忘れられないアジフライ 3

 お店の外は夕暮れだった。

 ゲンちゃんはなにも言わないで歩き出す。あたしはそのあとをついていく。

 今日はあたしの知らないゲンちゃんのこと、いっぱい知ったような気がする。

「ゲンちゃん」

 駅に向かおうとしたゲンちゃんの袖を引っ張る。

「せっかく来たんだからさ。もう一度、寄ってかない?」

「……どこに?」

「海!」

 あたしが跳ねるようにそう叫ぶと、ゲンちゃんが顔をしかめた。


 ゲンちゃんと一緒に、もう一度砂浜へ降りた。あたりはオレンジ色に染まっていて、遠くの山に太陽が沈もうとしていた。

 あたしは足元の小石を拾うと、キラキラしている波打ち際から沖に向かって投げた。手から離れて飛んで行った小石は、ぽちゃんっとあっけなく浅瀬に沈む。

「ゲンちゃんも遊ぼうよー」

 あたしが誘っても、ゲンちゃんは砂の上に座ったまま、ぼうっと海をながめているだけだ。

「もうー、せっかく来たんだからさぁ」

「うるせぇな。遊びたかったら勝手に遊べよ」

「なにその態度。さっきと全然違うじゃん。おばちゃんに言いつけるからね!」

 ゲンちゃんは眉をひそめてあたしを見る。それからふいっとあたしから顔をそむける。

「ゲンちゃん」

 あたしが近寄って腰を落としたら、ゲンちゃんがぽつりと口を開いた。

「俺は……全然立派じゃないのにな……」

 ゲンちゃんの声が、少し冷たくなった風に乗って流れていく。あたしはゲンちゃんの横顔に向かって言った。


「そうだね」

 ゲンちゃんはちょっとむっとした表情で、あたしをにらむ。

「お前だけには言われたくない」

 あたしはゲンちゃんの隣でくすっと笑う。

「でもほんのちょっとは立派になったんじゃないの? びーびー泣いてたころよりは」

「うっせぇんだよ、お前は」

「またお腹すいたら来るの?」

 ゲンちゃんは夕焼け色の海を見て、少し考えてから答えた。

「もっと立派になったら来るよ」

 砂をじゃりっと握って、ゲンちゃんが立ち上がる。そして海に向かって歩いて行って、手の中にあった小石を遠くに投げた。石は大きな弧を描いて、波の中に落ちる。

「ああー、あたしもやる!」

 立ち上がり、ゲンちゃんに向かって駆け寄る。そして足元の石を拾って思いっきり投げる。だけどあたしの石は、ゲンちゃんの投げたのよりもずっとずっと手前に落っこちた。

「へたくそ」

 ゲンちゃんがあたしの隣で、えらそうに腰に手を当てる。

「くっそー」

 あたしはもう一度石を手に取り、助走をつけて投げる。足元に波が来て、スニーカーが濡れた。

「くっそーとか言うな。お前は女の子なんだから」

「それ差別だよ。女とか男とかカンケーない」

「でも女の子らしい子のほうが、モテると思うぞ?」

 あたしはゲンちゃんをにらみ、また思いっきり石を投げる。遠くまで飛んだ白い石が、打ち寄せる波の中に巻き込まれて消えた。


「モテなくたってべつにいいもーん!」

 海に向かって叫ぶ。ゲンちゃんは黙ってあたしを見ている。

 その瞬間あたしの中で、なんだかよくわからない感情がミルクの毛玉みたいにコロコロ膨れていって、それを声と一緒に吐き出した。

「ゲンちゃんのバカ―!」

「お前なぁ……」

 あきれたようにつぶやいたゲンちゃんは、そこで言葉を止めてふっと笑った。

「ガキ」

 くるっと後ろを向いたゲンちゃんが、砂の上をさくさくと歩き出す。あたしもあわてて振り返って叫ぶ。

「ちょっと、ゲンちゃん! もう帰るのー?」

「俺はお前みたいなガキに付き合ってるほど、ヒマじゃねぇんだよ」

「はー? 誘ったのはゲンちゃんでしょ!」

 あたしは口をとがらせ、ゲンちゃんのあとを追う。そして手を伸ばして、その腕をつかむ。

 あたりは夜になり始めていた。あたしの住んでいる家から遠い、あたしの知らない場所。ゲンちゃんが小さいころに暮らしていた場所。

 ゲンちゃんはどうしてあたしをここに連れてきたんだろう。ただアジフライを食べさせたいっていうだけで、あたしをこんなに遠くまで連れてきたんだろうか。


 駅まで歩いて電車に乗った。帰りの電車はすいていた。あいている席にゲンちゃんと並んで座る。車内はぽかぽかとあたたかい。

 電車の揺れも単調な音も、なんだかすごく心地よかった。あたしはうつらうつらと頭を揺らしていて、ゆっくりとゲンちゃんの肩にもたれかかった。ゲンちゃんに触れているあたしの頭が、すごくあったかい。

『俺の家族はお前しかいないから』

 ぼんやりとしていく意識の中で、なぜだかゲンちゃんの言ったその言葉だけが、はっきりと頭の中に浮かんでいた。

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