食事
彼女は髪の毛を一括りにするとメガネを外して食卓の隅に置いた。ご飯食べる時に何故メガネ外すのかを聞いた事がある。単純に邪魔なのと視覚を遮断して味覚に集中したいからと言っていたけれど、人間は視覚情報や他人との共感なども味覚に深く関わるって事は黙っておいた。
「いただきます」
ヒラメの刺身にわさびと薬味を乗せて箸で掴む。左手で持った小皿の醤油を付けると口へ運び…その先は見えなくなる。
「いいなぁ」
思った言葉が思わず口に出ていた。
「ん?ヒラメ好きだったっけ?ほら、こっちにまだあるよ」
「おぉ、ありがとう」
彼女はニコニコしながら盛り合わせの皿を回してヒラメが乗っている部分を私に近づけてくれる。彼女は世話好きだ。
「君は食いしん坊だよねぇ」
「カメラマンは肉体労働だからねぇ」
間延びした優しい口調を真似てみる。彼女の所作はひとつひとつが上品という言葉がぴったり似合う。
「今日は何を撮ったの?」
「今日は大手事務所のモデルさん。やっぱり自分にお金かけてる人は違うね。修正が少なくて助かるよ」
いつからか、食事は心を満たすコミュニケーションだと週に一度は共に食事をするようになった。主食は近況報告で食事は少しで充分だ。あとは少しのアルコールと彼女さえいればいい。
「あら、それは大助かりだね。やっぱり本物は綺麗なの?」
「そうりゃすごいよー顔も小さいし、足なんて私の身長ぐらいよ」
「ふふ、君は小柄だもんねぇ」
手酌しようとするものだから何も言わずに手を伸ばすと彼女は「ありがとう」と嬉しそうに笑って徳利を渡してくる。甘えることも上手な君にはもっきりしちゃおうかしら。
「おっとっと、酔ってるねぇ」
もっきり寸前まで注ぐともっと笑顔になってストップがかかる。からかうと嬉しそうな笑顔になる彼女が可愛くてついつい沢山からかってしまう。大きな口をすぼませてお猪口に口をつける。
「そうでもないよ。そうだ、このあいだの健康診断でまた身長が縮んだよ」
「それは残念だったね。あ、私もコレステロール値が以上に低いって」
「コレステロール値ってどうやって上げるんだろうね?」
「ジャンクなフードを食べればいいのかな?」
そう言ってわさびを摘むとタコに乗せた。タコは一番カロリーが低いってことも黙っておこうか。
再び醤油皿を手に持って、口へ運ぶ。笑うと豪快な少し大きめな口、シャープだけどしっかりとした顎が動いて歯ごたえのいいタコをじっくりと咀嚼する。コリコリと吸盤を噛んだ時の音が少しだけ聴こえる。メガネをかけていないこともあってこちらの視線には気付かないからどうしたって魅入ってしまう。
「ジャンクフードって胸焼けしない?」
「そうねぇ…年に一回ぐらいしか食べないなぁ」
ツマに醤油につけて食べながら応える。本当にヘルシーなものがお好きなようで。
少し取りすぎたように思うが大きな口に全て吸い込まれて消えていく。シャキシャキと音を立てて咀嚼する。私はどんな音がするのだろう。
「歳よね…」
「歳だわ…」
少し彷徨った箸は続いて甘エビを選んだ。尻尾ギリギリの部分を柔く噛むと『い』の口になる。少し唇に触れた指先で尻尾を押しこんで外した。再び思った言葉を口にしてしまう。
「いいなぁ」
私はその口に食べられたい。人間が一生見る事の叶わない、貴女しかいない世界に行きたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます