璃も萌花も……そして母親も。けも耳が付いていることを除けば俺の記憶の中にある姿と一致する……それこそ雰囲気や声だって同じだ、でも同じじゃない。
母さんだけど母さんじゃない……妹だけど妹じゃない……。
ほんの一瞬、そんな思いに囚われた。まさかそれが、俺の心を大きくかき乱すことになるだなんて知る由もなく。
ぶんぶんと頭を振り思考を切り替える。
まず考えなければいけないのがなぜこんなことになっているのか、だ。思い出されるのはあの夢の事……夢じゃなかったんだろうか? そう言えば起きてからあの白い子猫の姿を見ていない。
もしかして部屋にいるのかもしれない、そう考えて自分の部屋へと戻って捜してみるが、どこにもその姿は無かった。
「確か、『
――『どうか
――『とても……
そう、夢だと思ったあの時、確かにあの白い子猫はそう言っていた。
世の男性から嫌われているというけも耳の女性たちを救えって事か?
仮にそうだとしたら、俺はどうすればいいんだろうか。
――『あの温もりをどうか……どうか』
白い子猫の言葉、萌花の様子、母さんの笑顔……まだよくわからないが、取りあえずこの世界の女性は『男性に優しくされたことが無い』のだろう。
それなら……俺にもできることはありそうじゃないか? 幸い今日は日曜日、明日から始まる学校の前に街の様子を確認しておくのも良いだろう、何事も下調べと準備は大切なのだから。
よしっと上着を脱ぎ、出掛けるように着替えを選ぶ……うーん、取りあえずパーカーで良いだろう。
中に着る保温効果の高いシャツとパーカーをタンスから引っ張り出す。
「お兄ちゃん、この前借りた参考書だけど……」
ガチャリと部屋のドアが開いて、俺が貸したという参考書を片手にした悠璃が部屋へ入ってきた。
ん? あぁ、そう言えば貸していたが、わからないところでもあったんだろうか。悠璃は俺よりも成績が良かったはずだが……。
「どこかわからないところでもあったのか?」
手を止め部屋のドアへと向き直る俺、そしてドアを開けたままで固まっている悠璃……。
「なっ」
「ん? 悠璃、どうした?」
「なななな! なんで裸なのよっ!? このバカ兄貴ー!!!」
顔を真っ赤にしてばたばたっと廊下を駆けていく悠璃。
いや、裸って……着替えようと上を脱いでいただけなんだが……どんだけ
ちらりと姿見に映る自分の姿を見た……うん、少し鍛えたほうが良いかな……はぁ。
着替え終えた俺は1階のリビングへと降りた。
「お、お兄ちゃん……どこか、お出かけ……するの?」
声をかけてきたのは萌花か、手にマグカップを持っているし何か飲みに来たのかもしれない。
「あぁ、ちょっと散歩にな。遅くはならないと思うけれど戸締りはちゃんとしておけよ? あと母さんが帰ってきたら出掛けたって言っておいてくれないか」
「う、うん……あの、その……早く帰って来て、ね?」
そう言う萌花の姿は、あの初めて会った日の泣きそうにしていた姿とどこか重なった。
「あぁ、良い子にしてるんだぞ? 昼もあるしそこまで遅くはならないさ。でも、待っていないで先に食べて良いからな」
そう伝え玄関へと向かうが、後ろをとことこと萌花が付いてくる。見送りでもしてくれるんだろうか。
「い、いってらっしゃい。気を付けて、ね」
靴を履いて立ち上がった所で萌花が声をかけてきた。振り返り頭にぽんっと手を置き「行ってきます」と微笑みかけて……玄関を開く。
さて、いったいどんな世界になっている事だろうか……不安を抱え、見上げた空は雲が広がり始めどこか寒々しいものだった。
とりあえず向かったのは川沿いの道……そう、あの子猫を助けた場所だ。
ここに来るまでも人にすれ違うことがあったが、やはり女性にはけも耳が付いている……年齢を問わずに。
小学生らしき女の子も友達であろう女の子と仲良さそうにしっぽを振りながら歩いているし、近所のおばさんらしき人たちも、同じように集まって耳をぴくぴくと動かしながら話に花を咲かせていたようだ。
その種類や色も様々で犬や猫らしきものから、兎……狐に、鹿のような耳としっぽの人もいる。
そして男性も当然見かけるが……男の子が男の子同士で遊んでいるのは、まぁ普通かも知れないし、数人あるいは1人で男性が歩いているのもまた普通の事だろう。
川沿いは今の天気もあって、風が冷たく吹き抜けている。パーカーの上からダウンのブルゾンを着てきて良かったな。
ぶらぶらと歩いては見るが……やはり子猫の姿も鳴き声も聞こえない。
「やっぱりいないか……うぅ、寒いなぁ」
ブルゾンの前をピッタリと閉め、ポケットに手を入れながら歩き続ける。マフラーもしてきた方が良かったかもしれないな。
さすがに川沿いの寒さは皆が避けるのだろう、誰とも会う事もなく歩くこと10分程……不意に川沿いの広場に立つ白い人の姿らしきものが目に入った。
(この寒い中、何してるんだろ……まぁ俺も人の事は言えないが)
誰が好き好んでただでさえ寒くなってきている天気の中、風除けもないような場所に行くのか。それが自分にも当てはまることに苦笑いを浮かべ、なんとは無くその人影に向かって歩みを進めてみる。
徐々に近づくにつれそれが白いダッフルコートに身を包んだ女性だとわかった。
女性だとわかったのはその頭に猫らしき耳が見えたからだ。
(猫は寒いところが苦手って聞くが……それは当てはまらないんだな)
けも耳が付いているからってその習性や趣向なんかが同じわけではないらしい。そんな事を考えながらさらに近付いてみる。
それはこんな寒い所にいるなんてどうしたのかという単なる好奇心か、それとも運命の
まだ俺とその女性の間にはそれなりの距離がある。もし俺に気が付いて場所を変えようとしたのなら川にではなく離れるように動くはずだ。
俺が一歩近づくと女性も一歩、と歩みを進める……何の迷いも見せず。
(なんだ……まさか、そんなことは)
嫌な考えが頭を
そんな考えが拭えないまま、一歩また一歩と近づくが彼女の足は止まらない。俺が近づくから? なんてバカな考えを浮かべて足を止めてみるが、その間にも彼女はどんどんと進んでいく。
立ち止まったせいもあり、彼女との距離が少し開いた……このままじゃ間に合わない!
一気に駆け出した俺は……追いついた彼女の腕を掴み声をかけた。
「ここで何をしてるんだ?」
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