梅雨

夜中に降るって言ったじゃん阿部さん。


ギリギリ雨に濡れずに帰れると思ったんだけど電車から降りたら土砂降りだった。かといって徒歩十五分の為に傘を買うのは悔しい。

それに家にビニール傘が何本あると思う?それはもう核家族三世帯ぐらいに無料配布出来るぐらいにはあるわけよ。


もう買うわけにはいかないのだ。だらしない私よサヨウナラ。おいでませシッカリ私。


さてと、そうなると小雨になったぐらいにサクッと帰るしかないな。


まずはスーパーで買い物をして、それでも止んでなかったら適当なファーストフード店でコーヒーでも飲んで待とう。傘よりは安いし小説を読むのに丁度いい。


そうと決まれば駅から徒歩一分もかからないであろうスーパーへダッシュ。歩くよりも走った方が数パーセント濡れないらしいという情報を信じているけど濡れているという体感は同じ。数値じゃないのよ、身体はアーハーン。


その通りよ明菜。スーパーについたら濡れ鼠。はぁーもう買い物終わったら走ってでも帰ろ。


「柳さん?」


「えいっ?」


最寄駅に知り合いなんていないから思わず変な声が出た。柳は確かに私の苗字だし、振り返って見た彼女は見たことのある顔をしているし、目がバッチリ合っている。誰だっけ…見たことはある。…えー誰だっけ?


「やだー柳さんじゃないですか!偶然ですね!てかめっちゃ濡れてるじゃないですか」


「あーはは。傘忘れちゃって。朝のニュースで雨は夜中に降りますって言ってたんですけどねー」


「私も朝ニュース見て傘忘れちゃったんですよー!でもお店にビニール傘たくさんあったから借りてきちゃいました。よくお客さんが忘れていくんですけど絶対取りに来ないし次来た時もどっちも忘れてる、みたいな」


こっちが適当に話していても気にせず話す…お店…お客さん…次来た時というのはおそらく数日そこらではない内容…突然弾丸のように話し始めて急に我に返ったかのように止まる喋り方…。


I got it !! スーパーの斜向かいの美容室の人だ!それにしてもそこまで頻繁に行ってないのによく私のことを覚えていたな。名前は…忘れたけど。


「ビニール傘って価値観低いですよねー私も家に十本ぐらい溜まっちゃって…」


「えー!やばくないですか!?そろそろ折りたたみ買いましょうよ!」


「そうなんですよねーアハハ」


「あっごめんなさいちょっといいですか」


本当にこの人は自由だ。でもカットやパーマの技術は今までで一番上手い。というかこちらの意図を的確に読んでくれる。だから美容室難民だった私が二年も通っていて、しかも徒歩十五分で行けるとても有難い存在でもある。


「さっきから髪の毛気になってたんですよねー」


「ちょっといいですか」の「ちょ」ぐらいで私の頭に触れていたことは気にしないよ。美容室で椅子に座っている時は気にしていなかったけど多分身長が十センチぐらい違うんだね。背伸びをしながら私の髪の毛を整えてくれるのがなんだか可愛らしい。


「はい、綺麗です。柳さん、私が教えた乾かし方やってないでしょ」


「…すみません」


毎回、行く度にその髪型に合った乾かし方を教えてくれる。原理は分かっているんだ。今回のパーマはまず根元を乾かし、毛先は手で握るようにしてパーマを出す。理解している。だがそれを再現出来ないのがパンピーというものよ。だって貴女は専門職。


「まぁ別にいいですけどー」


「いやぁ、よく分かりましたね。今朝は時間がなくて…すみません」


「美を追求しましょ!?柳さん綺麗なんだからーそういえば何を買いに来たんですか?夕飯は?」


「あ、適当に惣菜でも」


「このお店のお惣菜美味しいですよねーでもほら、ここシミ出来てます。ビタミン足りてませんよ」


「うっ…そうですね…その辺はサプリに頼りっきりで…」


ファンデーションで隠していたお面が割れるのはとても辛い。しかも意気揚々と無作為に抵抗もなく割ってくる。


「そうだ!私が夕飯作りましょうか!こう見えて実は料理上手いんですよ私!掃除は出来ないんですけどね!」


「えっと…じゃあお願いします?」


「やった!じゃあ今晩はビタミンたっぷりの生姜焼きにしましょう!」


あぁ、私はなんでこうも流されやすいのだと思いつつ。こういうのあんまり体験しないしいいかもなって思ってるのは、四時間後に欲望と理性の葛藤と戦う事を知らないからだと思う。

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