おいしいおいしいハンバーグ 1
「いろちゃん、今度の日曜日ひま?」
ある日の昼休み、隣のクラスから風花がやってきてあたしに聞いた。
あたしは部活も塾もやっていないから、基本的にいつでもヒマだ。家事をする以外は。
「ひまだけどなんで?」
「杏奈ちゃんに誘われたの、カラオケ行こうって。杏奈ちゃんの彼氏が、男の子ふたり連れてくるんだって」
「え、男?」
風花がにっこり笑ってうなずく。あたしはちょっと顔をしかめてたずねる。
「風花って、杏奈と仲良かったっけ?」
「そんなでもないけど……でもあたしが彼氏欲しいって話したら、誘ってくれたの」
おっとりしていて、おとなしく見える風花は、昔から友だちが多くない。休み時間になるとすぐ、うちのクラスに飛んでくるくらいだから、いまもクラスにあまり友だちはいないのだろう。
それに派手で目立つタイプの杏奈とは、まったく共通点がなさそうな気がする。
「あたしはべつに彼氏欲しくないしな……カラオケも興味ないし」
ていうか友だち同士でカラオケなんて行ったことない。小学生のころ一回だけ、ゲンちゃんとナナちゃんに連れて行ってもらったことはあるけど。
ナナちゃんはものすごく歌がうまくて、ゲンちゃんはものすごくへたくそだったことだけ覚えてる。
「そんなこと言わないで。彼氏いない子ひとり、絶対連れてきてって言われてるの」
たしかにあたしは、彼氏いないけどさ。
「お願い、いろちゃん! 一生のお願い!」
出た。風花の「一生のお願い」。風花は「一生のお願い」を何度も使う。
でもここであたしが断ったら、他に頼めるような子はいないんだろうなぁ。
「じゃあ……ちょっとだけ付き合う。でも今回だけだよ?」
そういうあたしも、「今回だけだよ?」を何度使ったことか。
「ありがと、いろちゃん! 大好き!」
風花があたしに抱きついてきた。あたしは小さくため息をついた。
日曜日、あたしは服を押入れから引っ張り出し、畳の上に広げて考えた。
「うーん……」
あいかわらず私服はパーカーにジーンズ姿のあたし。
だけど風花はきっと、かわいい服でくるんだろうな。べつに張り合うつもりはないけど、あんまり差があってもバランスとれないよなぁ……なんて、考えすぎかな。
「おいっ、彩葉! 開けるぞ」
ふすまがいきなり開いて、ゲンちゃんが顔を出した。あたしはひっと変な息をはいて後ろを振り向く。
「どっか行くなら猫のミルク買ってきて」
「勝手に入ってくるな!」
あたしのこのときの服装は、下はパジャマのズボンに、上は下着代わりのタンクトップ一枚だった。あたしはあわてて脱いだパジャマで上を隠す。
「開けるぞってちゃんと言ったし。べつに裸見られたわけじゃねーだろ?」
「裸とか言うな! エロおやじ!」
そのへんにあった服をゲンちゃんに投げつけて、部屋から追い出した。ゲンちゃんはふすまの向こうで「なんだよー」なんて文句を言っている。
なんだよ! はこっちのセリフ。ゲンちゃんはきっとあたしのこと、女だと思ってないんだ。
結局服を考える気力がなくなり、いつものパーカーとジーンズで家を出た。ゲンちゃんにはどこへ行くか教えなかった。
待ち合わせの駅に着くと、もうみんな揃っていた。まだ五分前なのに、みんな早い。
「いろちゃん!」
風花は真っ白なコートに、淡いピンクのミニスカートをはいている。
「彩葉。遅いよー」
その隣の杏奈は、黒いロングのワンピースにコートをはおって、首にはストール。大人っぽくて、中学生に見えない。
「ごめん」
「あ、紹介するね。あたしの彼氏の翔くんと、その友だちの蓮くんと瑛太くん。三人とも高校生だよ」
三人の男が「どうもー」なんて軽い感じで言う。みんな同じようなチャラ系で、誰が誰なんだか覚えられない。
それに杏奈の彼氏が高校生だったなんて、たったいま知った。
「どうも……野々山彩葉です」
「よろしくねー、彩葉ちゃん」
茶色い髪の男がいきなりなれなれしく言ってきた。あたしはもう帰りたくなっていた。
駅前に唯一あるカラオケ店に行き、順番に歌をうたった。みんな慣れているのか、どんどん曲を入れている。風花も家族でよくカラオケに来るそうで、けっこううまい。髪をつんつん立てて、耳にピアスをつけた男が、風花の隣でちやほやしている。
あたしはジュースを飲みながらそんな光景を眺め、ひたすら時が過ぎるのを待っていた。
「彩葉ちゃんは歌わないの?」
一曲歌い終わった茶髪男が、あたしの隣に座ってマイクを差し出した。えっと、この人は誰だっけ? 蓮だっけ瑛太だっけ……忘れちゃった。
「あたしは……へたくそなんで」
「そんなの気にするなよ。こういうときは、軽いノリで歌っちゃえばいいんだよ」
「いえ、けっこうです。あたしは」
