流星
13:15
お昼休憩は自分の仕事に合わせて自由に取っていい会社だけど彼女はいつも決まった時間に私のデスクの目の前を横切りお昼に向かう。
星みたいな人だと思う。
夜空に浮かぶ星みたいに遠くから見れば綺麗だけれど近寄ればただの燃える石ころ。どれがどの星なのかなんて分かるわけもない。
みんなして同じような髪型で同じようなメイクをして同じような体型で同じように彼氏だとかダイエットだとかの悩みを話している。
ぼんやり眺めていたら目があってしまった。ニッコリ笑いかけられたが知らない。仕事に戻ろう。
────────────
会社の飲み会は嫌いだ。今まで不参加を貫いてきたのだが、今回は私が仕切るプロジェクトが思いの外売り上げをあげてしまったもんだから致し方なく参加することになってしまった。
「おい飲んでるかー」
飲み会も終盤に差し掛かり、このまま特に深い会話もせず逃げ切れそうだと思っていた時に声が掛かる。上機嫌な部長ほど厄介なものはない。
適当に会話を合わせて適当なタイミングでトイレに立つ。次から次へと注がれた日本酒を飲み過ぎた。わんこそばかよ。トイレは近くなるが別にお酒なんていくらでも飲める。けれど見せたくないのは口角が上がって上機嫌になってきている姿。落ち着くまでトイレでぼんやりして、飲み会が終わる頃に戻ろう。
トイレのドアを開けた瞬間心臓が少し小さくなった気がした。
3つ並んだ個室の真ん中で誰かが倒れている。
そのスカートには見覚えがあった。13:15の星。名前をつけるなら1315号。
「ちょっと、大丈夫?」
「あ?…ここどこ?」
「トイレ」
「…うっ」
急に俊敏な動きで便器へ向き直ると盛大に吐いた。どうやら1315号は吐いてそのまま寝てしまったらしい。見てはいけないものを見てしまったような感情になって少しだけ目を逸らす。
「うぇ…横になりたい…」
「はぁ…あなたのバッグどんなのだったっけ?」
「茶色い…革のやつ」
便器を抱えて朦朧としながらちゃんと受け答えするが具体性は全くない。
「ちょっと待ってて、寝ないでね」
「…はい」
戻りたくなかった部屋に戻ってくる。案の定部長に絡まれるが事情を話して2人分のお会計を渡しておく。こういう時に頼れるのは有難い。ただちょっとセクハラが多くおしゃべりがすぎる。
確かあの人と親しい人がいたはずだ。大部屋の中を見渡すと真ん中の方で男性社員の肩を叩きながら大笑いしている人がいた。同じような髪型で同じような形の服を着ているから多分この人。
「斎藤さん、花田さんのバッグってどれか分かります?」
「えっ…とこれです。どうかしたんですか?」
「トイレから動けなくなってしまって、帰らせようと思います」
「ええー大丈夫なんですか?」
「多分大丈夫です」
心配する割には立ち上がりもしないあたり、あの人にも人望はないのか或いはこっちが冷たいのか。どっちもだろうな。適当に親しい人に軽く挨拶をして退散。の前にトイレへ。
「花田さん起きてる?」
トイレのドアを開けるとまたしてもミステリー映画で出てきそうなシーン。死体のような1315号が横たわっている。
「起きてます」
「そんな格好で言われても。行きますよ」
「あれ、終わりですか?」
あれだけ吐いておいてこの状態でまだ戻る気があったのか。それとも早く帰りたかったのか。座り込む花田を抱えてトイレから出て歩き出す。
「いいから行きますよ。もう飲めないでしょう」
「はぁ…あ、お会計してない」
「私が払っておきました。あとで払って」
「何から何まですみません」
入り口に辿り着いて花田に靴を履かせてやる。本当に何から何までだ。けれどこれで帰れる。いい口実が出来たのである意味ではwin-winだ。
「家はどこ?」
「家は…うっ」
店を出て駅に向かおうとした途端にしゃがんで側溝に吐く。速攻だな。これは電車に乗せても乗り過ごしてしまうか電車で吐くな。背中をさすりながらぼんやりと周りを見渡すと目の前にホテルの文字が見えた。頭にラブがついているがベッドがあるならいいだろう。
「落ち着いた?このまま帰れる?少し休んでから帰る?」
「うぅ…はい…休みたいです…」
「分かった」
ラブホテルなんて入ったことがなかったけれどなんとかなった。女2人でも入れるのだな。壁に話しかけたら手が生えてきて鍵を受け取ったのはなかなか面白い体験をした。
部屋に着くととりあえずベッドに花田を横にする。トイレの床に寝ていた服が気になったけれど汚れが付いているわけでもないしいいだろう。
「花田さん、寝る前にこれだけ飲んで」
ここに来る前にコンビニで買っておいたスポーツドリンクと胃腸薬を渡す。花田は胃腸薬を飲むと苦々しい顔をしてそれまでどこか宇宙でも漂っていたかのような目の焦点が合う。
「本当にすみません…」
「別にいいよ」
「先輩って冷たい人かと思ってました」
「私もそう思ってた」
「どうして私なんかを?」
「飲み会が苦手なの。早く帰りたかったから丁度いいと思って」
「すみません付き合わせてしまって…先に帰っていただいても大丈夫ですよ」
「こんなところに放っておけないでしょ」
「ここって…ラブホ」
「目の前にあったから。ついでだしシャワー浴びてくるから少し横になってて」
「はい。ありがとうございます」
ラブホテルのアメニティはものすごく充実していた。ラブホテルという場所に無縁の人生を送っていたし、なかなか出来ない体験だし、謝られるほど後悔はしていない。
それにタバコ臭かった髪の毛を洗えることが有難い。暖かいお湯は夏の湿気で気持ち悪かった肌に心地良い。
風呂から上がってすぐに元着ていた服を着る気にはなれず、置いてあったバスローブを羽織る。服はハンガーにかけて消臭剤を吹きかける。ラブホテルなんでもある。すごい便利。
部屋に戻ると花田は缶チューハイを開けていた。どうにも飲み足りなくて私用に買っていたものだった。失敗したな。
「あっ先輩だ〜」
この子は馬鹿なんだろうな。所詮は燃える石ころか。ベッドに腰掛ける花田の横に座って缶を奪う。
「はいはい、もうお酒は辞めておきなさい」
「まだ全然飲めますよ〜」
「さっき盛大に吐いていたでしょう」
「あれは演技ですよー」
「そうは見えないわねぇ…」
花田から奪った缶チューハイに口を付けるとほんのり吐瀉物の香りがする。しまった。まぁいいか。酔っ払ってしまえば何も感じなくなる。
「ホントですよーほら、だからこうして先輩と一緒にいれる」
「どういうこと?」
「先輩っていつもスーツであんまりおしゃれしないですよねー」
「みんなと同じ服や髪型にするのがおしゃれなの?ほらこっち飲んで」
話が噛み合わないけれど酔っ払いなんてこんなものだと適当に会話を続けながらスポーツドリンクを飲ませる。
「そうですかー?雑誌に載ってる服を着るだけなんで楽ですよ。それに、本当は彼氏なんて欲しくないしどれだけ食べても太らないけど適当に合わせておけば困った時助けてくれますから」
「貴女って純朴な子かと思ってた」
「私はそうは思いません。ね、先輩。今の私にキスできます?」
「急にどうしたの…?あぁ酔ってるの」
「知ってますよーいつも私のこと見てるの。お昼休みに行く時とか。そういうんじゃないんですか?」
急に図星を突かれて動揺する。ついついそっけない返事をしてしまう。
「さぁ?私も分からないけど。星みたいだなって見てた」
「星?なんでですか?」
「星って遠くから見ると綺麗だけど近くで見るとただの石ころ。他の星との区別なんてつかないし」
「じゃあほら、この星がただの石ころなのか確かめてみてくださいよ」
花田がベッドに座る私の膝に乗って来てニコニコしている。抗うべきか、受け入れるべきか。どのような対応が正解なのだろう。こういう時に経験値が浅いと困る。だけど私の口角も上ってきている。これはお酒のせいなのか、はたまた別の要因があるのか。
ファーストキスがゲロの味なんて私の人生どうにかしてる。
薄暗くなった部屋では2人の荒い息づかいの音と眠らない街の喧騒が少しだけ聞こえていた。
私に跨る彼女のこめかみから汗が垂れた。流れ星みたいに頬へ流れていく。
私は思わず、普段ならきっとこんなことをしないのだろうけど、彼女の頬を大事な物を支えるみたいに包み込んで、指先で汗を拭った。
「汗かいてる」
「ありがとうございます」
私の手に手を重ねて嬉しそうにニヤける彼女を見ると、私は案外石ころでも愛せるかもしれない。
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