赤い箱のチョコレート 2

 そのあと、ゲンちゃんを家まで連れて帰るのが大変だった。

 ビルに入って階段を上る途中で、ゲンちゃんが何度も座り込んでしまうからだ。

「ほらー、ゲンちゃん、もう少しだからちゃんと歩いてよ」

「もうここでいい」

「よくないって! 寝るな! この酔っぱらい!」

 腕を引っ張ってなんとか階段を上らせた。重いし、駄々こねるし、寝るし、サイアク。

 だから最上階の扉を開けるころ、あたしはこの寒さの中、じんわりと汗をかいていた。

「ゲンちゃん、着いたよ。そんなとこで寝ない!」

 屋上へ出た途端、ゲンちゃんはコンクリートの上にごろんと仰向けに寝転んだ。

「つめたくて気持ちいー」

 大の字になって空を見上げ、そんなことを言いながら笑ってる。

「早く家に入ろうよ。風邪ひくよ」

「彩葉も寝てみな。気持ちいいから」

「やだよ。寒いし。痛いし」

「いいからさー。ちょっとだけ」

 ゲンちゃんが自分の隣をぽんぽんっと叩く。

「寝てくれないと、帰らない」

「はー? いいかげんにしてよね!」

 あたしが怒っても、ゲンちゃんはおかしそうにまた笑う。

 あたしは口をとがらせながら、ゲンちゃんの隣に座った。そしておそるおそる体を倒す。背中がひやっと冷えて、声がもれそうになったとき、あたしの視界に真っ暗な空とそこに瞬く小さな光が見えた。


「あ、星だ」

「いいだろ? 無料のプラネタリウム」

 すぐ隣から、ゲンちゃんの声が聞こえた。あたしは空に向かって、はあっと白い息をはく。

 つめたいと思ったコンクリートが、熱くなった体をじんわりと冷やして、だんだん心地よくなっていく。

「俺さ……」

 あたしの横で、ゲンちゃんがつぶやいた。

「この空が欲しくて、この部屋借りることに決めたんだよ」

「え?」

 あたしはちらりと隣を見る。ゲンちゃんは空を見上げたままだ。

「ここから見る空は全部、俺のものって気がするだろ?」

 屋上の上に、さえぎるものはなにもない。誰に見下ろされることもなく、見上げた上にあるのは広い空だけ。

 青い空も、白い空も、赤い空も……ぜんぶ。

「ちがうよ。ゲンちゃん」

 あたしはまた上を見る。

「俺のものじゃなくて、あたしたちのもの、でしょ?」

 あたしの隣でゲンちゃんが、かすかに笑ったのがわかった。


 しばらくあたしたちはそのまま夜空をながめていた。

 でもびゅうっと強い風が吹いて、あたしはやっぱり寒くなり、起き上がってゲンちゃんを引っ張った。

「ほら、もう帰ろうよ」

「んー……」

「起きろー! こんなところで寝たら死んじゃうってば!」

 いつの間にか寝ていたゲンちゃんをたたき起こす。

「わかった、わかった」

「もー、どうしてこんなになるまでお酒飲むのよ」

 ゲンちゃんを引きずって、家へ押し込みながらあたしは聞く。

「そんなにお酒好きなの?」

「好きじゃねぇよ……」

 ぼそっとゲンちゃんが答えた。

「でも今日は楽しかったからさ……」

 そう言って畳の上にごろんと寝転がると、ゲンちゃんは幸せそうに笑った。

 そうか。楽しかったのか。

 だったらちょっとだけ、許してあげよう。



 翌朝、ゲンちゃんはひどい顔をしていた。頭がすごく痛いらしい。

「なぁ、彩葉……」

 台所のテーブルでトーストを食べているあたしに、のそのそと起きてきたゲンちゃんが言う。

「俺さ、昨日どうやって帰ってきたんだ? あいつらに駅まで送ってもらったのは覚えてるんだけど……」

「えー! ゲンちゃん、昨日のこと覚えてないの?」

「ああ……なんか背中がつめたかったのだけ覚えてる」

 ウソでしょ。あたしがあんなに頑張って連れて帰ってあげたのも。一緒に星をながめたのも。大人になったら飲みに行こうって約束も……全部覚えてないっていうの。

「ゲンのバカっ! 酔っぱらい!」

「大きな声出すな。頭に響く」

 ゲンちゃんがぼさぼさの頭をかきながら背中を向ける。

 サイテーだ。今度ゲンちゃんが酔っぱらっても、絶対助けてあげないんだから。


「あ、そうだ」

 ゲンちゃんが壁に掛けてあるジャケットのポケットからなにかを取り出す。

「これやるよ。居酒屋でじゃんけんして勝ったらくれた。なんとかキャンペーンだって」

「あ……」

 あたしの前に差し出されたのは、赤い箱のチョコレートだった。昨日、スーパーであきらめたやつだ。

「え、やった! うれしい! ありがと、ゲンちゃん!」

「そんなに嬉しいか?」

 ゲンちゃんがあきれた顔であたしを見る。

「うん! すっごく!」

「ガキだな」

 ガキはどっちよ。ひとりじゃ家にも帰れなかったくせに。

 あたしは箱を開け、中からチョコレートを一粒取り出す。ぱくっと口に放り投げ、ゆっくり転がしたら、あまーい味が広がった。

「うまいか?」

「おいしーい。ゲンちゃんも食べる?」

 立ち上がって、ゲンちゃんの前に立つ。一粒つまんで差し出したら、ゲンちゃんが口を開いた。あたしはちょっと背伸びして、そこにぽいっとチョコを放り込む。

「おいしい?」

「んー、あまい」

 それだけ感想を残すと、ゲンちゃんはまたもそもそと布団の中にもぐり込んでしまった。

 あたしはもうひとつチョコを取り出し、口に入れる。

 きっとこのチョコを見るたび、あたしは昨日のことを思い出すんだろうなぁ。

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