「恥ずかしがり屋なんだな、彩葉ちゃんは」
隣の男がにっこり笑って、ジュースを手に取り座りなおす。あたしの腕に男の腕がくっつき、なんだか背中がぞわぞわしてきた。
「ねぇ、このあとどうする?」
杏奈がみんなに聞いた。隣に座っている彼氏は、さりげなく杏奈の肩を抱いている。あんなこと、人前で簡単にできちゃうんだ。高校生って。
「どっか飯でも食いに行くか?」
「そうだね、お腹減ったし」
「あのっ」
あたしはみんなの前で立ち上がる。
「あたしは帰るから!」
みんなの視線があたしに集まった。チクチクと痛い。
「えー、いろちゃんも行こうよぉ」
風花が困ったように言った。風花の隣にはぴったりと、ピアスの男が張り付いている。
「そうだよ、まだ来たばっかりじゃない」
「彩葉ちゃん帰っちゃったら、つまんないよ」
みんなが口々に言い始めた。あたしはしぶしぶ椅子に座る。
「ご飯くらい付き合いなよ。ね? 彩葉」
結局杏奈に押されて、あたしはみんなとファミレスに行った。
ファミレスでご飯を食べている間も、ピアスの男は風花にべったりだった。でも風花はまんざらでもないみたい。耳元でなにかささやかれて、くすくす笑いながら頬を染めている。
風花のタイプってゲンちゃんじゃなかったっけ? 全然違うと思うんですけど。
そしてあたしの隣には茶髪男が座っている。べらべら話しかけてくるから、おいしそうなハンバーグが食べられない。あたしはそれを避けるため、ドリンクバーに行こうと立ち上がった。
「はぁ……」
ジュースのボタンを押してため息をつく。なんでこんなところに来ちゃったんだろう。
でも「行く」って言っちゃったのはあたしだ。風花の顔をつぶしたくないし、この場を変な雰囲気にもしたくない。
「彩葉ちゃんってさぁ」
急に話しかけられてどきっとした。いつの間にか後ろに茶髪男が立っていた。
あたしがジュースを手にとって場所を譲ると、そこにグラスを置いて男がボタンを押した。
「いつもこんな感じなの?」
「え?」
「いつもこんなふうにぶすっとしてるの?」
あたしは黙った。たしかにあたしはいつもこんな感じだ。だけど初めて会った人に向かって「ぶすっとしてる」って、失礼じゃないか?
「それとも俺たちのこと気に入らないわけ?」
男がじろっとあたしをにらんだ。あたしはちょっとだけひるむ。
「ここに来たってことは、男が欲しかったんだろ? だったらもうちょっと楽しそうにしろよ」
「は?」
あたしは思いっきり顔をしかめた。
「あ、あたしはべつに男なんか欲しくないし、楽しくないのに楽しそうになんてできない」
「なんだよ、それ。だったら来んな! ブス!」
男があたしの手を払った。あたしの手からジュースが落ち、床にこぼれる。周りの人たちがあたしたちのことを、少し離れたところから見ている。
男はふんっと顔をそむけて、トイレのほうに行ってしまった。店員さんが「大丈夫ですか?」と駆け寄ってきて、床を片付けてくれる。
「すみません。ごめんなさい」
あたしは何度も頭を下げて謝ると、急いでテーブルへ戻った。
「いろちゃん? どうしたの……」
「風花! 帰ろう!」
「え?」
ぽかんとしている風花の手を引っ張って、立ち上がらせる。風花のコートとバッグを持たせ、あたしは自分のバッグからお財布を取り出し、ふたり分のお金をテーブルに置いた。
「ごめん、杏奈! あたしたち帰る!」
「彩葉? あんた、なに言って……」
唖然としている杏奈を残し、あたしは風花の手を引っ張って外へ飛び出した。
「いろちゃん! いろちゃんってば!」
ファミレスから立ち止まらず、一気に走った。だいぶ遠くまで来たころ、あたしはやっと風花の手を離した。
「どうして? どうしてこんなことするの? いろちゃん」
あたしは振り返って風花に言う。
「風花はよく平気だね。あの男、風花のことずっとやらしい目で見てたじゃん」
「そんなことないよ……」
「ずっと風花に体べったりくっつけてきてさ。風花、なんとも思わなかったの? あいつら絶対やらしーことしか考えてないよ」
風花はちょっと潤んだ瞳でじっとあたしを見つめる。
「いろちゃん、人を見た目だけで判断しちゃだめだよ。いい人たちかもしれないじゃん」
「え、風花はあたしのほうがおかしいと思ってんの?」
「いやらしいこと考えてるのは、いろちゃんのほうだと思う」
心臓がぎしっと嫌な音を立てた。
「わたし、帰るね。杏奈ちゃんにはごめんねって連絡しとく」
ふわっと柔らかそうな髪とスカートを揺らして、風花が背中を向けて去っていく。
あたしはしばらくその場に突っ立ったまま、動けなかった。
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