ろうそくとショートケーキ 1
上から二枚目のカレンダーをめくると、桜の花のイラストに変わった。あたしの部屋がぱっと明るくなる。
あたしは三月が好きだ。だってあたしの誕生月だから。
「いろはー」
日差しが少しあたたかくなった日曜日。ゲンちゃんがあたしを呼んでいる。
「いろはー、おーい、いろはー」
ゲンちゃんは最近、あたしからふすまを開けるまで、勝手に部屋に入ってこなくなった。でもあたしが顔を出すまで呼び続けるから、やっぱりめんどくさい。
「なによ」
不機嫌アピールの顔で、ふすまを開ける。スマホを持ったゲンちゃんがそこに立っていて、あたしに言う。
「お前、今日ヒマだろ?」
ヒマとか決めつけるところが頭くる。
「ヒマじゃない。勉強する」
「そんなのあとでいいから。ちょっと公園まで行ってきてくれよ」
「公園? なんであたしが……」
するとゲンちゃんがさらっと答えた。
「俺、コクられるかもしれないから」
「は?」
「なんか俺のこと好きらしいやつから、公園に呼び出されたんだよ。めんどくさいから、お前行ってきて」
「え、な、なんて言った、いま……」
「とにかく行ってきてくれ。よろしく」
ゲンちゃんが軽く手を上げて、ささっとトイレに入ってしまった。
「ちょっ、ゲンちゃん!」
急いで追いかけたけど、もう鍵が閉まってる。
くそー、逃げたな。ゲンちゃんは答えたくないことがあると、トイレに鍵をかけてこもってしまう。この様子だと、いくらあたしが怒鳴っても、ドアを叩いても、きっと出てこないだろう。
ほんと、めんどくさい大人だ。
あたしは窓の外を見る。
『俺、コクられるかもしれないから』
胸の奥がざわざわとうるさい。
その人はもう公園にいるのだろうか。ゲンちゃんが行くまで、ずっと公園で待ち続けるのだろうか。
ゲンちゃんに行く気がないならあたしが行って、「ゲンちゃんは急用で来れなくなりました」って伝えてあげなくちゃ。
「ゲンちゃんのバカ!」
あたしはトイレのドアを足で蹴っ飛ばすと、上着をはおって外へ出た。
空はよく晴れていた。風も少しあたたかくなっていて、早く春がくればいいのになって思う。
あたしは速足で公園に向かった。ちょっと胸がどきどきする。
あたしなんかが現れたら、きっとその人がっかりするだろうな。だってその人は、ゲンちゃんのことが好きなんだから。
公園に着くと、今日は小さな子どもが何人か、親と一緒に遊んでいた。
幼稚園くらいの女の子が砂場の近くで転んで、「ママー」と泣きながらお母さんに駆け寄っていく。お母さんはその子を抱き上げて、赤くなった膝をなでてあげている。
あたしはぼんやりとそんな光景を眺めたあと、はっと思い出して周りを見回した。
えっと、どの人なんだろう。どんな人なのか、聞いて来ればよかった。
するとあたしは、ベンチに座ってスマホの画面をじっと見つめている、男の子の姿に気がついた。
「湊斗?」
そこにいるのは湊斗だった。湊斗もあたしに気づき、目を丸くする。
「彩葉? どうしてここにいるんだよ?」
「あんたこそ……」
あたしは言いかけて、「あーっ!」と声を上げる。
「もしかしてあんた、ゲンちゃんのこと呼び出した?」
「お、おう。なんで知ってるんだ?」
「あたしがゲンちゃんの代わりだから」
「な、なんでお前? 師匠来てくれねぇの?」
湊斗が頭を抱える。
なんだ、女の人じゃなかったんだ。ていうか、いつの間に連絡先交換したんだろう、このふたり。
「フラれたんだね」
「相談したいことがあったのにぃ……」
湊斗はうつむいて、頭をぐしゃぐしゃとかき回している。あたしはちょっと湊斗に同情する。
「また漫画のこと?」
前に湊斗が言っていたから。漫画家になりたいと思っているけど、親に反対されているって。
「あー、今日はそのことじゃないんだわ」
「イラスト描いてって、またおねだりしようと思ってたんじゃないの?」
「違うわ! もっと真面目なことだ!」
湊斗がじっとあたしを見た。たしかに真面目な顔つきで。
「どんなこと? あたしでよければ聞いてあげようか?」
すると湊斗はびくんっと肩を震わせて、立ち上がって言った。
「お前じゃダメなんだよ!」
あたしはちょっとむっとした。
「なによ。せっかく相談にのってあげようと思ったのに」
「ゲンさんじゃなきゃダメなんだ! じゃあな!」
湊斗が逃げるように、公園から出て行く。
「なんなのよぉ、どいつもこいつも」
こんなことなら来るんじゃなかった。
家に帰ると日の当たる場所で、ゲンちゃんがミルクをお腹にのせて転がっていた。
「ちょっと! ゲンちゃん!」
あたしはそんなゲンちゃんを見下ろして怒鳴る。
「湊斗だったじゃん! 面倒だからって、あたしに頼まないでよね!」
ゲンちゃんはうっすらと目を開けて、「で、何の用だった?」なんて聞いてくる。
「なんか相談があったんだって。あたしが聞こうかって言ったのに、ゲンちゃんじゃなきゃダメだって」
「ふうん」
「真面目なことだって言ってたよ。ゲンちゃんふざけてないで、ちゃんと話聞いてあげなよ。大人なんだから」
「わかったよ」
ゲンちゃんがごろんと横向きになり、ずり落ちたミルクがあわててよじのぼっている。
「気が向いたら、そのうちな」
「もうー」
湊斗のやつ、こんな人のどこがいいんだろう。
「最近湊斗くん、いろちゃんのこと、よく見てない?」
「え?」
放課後、風花と廊下を歩きながら振り返る。教室の前で、固まって笑い合っている男子生徒。その中のひとりがこっちを見ていて、さっと顔をそむける。湊斗だ。
公園で会ったあの日から、湊斗はずっとこんな感じなのだ。
「なんなの、あいつ。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに」
「また喧嘩したの?」
風花があたしの隣でくすくす笑う。わざともう一回振り向いてやったら、湊斗があわててまた顔をそむけた。
その日はゲンちゃんがバイトに行っていて、あたしはひとりで夕飯を食べていた。ナナちゃんがいたころは、ゲンちゃんがいなくてもふたりで食べられたけど、いまはひとりだ。
だけどあたしはもう中学生だから、そんなの全然平気。ミルクもいるし。
すると静かな部屋に、こんこんっと音がした。ちょっとビビって窓のほうを見ると、コートのフードを頭にかぶったゲンちゃんが、ガラス窓を叩いている。
「ゲンちゃん? 帰ってきたの?」
首をかしげたあたしに、ゲンちゃんが手招きをする。あたしは膝にいたミルクを段ボール箱の中に入れてから、パーカーをはおって外へ出た。
「あれ……」
屋上に出ると雪が降っていた。真っ暗な空から真っ白な雪が、かなりたくさん。
「もう三月なのにな。今日寒かったから」
ゲンちゃんが腕をさするように両手を組んで、空を見上げる。
「そうだね……もう三月なのにね」
春のようにあたたかいと思ったら、急に冬みたいに寒くなって……あたしの誕生月は不安定だ。
「彩葉さ……」
空に向かって白い息をはきながら、ゲンちゃんがつぶやいた。
「誕生日……欲しいものある?」
「え……」
あたしはちょっと驚いた。ゲンちゃんにそんなことを聞かれるとは思わなかったから。
ママと暮らしているとき、あたしは誕生日を祝ってもらえなかった。ママは忙しかったから、娘の誕生日を忘れてしまったのかもしれない。
ゲンちゃんと暮らし始めたころ、「お前の誕生日いつ?」って聞かれて答えたら、誕生日にコンビニのショートケーキと小さいろうそく一本を買ってきてくれた。あたしはそれだけで嬉しくてはしゃぎまくった。
ろうそくをケーキに立てて吹き消した。「ずっとやってみたかったんだ」って言ったら、ゲンちゃんはまたライターで火をつけて、「何度でもやれよ」って言った。だからあたしは何回もそれを繰り返した。
そうしたら次の年もケーキと一本のろうそくを買ってきてくれて、あたしはまた何回も吹き消した。いつの間にかそれは毎年恒例行事になり、ナナちゃんが来てからは一緒にお祝いしてくれた。
実は、年齢の本数ろうそくを立てるんだってことをあたしは知らなくて、それを知ったときちょっとショックだったけど、まぁあたしたちはこれが「普通」なんだからいいかって気にしなかった。
誕生日はそうやって過ごすのが当たり前で、「欲しいものある?」なんて聞かれたことはなかったのに。
「どうしたの、急に。ゲンちゃん、あたしになんか買ってくれるの?」
「気が向いたらな。高いものは却下」
「うーん、どうしようかなぁ」
あたしは宝石みたいにきらきらと落ちてくる、夜の雪を見ながら考えた。ちょっと胸がわくわくした。
「考えとけよ」
「うん」
ゲンちゃんが寒い寒いと腕をさすりながら、家の中に入っていく。あたしはそんなゲンちゃんの背中を見ながら思う。
あの雪の日、ゲンちゃんに拾われなかったら……あたしは誕生日が嬉しいものと思えないまま、ずっと暮らしていたんだろうな。
それから三日間考えて、あたしは誕生日に欲しいものを決めた。あたしの誕生日は二日後にせまっていた。
「ケーキが欲しい」
あたしはゲンちゃんにそう言った。朝食のパンをかじっていたゲンちゃんは、手を止めて首をかしげる。
「お前……それじゃいつもと同じじゃん」
「うん」
「中学生になったんだから、べつのもんにすれば?」
「いいの」
ゲンちゃんはあきれたような顔で言う。
「お前……ほんとケーキ好きだな」
ケーキも好きだけどちょっと違うんだ。ゲンちゃんが買ってきてくれるケーキが、あたしは好きなんだ。
だからやっぱりそれがいいって思った。他に欲しいものなんてなかったし。
いつもと同じように過ごせれば、それでいいって思ったんだ。
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